千を塞ぐ者
「久しぶりに会えたと思えば、ずいぶん賑やかな所じゃねえか!」
レオルは巨大剣を肩へ担いだまま、押し寄せる魔物の群れを見渡した。
黄金の鬣が、地下を抜ける風に揺れている。
目の前では、壁の向こうから新たな魔物が溢れ続けていた。石床を叩く無数の爪。甲殻同士が擦れる硬い音。遠くでは、それらよりさらに重い何かが歩くたび、低い振動が足裏まで伝わってくる。
それでもレオルの顔から笑みは消えない。
昔から変わらない。この男は、戦場へ立つといつもこんな顔をする。
「再会を喜びたいところじゃが、先に頼みがある」
「おう」
レオルは魔物から目を離さない。
「こやつらを、地上へ一匹も出すな」
そこで初めて、獣王の目が細くなった。
押し寄せているのは一種類ではない。牙を剥く獣、人ほどの大きさがある甲殻虫、背中に岩のような瘤を持つ四足獣。そのさらに奥では、周囲の小型種を押し退けながら巨大な影が近づいている。
「なるほどな」
「できるか?」
アラタが聞く。
レオルは振り返った。
「陛下」
「なんじゃ」
「久しぶりに会って、最初にそれ聞くか?」
「無理なら他を考える」
一拍置いて。
レオルの口元が大きく吊り上がった。
鋭い牙が覗く。
「ガハハハ! やっぱり陛下だな!」
肩にあった巨大剣が降り、剣先が石床へ触れた瞬間、ゴリ、と硬い音がした。
「分かった。一匹も通さねえ」
圭介が槍を構えたまま、アラタへ少しだけ身体を寄せる。
「……この人、誰なんです?」
「レオルじゃ」
「それは聞きました」
「獣王じゃ」
「情報が増えたようで増えてない!」
その声が聞こえたのか、レオルが耳をぴくりと動かした。
圭介、志乃、そして弁慶を順に見たあと、再び魔物へ向き直る。
「陛下。その三人は?」
「仲間じゃ」
ほんの一瞬、レオルの目つきが変わった。
「そうか」
それだけ言うと、巨大剣を片手で持ち直す。
「なら、後ろへ行ってろ」
弁慶の眉が動いた。
「拙僧も戦える」
「見りゃ分かる」
「ならば――」
「肩」
レオルが自分の肩を指で叩いた。
弁慶の衣の下では、巻き直せなかった傷から再び血が滲んでいる。
「血の匂いが強すぎる。そこの二人を守るなら、今は前に出すぎねえ方がいい」
「……」
「前で暴れる奴と、後ろを守る奴。両方いねえと戦場は崩れる」
弁慶はしばらくレオルを見た。
やがて、鼻から短く息を吐く。
「分かった」
アラタが笑う。
「話が早くて助かるのう」
「後で貴殿とは話がしたい」
弁慶が言うと、レオルは牙を見せた。
「いいぜ。でかい坊主は嫌いじゃねえ」
「仲良くなれそうじゃな」
「どこを見てそう思ったんですか」
圭介の声を背に、レオルが歩き出した。
走らない。慌てもせず、無数の魔物が押し寄せる中を、自分の方から戦場へ入っていくように進む。
肩から下ろされた巨大剣を見て、圭介が息を呑んだ。
近くで見ると、それは剣というより鉄の塊に近い。
刃だけで圭介の背丈ほどあり、刀身は異様に分厚い。根元など人間の腕より太く、普通の人間なら持ち上げるだけで精一杯だろう。
装飾はほとんどない。黒ずんだ刀身には細かな傷が無数に走り、磨き上げられた名剣というより、何百もの戦場をそのまま背負っているようだった。
それをレオルは片手でぶら下げている。
「……それ、剣なんですか」
圭介が思わず呟いた。
「本人はそう言っておる」
「本人は?」
「昔からのう」
「何と比べてるんですか」
返事より先に、石床が震えた。
先頭の魔物が一斉に駆け出す。十、その後ろにさらに十数体。牙を剥いた獣が身体を沈め、甲殻虫がその隙間を埋めて迫る。
レオルは腰を落とした。
巨大な肩がわずかに沈み、剣を握る右腕の筋肉が膨らむ。だが、構えらしい構えはない。剣先を斜め下へ落としているだけだった。
最初の獣が飛びかかる。
轟音が響いた。
圭介には、レオルがいつ剣を振り上げたのか見えなかった。
頭上まで跳ね上がった巨大剣が、一気に振り下ろされる。
先頭の獣の頭部へ刃が食い込み、骨を断って、そのまま石床まで叩き割った。蜘蛛の巣のような亀裂が走り、弾けた石片に左右の魔物が足を取られる。
その瞬間にはもう、レオルの腰が回っていた。
地面へ食い込んだ巨大剣を引き抜くのではなく、そのまま横へ振る。
石片を巻き上げながら走った刃が一頭目の胴を断ち、二頭目の甲殻を砕き、三頭目の脚をまとめて刈り取った。血と甲殻片を撒き散らした三体が後続へぶつかり、群れの前列がまとめて崩れる。
「……え」
圭介の声が漏れた。
背後へ回った一頭が牙を剥く。
志乃が弓を引こうとした時には、レオルの左手が後ろへ伸びていた。
振り向きもしない。
魔物の頭を片手で掴み、その身体ごと持ち上げる。
「おらっ」
投げ飛ばされた獣が前方の群れへ突っ込み、数体を巻き込んで転がった。
志乃の弓が、ゆっくり下がる。
「……私、撃った方がいいですか?」
「今はやめた方がいいかもしれませんね」
圭介も槍を構えたまま動けない。
アラタだけが笑っている。
「昔と変わらんのう」
「変わってないんですか、あれ」
「少し鈍ったかもしれん」
「絶対本人に言わないでくださいよ」
「聞こえてるぞ、陛下!」
魔物を斬りながらレオルが怒鳴った。
「ならもっと働け!」
「ガハハハ!」
巨大剣が下から跳ね上がり、甲殻虫を縦に裂く。その背後にいた魔物まで巻き込みながら、レオルは倒れた死骸を越えて前へ出た。
押し寄せてきたはずの群れが、少しずつ後ろへ押されていく。
黄金の鬣を揺らし、レオルは笑った。
「もっと来い!」
さらに数体が倒れたところで、レオルは巨大剣を肩へ戻した。
初めて動きを止める。
呼吸はほとんど乱れていない。
視線だけが群れから外れた。
左の細い通路。右の崩れかけた石柱。足元に積み上がった死骸。そして、その奥から近づいてくるひときわ巨大な影。
獣王の目が戦場全体をなぞる。
圭介が息を吐いた。
「さすがに、あの数は――」
「違う」
アラタが言った。
「え?」
「あやつは困っておらん」
レオルの口元が上がった。
「なるほどな」
次の瞬間、正面ではなく左へ走った。
巨体とは思えない速さで群れから外れようとしていた三頭を薙ぎ払い、そのまま岩を背負う大型獣の死骸へ剣先を差し込む。
「おらぁ!」
巨大剣を梃子にして跳ね上げると、岩の塊のような死骸が宙を飛び、狭い横道へ落ちた。
太い胴体が途中で引っかかる。
直後、後ろから来ていた魔物が止まりきれずに次々と衝突し、狭い入口で身体が重なった。
「……道を塞いだ」
志乃が呟く。
「死骸で」
アラタが頷く。
横道を失った群れが中央へ寄り、密度が上がっていく。
そこでレオルは一歩だけ下がった。
圭介の表情が変わる。
「下がった?」
「寄せておる」
「え?」
「見ておれ」
レオルが空けた場所へ魔物が殺到した。
前から来た個体を後ろが押し、逃げ場を失った群れがさらに中央へ固まる。
十分に集まった瞬間、レオルが踏み込んだ。
巨大剣が大きく横へ走る。
一頭ではない。
群れそのものを薙いだ。
鈍い破砕音が連続し、前列がまとめて崩れる。その死骸がそのまま壁となって、後続の足まで止めた。
正面から大きな咆哮が上がった。
空気が震える。
頭から背中まで黒い甲殻に覆われた巨大な四足獣が、周囲の小型魔物を踏み潰しながら突っ込んでくる。肩の高さだけでもレオルを超え、額から伸びた太い角が石壁を削るたび、砕けた石が飛び散った。
圭介の顔から血の気が引く。
「いや、あれは――」
レオルは避けない。
大型の角が迫る。
直前、巨大剣を両手で握った。
圭介は真正面から叩き斬ると思った。
だが、レオルは剣を振り上げない。
刃を斜めに立て、突き出された角へ刀身を添えた。
金属と甲殻が擦れ、火花が散る。
レオルの両足が石床を削った。
勢いを止めているのではない。
ほんの少しだけ、角の向きを逸らしている。
「ぐ……おおおっ!」
剣を滑らせた。
大型魔物の頭が横へ流れる。
何十歩分もの勢いを乗せた巨体には、その僅かなずれで十分だった。
狙いを外した大型魔物が右側へ突っ込み、崩れかけた石柱へ肩から激突する。
轟音。
太い柱が根元から折れた。
大量の石材が通路へ雪崩れ込み、土煙の向こうで右側の道が半分以上塞がっていく。
圭介が口を開けたまま固まっていた。
「……今の、あの魔物に柱を壊させたんですか」
「そうじゃな」
「最初から?」
「じゃろうな」
「いや、アラタさん普通に答えてますけど」
圭介はレオルを見る。
「あの人……力だけじゃないじゃないですか」
アラタが笑った。
「誰も力だけとは言っておらんぞ」
瓦礫で狭くなった通路へ、魔物が殺到する。
だが一度に抜けられるのは二、三体だけ。
レオルはそこへ立った。
先ほどまでの大振りが消え、巨大剣が短く動く。
首を断ち、次の一体の前脚を落とし、倒れた身体を後続へ蹴り込む。死骸は完全に道を塞がず、獣一頭がようやく抜けられる程度の隙間だけを残した。
他に道がない魔物は、自分からその隙間へ集まってくる。
志乃が息を呑んだ。
「誘導してる……」
「敵が自分で道を選んでおるつもりでな」
城門でも、谷でも、森でもそうだった。
レオルは敵の数が増えるほど、地形も死骸も相手自身の勢いさえ戦場の一部に変えてしまう。
しかも本人は、そんなことを考えているような顔をしない。
豪快に笑って、全部やる。
「陛下!」
レオルが叫んだ。
「何じゃ!」
「こいつら、奥からまだ来るぞ!」
「見れば分かる!」
「匂いもすげえ! まだ山ほどいる!」
「なら全部止めろ!」
「注文が雑だな!」
「できるじゃろう!」
一瞬、レオルが黙った。
次いで地下全体へ響くほど笑った。
「ガハハハハ! そうだったな!」
巨大剣が肩へ乗る。
「俺に頼んだんだ!」
レオルが地面を蹴った。
巨体が一気に加速し、最前列を巨大剣でまとめて薙ぎ払う。そのまま倒れた大型の背を足場にしてさらに奥へ跳び、着地と同時に再び刃を振るった。
群れに大きな穴が開く。
レオルはそこへ踏み込み、さらに前へ出た。
もう、一体ずつ数える意味がなかった。
気づけば、先ほどまで四人のすぐ前にあった戦線が何十歩も奥へ移動している。
「……押してる」
圭介が呟いた。
志乃が首を横に振った。
「違う」
後ろの魔物は前へ進もうとしている。
それなのに先頭が遠ざかっていく。
一人しかいない。
軍勢もいない。
それでも、巨大な獅子の獣人が一歩進むたび、魔物の軍勢全体が深部へ押し戻されていた。
「押し返してる……」
志乃の声が小さくなる。
弁慶は黙ってその背中を見た。
やがて低く呟く。
「……豪の者よ」
アラタが隣で笑う。
「じゃろう?」
「貴殿が誇るのも分かる」
「別に誇ってはおらん」
その瞬間。
「聞こえてんぞ、陛下!」
遠くからレオルの怒鳴り声が飛んできた。
圭介が思わず吹き出す。
「めちゃくちゃ聞こえてるじゃないですか」
「耳もよいからのう」
「先に言ってくださいよ」
レオルは振り返らない。
さらに奥の暗闇から、新しい影が現れていた。
一つではない。
二つ。
先ほど石柱へ突っ込んだものより、さらに大きい。
その足元を埋め尽くすように、小型の魔物も流れてくる。
足音が重なり、地下の空気が震えた。
それでもレオルは巨大剣を肩へ置き直す。
「陛下!」
「なんじゃ!」
「一匹も出すな、だったな!」
「そうじゃ!」
黄金の鬣が大きく揺れる。
レオルは目の前を埋める魔物の群れを見て、嬉しそうに牙を剥いた。
「なら、ここから先は一匹も通さねえ!」
地面を蹴る。
黄金の獣王が、再び一人で魔物の軍勢へ飛び込んでいった。




