笑う男
「……剣?」
志乃の声に、圭介も尾の方へ目を向けた。
倒れた大蛇の尾は石柱の陰まで伸び、その途中で鱗が大きく裂けている。そこから覗いていたものは、血に濡れてなお鈍い光を返していた。
アラタはすぐには触れなかった。
大蛇の首が動かないことをもう一度確かめてから、尾のそばへしゃがみ込む。
「黒い金属とは違いますよね」
志乃も少し離れた位置から覗く。
「色が違うのう」
採取した黒い金属は、光を吸うような暗い色をしていた。
こちらはもっと淡い。
銀とも違う。灰色にも見えるが、見る角度によって表面の奥に青白い光が走った。
圭介が槍を持ったまま近づいてくる。
「これ、本当に剣なんですか?」
「分からん」
「最近それ多いですね」
「分からんものが多い場所に来ておるからのう」
アラタが露出している部分へ手を伸ばしかけ、止めた。
「弁慶」
「うむ」
弁慶が前へ出る。
「また俺たちじゃなく弁慶さんなんですね」
「素手で触って何かあった時、一番平気そうじゃろう」
「否定できないのが嫌だなあ……」
弁慶は圭介を一瞥したあと、裂けた鱗へ手をかけた。
「引けばよいか」
「無理ならやめろ。壊すなよ」
「心得た」
巨体が腰を落とす。
大蛇の尾から突き出した細長いものを握り、ゆっくりと引いた。
最初は動かなかった。
弁慶が少し力を加えると、肉の奥で何かが剥がれるような音がした。
志乃が顔をしかめる。
「……中に入ってたんですね」
「らしいのう」
さらに引く。
ずるり、と血に濡れた細長いものが尾から抜け落ちた。
弁慶の手に収まったそれを見て、圭介が黙った。
長さは剣に近い。
片側には刃のような薄い縁があり、反対側には握り手にも見える細い部分がある。
だが、鍛冶屋が作った剣には見えなかった。
鍔もなければ、柄巻きもない。
金属を剣の形に削ったというより、最初からその形で存在していたように見える。
「……やっぱり剣じゃないですか?」
圭介が言う。
アラタは弁慶から受け取らず、近くから眺めた。
「剣に見える、じゃな」
「何が違うんです?」
「分からん」
「戻った」
志乃が小さく笑った。
アラタも少し口元を緩めたが、目は異物から離さない。
刃らしき縁に血が流れている。
それでも汚れが表面へ染みつく様子はなく、血だけが滑るように落ちていった。
「とりあえず持って帰りますか?」
志乃が聞く。
「そうじゃな。ここで調べる理由もない」
アラタは黒い金属の袋を見る。
「一緒には入れん方がよさそうじゃ」
「拙僧が持とう」
弁慶が言う。
「肩、大丈夫ですか?」
志乃がすぐに聞いた。
包帯は裂け、赤く染まっている。
弁慶は自分の肩を見てから、異物を片手に持ち直した。
「これくらいならば――」
「駄目です」
志乃が遮った。
弁慶が黙る。
圭介が吹き出した。
「弁慶さん、志乃さんには弱いですね」
「弱いのではない」
「じゃあ言うこと聞かなくていいんですか?」
弁慶はしばらく圭介を見たあと、黒い金属の袋を床へ置いた。
「……先に肩を巻き直す」
「素直ですね」
「圭介」
「はい?」
「黙れ」
ようやく戦いが終わったのだと、アラタはそこで少しだけ実感した。
志乃が荷物から布を取り出し、弁慶の肩へ手を伸ばす。
圭介は槍を壁へ立てかけようとして、アラタに見られて持ち直した。
「いや、まだ警戒はしてますよ」
「ならよい」
アラタは大蛇の死骸を振り返った。
八つあった首の一つは切り落とされ、残る七つも床へ沈んでいる。
これほどの魔物が、なぜこの地下にいたのか。
なぜあれほどこちらを逃がそうとしなかったのか。
尾の中にあったものは何なのか。
疑問はいくつも残った。
だが、今ここで答えを探す必要はない。
黒い金属も手に入った。
全員、生きている。
帰ればいい。
「手当てが済んだら戻るぞ」
「賛成です」
圭介が即答した。
「もう何か出てきても、俺は見なかったことにしますからね」
「それは困るのう」
「じゃあアラタさんだけ見てください」
「嫌じゃ」
そんな会話をしていた時だった。
「うーん……」
知らない声がした。
四人の動きが止まった。
男の声。
近い。
アラタは反射的に腰へ手を伸ばし――そこに剣がないことを思い出した。
志乃が弓を上げる。
圭介が槍を構え、弁慶は治療途中の肩を庇うこともなく二人の前へ出た。
「誰だ!」
圭介の声が響く。
返事はない。
アラタは周囲を見た。
そして、大蛇の向こう側に人影を見つけた。
長い石段の途中。
そこに、一人の男が立っていた。
いつからいたのか分からない。
足音も聞いていない。
大蛇の死骸を挟んだ向こう側で、男はまるで最初からそこにいたような顔をしている。
白とも銀ともつかない長い髪。
地下に似つかわしくない褐色の肌。
細身の身体には、金や宝石を使った装飾がいくつも揺れていた。
その中で、青い瞳だけが妙に冷たく見えた。
だが、男は笑っている。
楽しそうに。
大蛇の死骸を眺め、首を傾げた。
「予定とは違うなあ」
圭介がアラタを見る。
志乃も何も言わない。
誰もその言葉の意味が分からない。
アラタだけが、男から目を離さなかった。
「何者じゃ」
男はアラタの方を見た。
「ああ、聞こえてた?」
「聞こえるように言ったのではないのか」
「そうなんだけどね」
男は楽しそうに笑う。
まるで友人と雑談でもしているようだった。
「それ、倒しちゃったんだ」
視線が大蛇へ落ちる。
その言い方に、アラタの目が細くなった。
「知っておるのか」
「知ってるよ」
「では、なぜここにいた」
「それも知ってる」
「お主が置いたのか?」
圭介が息を止めた。
志乃の弓がわずかに上がる。
男は一瞬きょとんとしたあと、声を上げて笑った。
「あはは。いいね。そうやってすぐ決めつけないんだ」
アラタは答えない。
男は大蛇の死骸を見下ろした。
「でも、これは本当に予定と違ったんだよ。もうちょっと困ると思ってたんだけどなあ」
軽い。
あまりにも軽い。
四人が命を懸けた相手を、遊びの途中で起きた小さな失敗のように話している。
弁慶が一歩前へ出た。
「我らを試していたと申すか」
「ん?」
男の視線が初めて弁慶へ向く。
肩から流れる血を見て、笑みを深くした。
「君、面白いね」
弁慶の眉が動く。
アラタが手を上げて止めた。
「相手にするな」
「賢いなあ」
男は嬉しそうだった。
「そういうところも予定と違う」
「先ほどから何の話をしておる」
「別に。こっちの話」
男は石段を一段下りた。
武器を構えているわけでも、殺気を放っているわけでもない。それなのに、近づかせてはいけないとアラタの身体が告げていた。
第一世界でも、似た感覚を覚えたことはある。
強者を前にした時の警戒。
だが、それとも少し違う。
目の前の男がどれほど強いのか、測るための物差しそのものが働かない。
「帰るぞ」
アラタが言った。
圭介が驚いたようにこちらを見る。
男も目を丸くした。
「帰っちゃうの?」
「用は済んだ」
「僕のこと、気にならない?」
「気にはなる」
「なら話そうよ」
「嫌じゃ」
一瞬、沈黙が落ちた。
男が吹き出した。
「あははは! 君、本当に面白いね」
「褒めても残らんぞ」
「困ったなあ」
男は笑いながら顎へ指を当てた。
「せっかくここまで来たのに、そのまま帰るのはつまらない」
アラタの表情が消えた。
「……何をする気じゃ」
「そうだなあ」
男は周囲を見回した。
巨大な石柱。
壊れた祭壇。
暗い通路。
そして、四人。
子供が遊び道具を選ぶように視線を巡らせ、やがて楽しそうに笑った。
「じゃあ、こんなのはどう?」
男が指を鳴らした。
乾いた音が一つ、地下空間に響く。
その直後。
ずっと下――石床のさらに奥から、巨大な何かが動き始めるような低い音が返ってきた。
志乃が顔を上げる。
「……何?」
今度は右から。
続いて、背後から。
石と石が擦れ合う重い音が、地下空間のあちこちから響き始める。
アラタは振り返った。
自分たちが入ってきた通路。
白い印を残した壁が、動いていた。
「嘘……」
志乃が呟く。
石壁が横へずれ、白い印ごと奥へ消えていく。
代わりに、何もなかったはずの場所から暗い通路が口を開けた。
床が震える。
巨大な石柱の向こうで壁が沈み、別の壁がせり上がる。
圭介の顔から血の気が引いた。
「道が……」
志乃が慌てて地図を開く。
視線が紙と目の前の通路を何度も往復する。
「違う」
「何がじゃ」
「道が違います。ここ、こんなふうにつながってなかった」
また一つ、地響きが走った。
今度はもっと遠くから、何かが開く巨大な音が聞こえた。
男だけが楽しそうに眺めている。
アラタは振り返った。
「お主――」
「あ、そうだ」
男は思い出したように手を打った。
「まだ名乗ってなかったね」
青い瞳が細くなる。
「僕?」
男は笑った。
「ロキだよ」
その直後、地下の奥から。
数え切れないほどの咆哮が響いた。




