↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/76

笑う男

「……剣?」


志乃の声に、圭介も尾の方へ目を向けた。


倒れた大蛇の尾は石柱の陰まで伸び、その途中で鱗が大きく裂けている。そこから覗いていたものは、血に濡れてなお鈍い光を返していた。


アラタはすぐには触れなかった。


大蛇の首が動かないことをもう一度確かめてから、尾のそばへしゃがみ込む。


「黒い金属とは違いますよね」


志乃も少し離れた位置から覗く。


「色が違うのう」


採取した黒い金属は、光を吸うような暗い色をしていた。


こちらはもっと淡い。


銀とも違う。灰色にも見えるが、見る角度によって表面の奥に青白い光が走った。


圭介が槍を持ったまま近づいてくる。


「これ、本当に剣なんですか?」


「分からん」


「最近それ多いですね」


「分からんものが多い場所に来ておるからのう」


アラタが露出している部分へ手を伸ばしかけ、止めた。


「弁慶」


「うむ」


弁慶が前へ出る。


「また俺たちじゃなく弁慶さんなんですね」


「素手で触って何かあった時、一番平気そうじゃろう」


「否定できないのが嫌だなあ……」


弁慶は圭介を一瞥したあと、裂けた鱗へ手をかけた。


「引けばよいか」


「無理ならやめろ。壊すなよ」


「心得た」


巨体が腰を落とす。


大蛇の尾から突き出した細長いものを握り、ゆっくりと引いた。


最初は動かなかった。


弁慶が少し力を加えると、肉の奥で何かが剥がれるような音がした。


志乃が顔をしかめる。


「……中に入ってたんですね」


「らしいのう」


さらに引く。


ずるり、と血に濡れた細長いものが尾から抜け落ちた。


弁慶の手に収まったそれを見て、圭介が黙った。


長さは剣に近い。


片側には刃のような薄い縁があり、反対側には握り手にも見える細い部分がある。


だが、鍛冶屋が作った剣には見えなかった。


鍔もなければ、柄巻きもない。


金属を剣の形に削ったというより、最初からその形で存在していたように見える。


「……やっぱり剣じゃないですか?」


圭介が言う。


アラタは弁慶から受け取らず、近くから眺めた。


「剣に見える、じゃな」


「何が違うんです?」


「分からん」


「戻った」


志乃が小さく笑った。


アラタも少し口元を緩めたが、目は異物から離さない。


刃らしき縁に血が流れている。


それでも汚れが表面へ染みつく様子はなく、血だけが滑るように落ちていった。


「とりあえず持って帰りますか?」


志乃が聞く。


「そうじゃな。ここで調べる理由もない」


アラタは黒い金属の袋を見る。


「一緒には入れん方がよさそうじゃ」


「拙僧が持とう」


弁慶が言う。


「肩、大丈夫ですか?」


志乃がすぐに聞いた。


包帯は裂け、赤く染まっている。


弁慶は自分の肩を見てから、異物を片手に持ち直した。


「これくらいならば――」


「駄目です」


志乃が遮った。


弁慶が黙る。


圭介が吹き出した。


「弁慶さん、志乃さんには弱いですね」


「弱いのではない」


「じゃあ言うこと聞かなくていいんですか?」


弁慶はしばらく圭介を見たあと、黒い金属の袋を床へ置いた。


「……先に肩を巻き直す」


「素直ですね」


「圭介」


「はい?」


「黙れ」


ようやく戦いが終わったのだと、アラタはそこで少しだけ実感した。


志乃が荷物から布を取り出し、弁慶の肩へ手を伸ばす。


圭介は槍を壁へ立てかけようとして、アラタに見られて持ち直した。


「いや、まだ警戒はしてますよ」


「ならよい」


アラタは大蛇の死骸を振り返った。


八つあった首の一つは切り落とされ、残る七つも床へ沈んでいる。


これほどの魔物が、なぜこの地下にいたのか。


なぜあれほどこちらを逃がそうとしなかったのか。


尾の中にあったものは何なのか。


疑問はいくつも残った。


だが、今ここで答えを探す必要はない。


黒い金属も手に入った。


全員、生きている。


帰ればいい。


「手当てが済んだら戻るぞ」


「賛成です」


圭介が即答した。


「もう何か出てきても、俺は見なかったことにしますからね」


「それは困るのう」


「じゃあアラタさんだけ見てください」


「嫌じゃ」


そんな会話をしていた時だった。


「うーん……」


知らない声がした。


四人の動きが止まった。


男の声。


近い。


アラタは反射的に腰へ手を伸ばし――そこに剣がないことを思い出した。


志乃が弓を上げる。


圭介が槍を構え、弁慶は治療途中の肩を庇うこともなく二人の前へ出た。


「誰だ!」


圭介の声が響く。


返事はない。


アラタは周囲を見た。


そして、大蛇の向こう側に人影を見つけた。


長い石段の途中。


そこに、一人の男が立っていた。


いつからいたのか分からない。


足音も聞いていない。


大蛇の死骸を挟んだ向こう側で、男はまるで最初からそこにいたような顔をしている。


白とも銀ともつかない長い髪。


地下に似つかわしくない褐色の肌。


細身の身体には、金や宝石を使った装飾がいくつも揺れていた。


その中で、青い瞳だけが妙に冷たく見えた。


だが、男は笑っている。


楽しそうに。


大蛇の死骸を眺め、首を傾げた。


「予定とは違うなあ」


圭介がアラタを見る。


志乃も何も言わない。


誰もその言葉の意味が分からない。


アラタだけが、男から目を離さなかった。


「何者じゃ」


男はアラタの方を見た。


「ああ、聞こえてた?」


「聞こえるように言ったのではないのか」


「そうなんだけどね」


男は楽しそうに笑う。


まるで友人と雑談でもしているようだった。


「それ、倒しちゃったんだ」


視線が大蛇へ落ちる。


その言い方に、アラタの目が細くなった。


「知っておるのか」


「知ってるよ」


「では、なぜここにいた」


「それも知ってる」


「お主が置いたのか?」


圭介が息を止めた。


志乃の弓がわずかに上がる。


男は一瞬きょとんとしたあと、声を上げて笑った。


「あはは。いいね。そうやってすぐ決めつけないんだ」


アラタは答えない。


男は大蛇の死骸を見下ろした。


「でも、これは本当に予定と違ったんだよ。もうちょっと困ると思ってたんだけどなあ」


軽い。


あまりにも軽い。


四人が命を懸けた相手を、遊びの途中で起きた小さな失敗のように話している。


弁慶が一歩前へ出た。


「我らを試していたと申すか」


「ん?」


男の視線が初めて弁慶へ向く。


肩から流れる血を見て、笑みを深くした。


「君、面白いね」


弁慶の眉が動く。


アラタが手を上げて止めた。


「相手にするな」


「賢いなあ」


男は嬉しそうだった。


「そういうところも予定と違う」


「先ほどから何の話をしておる」


「別に。こっちの話」


男は石段を一段下りた。


武器を構えているわけでも、殺気を放っているわけでもない。それなのに、近づかせてはいけないとアラタの身体が告げていた。


第一世界でも、似た感覚を覚えたことはある。


強者を前にした時の警戒。


だが、それとも少し違う。


目の前の男がどれほど強いのか、測るための物差しそのものが働かない。


「帰るぞ」


アラタが言った。


圭介が驚いたようにこちらを見る。


男も目を丸くした。


「帰っちゃうの?」


「用は済んだ」


「僕のこと、気にならない?」


「気にはなる」


「なら話そうよ」


「嫌じゃ」


一瞬、沈黙が落ちた。


男が吹き出した。


「あははは! 君、本当に面白いね」


「褒めても残らんぞ」


「困ったなあ」


男は笑いながら顎へ指を当てた。


「せっかくここまで来たのに、そのまま帰るのはつまらない」


アラタの表情が消えた。


「……何をする気じゃ」


「そうだなあ」


男は周囲を見回した。


巨大な石柱。


壊れた祭壇。


暗い通路。


そして、四人。


子供が遊び道具を選ぶように視線を巡らせ、やがて楽しそうに笑った。


「じゃあ、こんなのはどう?」


男が指を鳴らした。


乾いた音が一つ、地下空間に響く。


その直後。


ずっと下――石床のさらに奥から、巨大な何かが動き始めるような低い音が返ってきた。


志乃が顔を上げる。


「……何?」


今度は右から。


続いて、背後から。


石と石が擦れ合う重い音が、地下空間のあちこちから響き始める。


アラタは振り返った。


自分たちが入ってきた通路。


白い印を残した壁が、動いていた。


「嘘……」


志乃が呟く。


石壁が横へずれ、白い印ごと奥へ消えていく。


代わりに、何もなかったはずの場所から暗い通路が口を開けた。


床が震える。


巨大な石柱の向こうで壁が沈み、別の壁がせり上がる。


圭介の顔から血の気が引いた。


「道が……」


志乃が慌てて地図を開く。


視線が紙と目の前の通路を何度も往復する。


「違う」


「何がじゃ」


「道が違います。ここ、こんなふうにつながってなかった」


また一つ、地響きが走った。


今度はもっと遠くから、何かが開く巨大な音が聞こえた。


男だけが楽しそうに眺めている。


アラタは振り返った。


「お主――」


「あ、そうだ」


男は思い出したように手を打った。


「まだ名乗ってなかったね」


青い瞳が細くなる。


「僕?」


男は笑った。


「ロキだよ」


その直後、地下の奥から。


数え切れないほどの咆哮が響いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。