退かぬなら
中央の太い首が、ゆっくりと出口側へ向きを変えた。
それにつられるように、白い印の前へ回り込んでいた首も動く。道が開きかけたと思った次の瞬間には、別の頭がそこへ滑り込み、また退路を塞いだ。
圭介が槍を握り直した。
「……やっぱり、通してくれる気ないですね」
「そうらしいのう」
アラタは答えながら、大蛇と出口の間を見比べた。
中央を止めれば、他の首の動きが乱れる可能性はある。だが、その間ずっと誰かがあの太い首を押さえ続けなければならない。残った三人だけで七つの首をかわし、出口まで抜けるのは現実的ではなかった。
弁慶に任せれば、志乃と圭介を守る者がいなくなる。
自分が押さえれば、二人を導く剣が減る。
どちらにしても、足りない。
「……止めるだけでは駄目じゃな」
圭介がアラタを見る。
「じゃあ?」
アラタは八つの頭を見上げた。
白く濁った目が、石柱の間からこちらを見ている。
「倒す」
一瞬だけ、圭介の口が止まった。
「……さっきまで逃げるって言ってませんでした?」
「逃げる道がないなら、作るしかあるまい」
「作るって、倒して?」
「そうじゃ」
「言い方が軽いんですよ!」
志乃が緊張した顔のまま、ほんの少しだけ笑った。
弁慶は笑わない。
「アラタ。この荷はどうする」
背には、取り戻した黒い金属がある。
「置け。背負ったまま八つ首を相手にする気か」
「……もっともだ」
弁慶は近くの石柱の根元へ袋を下ろした。
圭介がそれを見て言う。
「場所、覚えておきましょうね」
「お主も覚えておけ」
「俺もですか?」
「拙僧だけに任せるな」
「勝てるのか」
「分からん」
「そこは即答か」
「分からんものを分かるとは言えんじゃろう」
アラタは剣を構え直した。
安物の予備剣だった。刃はまだ使えるが、これまでの戦いですでに細かな傷が増えている。
それでも、武器が弱いから戦えないとは思わない。
「さっきまでで分かったことがある。額の鱗は硬い。じゃが、目と口は嫌がる。首を持ち上げた時に見える下側は、背ほど硬くない」
志乃が中央の太い首を見た。
「私が上を向かせます」
「うむ」
圭介も槍先を上げる。
「じゃあ俺が口を開かせればいいんですね」
「深追いするなよ」
「そこはもう覚えました」
「弁慶」
「二人の前に立つ」
「それだけではない」
弁慶が眉を寄せた。
「わしが斬る間、他の首を近づけるな」
弁慶は一度だけ大蛇を見上げ、それから拳を握った。
「無茶を言う」
「お主にだけは言われたくないのう」
「……承知した」
その返事と同時に、志乃の矢が飛んだ。
中央の目元を狙った矢は鱗に弾かれたが、狙われた頭は反射的に顔を背ける。
圭介がそこへ槍を突き出した。
大蛇は穂先を噛もうと口を開き、すぐに嫌がって頭を持ち上げる。
首の下側が露出した。
「そこじゃ」
アラタが走った。
今度は迷わない。
刃を滑らせるように振り抜くと、黒緑の鱗の隙間から血が噴いた。
深くはない。
だが、斬れる。
中央の頭が暴れ、周囲の首まで大きく揺れた。
「効いてます!」
志乃の声が飛ぶ。
その瞬間、別の頭がアラタへ襲いかかった。
アラタは振り返らず、足音と石床を擦る音だけで身体を沈めた。頭上を牙が通り過ぎる。
圭介が目を剥く。
「今の見えてないですよね!?」
「見えるものだけで戦っておったら、とうに死んでおるわ」
「それを普通みたいに言わないでください!」
通り過ぎた首が戻ろうとした瞬間、アラタは剣を返し、長く晒された首の下側を浅く斬った。
血が細く走る。
「次はこやつじゃ」
中央ではない。今度は、この一つを確実に落とす。
狙いを決めた。
志乃がすぐに矢を番える。
「同じところですか?」
「うむ。顔を上げさせろ」
「はい!」
矢が目元へ飛ぶ。
大蛇が顔を振る。
そこへ圭介の槍が口元へ伸び、頭がさらに持ち上がった。
首の下に、先ほどアラタがつけた浅い傷が見える。
アラタはそこへ踏み込んだ。
一度目より深く刃が入る。
首が暴れ、アラタの身体ごと引っ張ろうとする。
だが、アラタは踏ん張らなかった。
首が振られる方向へ一歩踏み込み、その勢いに合わせて刃を抜く。
傷が横へ大きく裂けた。
「うわ……今の、何したんです?」
圭介が目を見開く。
「力比べはしておらん。こやつの動きに合わせただけじゃ」
「そんなことできるんですか……」
「できんかったら、今ごろ飛ばされておるのう」
大蛇は傷を庇うように頭を低くした。
その反応を見て、アラタはわずかに笑った。こちらの狙いを理解しているかは分からないが、痛む場所を隠そうとはする。
なら、その動きごと利用すればいい。
「圭介。前へ出ろ」
「え?」
「噛まれん程度にじゃ」
「その程度が分からないんですよ!」
「なら今覚えろ」
「無茶苦茶だなあ!」
文句を言いながらも、圭介は出た。
槍先を大蛇の口元へ向ける。
蛇が嫌がって顔を横へ振る。
圭介がさらに半歩だけ詰めた。
「おい、出すぎだ!」
弁慶の声が飛ぶ。
「大丈夫です!」
「その台詞は信用ならん!」
大蛇が苛立ったように口を開いた。
圭介はすぐに槍を引く。
「アラタさん!」
「よし!」
アラタは一歩前へ出て剣先を見せ、そのまま石柱の陰へ滑り込んだ。
傷ついた首が圭介から離れ、アラタを追って柱を回り込む。
その動きで、傷のある側が大きくねじれた。
アラタは反対側から出る。
目の前に、傷口が開いていた。
ここまでで二度、同じ場所へ刃を通している。
そのたびに首はわずかに同じ方向へ逃げた。
筋肉の動きも、骨の位置も、もう読める。
今の身体に、かつての力はない。
それでも、剣を振ってきた時間まで失ったわけではない。
アラタは踏み込み、刃を傷へ差し込んだ。
骨に触れたが、そこで押し込まない。
首が逃げようとする方向へ合わせ、刃先の角度をほんの少し変える。
硬いものに当たっていた感触が、一瞬だけ消えた。
骨の継ぎ目。
「そこか」
首が大きく振られる。
アラタはその勢いを利用した。
自分から力任せに斬り抜くのではなく、大蛇自身の動きに刃を走らせる。
肉が裂け、血が噴き出した。
志乃が息を呑む。
「圭介!」
「はい!」
圭介の槍が開いた口へ飛び込む。
蛇が反射的に首を反らした。
傷がさらに開く。
アラタは最後の一歩を入れた。
剣閃が、開いた継ぎ目を正確に通る。
鈍い手応えのあと、急に刃が軽くなった。
巨大な頭が床へ落ちた。
石床が揺れ、切り落とされた首の付け根から血が激しく噴き出す。
圭介が固まった。
志乃も弓を引いたまま、落ちた頭を見ている。
弁慶だけが残る首から目を離さず、低く言った。
「見事」
アラタは息を吐いた。
手の痺れが強い。
剣を見ると、刃には新しい欠けができていた。
「一本でこれか」
「今そこ気にします!?」
「あと七つあるんじゃぞ」
「だから今言わないでくださいって!」
残った首が一斉に持ち上がったが、今までのようにすぐ飛び込んではこなかった。
落ちた頭を見ているのか、アラタを見ているのかは分からない。
だが、明らかに動きが変わった。
志乃が小さく言う。
「……警戒してる?」
「分からん」
アラタは剣を握り直した。
「じゃが、一つは分かった」
圭介が槍を構える。
弁慶も志乃たちの前へ戻る。
アラタは七つの頭を見上げた。
「殺せる」
中央の太い首が、低く唸った。
その声に合わせて、残った首がゆっくり広がっていく。
追いすがるだけだった先ほどまでとは違い、残った七つの首は距離を取り、四人を囲み直すようにゆっくりと広がっていった。




