白紙の先
地図の線が途切れた場所を越えてから、道の様子は少しずつ変わっていった。
最初は、ただ人の手が入っていないだけに見えた。
壁は粗く、天井も低い。
足元には崩れた石が多く、ところどころで水が染み出している。
志乃は先ほどまで何度も開いていた地図を畳み、腰の袋へしまった。
「ここから先は、見ても仕方ないですね」
「白紙じゃからのう」
アラタが灯りを前へ向ける。
圭介は後ろを振り返った。
曲がり角の壁には、三人が付けた白い印が残っている。
「今のところ、ちゃんとあります」
「帰りにもあるといいけど」
志乃の返事に、圭介の顔が少し曇った。
「それ、怖い言い方ですね」
「昨日聞いた話を忘れない方がいいでしょ」
「忘れてないから怖いんですよ」
二人のやり取りを聞きながら、アラタは壁へ手を伸ばした。
指先が石をなぞる。
「……ん?」
「どうしました?」
志乃が近づく。
アラタは灯りを寄せた。
それまで壁に残っていたつるはしの跡が、いつの間にか減っている。
代わりに、石の表面が妙に平らだった。
「掘った壁ではないのう」
圭介も触ってみる。
「本当だ。なんか、ちゃんとしてる」
「ちゃんとしてる、では分からん」
「いや、何て言えばいいんですか。壁が壁っぽいっていうか」
志乃が少し笑った。
「坑道の壁より、建物の壁みたいってこと?」
「それです」
三人はさらに進んだ。
変化は、数十歩も歩けばはっきりした。
荒い岩肌の間に、四角く切り揃えられた石が混じり始める。
やがて床も変わった。
土と砕石の地面が途切れ、平たい石板が並ぶ。
一枚一枚の大きさは不揃いだが、自然に割れたものではない。
明らかに誰かが敷いたものだった。
圭介が足元を見る。
「鉱山の人が作ったんですかね?」
アラタは首を振った。
「少なくとも、最初から坑道として掘った場所には見えんのう」
志乃が後ろを振り返る。
「坑道を掘っていたら、ここにぶつかった?」
「その方が自然じゃな」
アラタは少し楽しそうに奥を見る。
「昔の者が地下に何かを造り、その後で別の者が鉱山を掘ってここへ繋がった。そういうことかもしれん」
圭介がため息をついた。
「楽しそうですね」
「面白いではないか」
「俺は、こういう古い遺跡って大体ろくなことがないイメージなんですけど」
「何の話じゃ?」
「いや……何でもないです」
志乃が圭介を見る。
「ゲーム?」
「だいたいそうです」
アラタにはよく分からなかったが、二人が分かっているなら放っておくことにした。
通路は少し広くなっていた。
三人が横に並ぶには足りないが、剣を振るう余裕は先ほどよりある。
壁には細い溝のような模様が走っていた。
文字なのか、装飾なのかは分からない。
アラタは一度足を止めたが、触れずに進んだ。
「調べないんですか?」
圭介が聞く。
「今は剣の材料を探しに来たんじゃ。分からんものを全部調べておったら帰れんぞ」
「玄馬さんの忠告、効いてますね」
「わしは元々慎重じゃ」
志乃と圭介が同時にアラタを見る。
「何じゃ、その目は」
志乃が先に視線を戻した。
「別に」
しばらく進むと、空気の匂いが変わった。
湿った石の匂いに、何か生臭いものが混じる。
アラタが止まる。
今度は二人もすぐに気づいた。
「血ですか?」
志乃が声を落とす。
「新しいのう」
アラタは剣を抜いた。
圭介も槍を構える。
少し先の角を曲がる。
最初に見えたのは、黒い塊だった。
灯りを近づけると、それが魔物の死骸だと分かる。
四足。
太い前脚。
裂牙犬よりはるかに大きい。
アラタにも見覚えのない種類だった。
首の半分ほどが、大きく裂けている。
圭介が息を呑んだ。
「……これ、何にやられたんですか?」
アラタはしゃがみ、傷を見る。
「刃物じゃな」
「剣?」
「分からん。剣にしては傷が深い」
志乃は周囲を見る。
「まだ血が乾いてません」
床には引きずった跡もない。
ここで倒されたらしい。
アラタが立つ。
「誰かおるな」
その言葉で、圭介の手に力が入った。
「討伐者ですか?」
「それも分からん」
さらに奥へ進む。
二つ目の死骸。
今度は壁際に倒れていた。
腹が横に裂けている。
三つ目は、頭を砕かれていた。
志乃が眉を寄せる。
「同じ人が倒したんでしょうか」
アラタは答えず、傷を順番に見た。
切られたもの。
潰されたもの。
深く突かれたもの。
傷の形が揃っていない。
「一つの武器ではないかもしれんのう」
「何本も持ってるってことですか?」
「あるいは、何人かいるかじゃ」
圭介が少し安心したような顔をした。
「何人かの方が普通ですね」
「そうじゃな」
アラタはそう答えたが、まだ何かを考えている様子だった。
その先で、折れた武器が落ちていた。
短い槍。
穂先の根元から折れている。
少し離れた場所には、刃こぼれした剣。
さらに先には、柄だけになった斧。
圭介が拾いかけて、やめた。
「これ……全部ここで?」
志乃がしゃがみ込む。
「古くないです」
錆びていない。
土にも埋もれていない。
最近、誰かが捨てたものだ。
「戦って壊れたんでしょうか」
「槍はそうかもしれん」
アラタが折れた穂先を見る。
「じゃが、この剣は違う」
「違う?」
「刃が潰れておる。折れるまで使ったというより、使えなくなって捨てたように見える」
圭介が剣を見る。
「……武器を替えながら進んでる?」
志乃が立ち上がった。
「そんな人、いるんですか?」
アラタは少しだけ笑った。
「世の中には色々おる」
それから、落ちた武器と魔物の死骸をもう一度見た。
「少なくとも、並の討伐者ではなさそうじゃのう」
圭介が嫌そうな顔をする。
「アラタさんがそう言うと、絶対普通じゃない人な気がするんですけど」
三人は歩みを遅くした。
ここからはアラタが完全に先頭に立つ。
志乃が中央。
圭介が後ろ。
来た道への警戒も必要だった。
さらに進むと、死骸の数が増えた。
狭い場所で二頭。
少し広い場所で四頭。
どれも長く放置されたものではない。
中には壁へ叩きつけられたように身体が潰れたものまである。
圭介はもう冗談を言わなくなっていた。
「アラタさん」
「何じゃ」
「これ、本当に先へ行って大丈夫ですか?」
アラタは足を止めた。
志乃もアラタを見る。
昨日の玄馬の言葉がある。
戻ると言ったら戻す。
アラタは圭介に聞いた。
「戻りたいか?」
圭介はすぐには答えなかった。
前方を見る。
それから志乃を見る。
「……まだ、行けます」
アラタは志乃へ視線を移した。
「私はもう少し進みます。ただ、先にいる人と戦うことになるなら話は別です」
「うむ」
「アラタさんは?」
圭介が聞く。
「わしか?」
「一番行きたそうなので」
「わしも二人が戻るなら戻るぞ」
圭介が少し意外そうな顔をした。
アラタは眉を上げる。
「何じゃ」
「いや、ちゃんと玄馬さんの話を聞いてたんだなって」
「お主ら、わしを何だと思っておる」
少しだけ空気が緩んだ。
だが、それは長く続かなかった。
先の暗闇から、音がした。
――ガァン。
三人が同時に止まる。
金属と金属が激しくぶつかったような音。
一度。
少し間を置いて、もう一度。
――ガンッ!
今度はもっと近い。
圭介が槍を握り直した。
志乃も弓へ手を伸ばす。
その直後。
低い唸り声。
何かが床を駆ける音。
そして、
――ドンッ!
重い何かが壁へ叩きつけられた。
静かになる。
数秒後、また金属音。
アラタの表情から、先ほどまでの楽しげな色が消えた。
「……近いのう」
志乃が小声で聞く。
「どうします?」
アラタは灯りの届かない先を見る。
そこにはまだ何も見えない。
だが、誰かがいる。
しかも一体や二体の魔物を相手にしているような音ではなかった。
「少しだけ近づく」
アラタが言った。
「姿を確認する。危ないと思ったらすぐ戻るぞ」
二人が頷く。
三人は灯りを落とし気味にして、音のする方へ進んだ。
曲がり角を一つ。
さらにもう一つ。
その先。
暗闇の向こうで、また凄まじい金属音が響いた。
今度は、誰かの声も混じった。
低く、太い男の声。
何を言ったのかまでは聞き取れない。
ただ、その声には怒りがあった。
アラタは足を止める。
床には、また一本。
折れた武器が落ちていた。
今度は、長い柄の先に大きな刃を持つ武器だった。
その刃には、まだ新しい血が付いている。
アラタはそれを一度見てから、暗闇の先へ目を向けた。
また金属が鳴った。
白紙の先には、すでに誰かがいる。




