迷宮の地図
四人が討伐者の詰所へ着いた頃には、日が少し傾き始めていた。
扉を開ける。
中は以前より騒がしかった。
壁際では討伐者たちが依頼札を見比べ、奥では何人かが紙束を抱えて行き来している。東で起きた戦の影響が、ここにも残っているらしい。
「戻った者の確認が先だ! 依頼の再開はその後!」
聞き覚えのある声が飛ぶ。
机の向こうで、榊玄馬が紙束を片手に立っていた。
玄馬は復旧の引き継ぎを済ませ、一足先に町へ戻っていたらしい。
「おお、玄馬」
玄馬が顔を上げ、それからアラタの腰を見る。
新しい剣が下がっている。
「……もう買ったのか」
「うむ」
「折るなよ」
「会って最初にそれか?」
「前のを折った奴に言ってる」
巴が小さく笑った。
玄馬はそのまま巴を見る。
「そっちも戻ったか」
「うん。ただいま」
「宿場は?」
「動けない人はまだいるけど、急いで町へ運ばないと危ない人はだいぶ減ったよ」
「そうか」
玄馬は短く頷いた。
それから志乃と圭介へ目を向ける。
「で、何でこの四人で来た」
アラタが答える。
「迷宮へ行こうと思ってのう」
玄馬の手が止まった。
「……帰ってきたその日に、今度は地の下か」
「戦争ではないぞ」
「そういう話をしてるんじゃない」
玄馬はため息をつく。
「どこの話だ」
「町から少し離れた古い坑道じゃ。奥で妙な金属が採れるらしい」
玄馬の表情が変わった。
「あそこか」
志乃が聞く。
「知ってるんですか?」
「知ってる。詰所から入った奴もいる」
「危険ですか?」
「危険じゃない迷宮があるなら教えてくれ」
志乃は黙って頷いた。
玄馬は机の下から一冊の綴じた帳面を取り出した。
何枚かめくる。
「坑道自体は昔の鉱山跡だ。問題は、その先で古い遺構に繋がってることだ」
「鍛冶屋からも聞いたのう」
「浅いところは何度も人が入ってる。道もある程度分かってる」
「奥は?」
玄馬は一枚の紙を抜き、机の上へ広げた。
簡単な線で坑道らしきものが描かれている。
入口から何本か道が分かれ、その先に別の区画が続いていた。
だが途中から線は急に少なくなり、さらに奥は白紙だった。
「ここから先は、まともな地図がない」
アラタが覗き込む。
「誰も行っておらんのか?」
「行った奴はいる。だが、戻ってきた奴が全部同じ道を通ったとは限らん」
玄馬は白紙の手前を指す。
「崩れた場所もある。枝道も多い。暗い。魔物も出る」
圭介の表情が少し強張った。
玄馬は続ける。
「地上みたいに遠くから全体を見られない。狭い場所じゃ人数が多くても邪魔になる。前と後ろが離れれば、何が起きてるかも分からん」
志乃が地図を見る。
「退路を確認しながら進む必要がありますね」
「そういうことだ」
玄馬が志乃を見る。
「行くのか?」
志乃はすぐには答えなかった。
もう一度、地図を見る。
「行きます。ただ、無理だと思ったら私は戻ります」
玄馬が頷いた。
「それでいい」
それからアラタを見る。
「アラタ。こいつらをお前基準で奥へ連れていくな。戻ると言ったら戻せ」
「分かっておる」
圭介も地図を見たまま言う。
「俺も行きます」
声には少し緊張があった。
玄馬は二人を見てから、話を戻した。
「黒い金属が欲しいんだったな」
「うむ」
「持ち帰った記録はある。量は多くない。鍛冶屋に回った物も、その一つだろう」
「どこで採れた?」
「分からん」
アラタが顔を上げた。
「場所を覚えておらんのか?」
「覚えてないんじゃない。説明できなかったんだ」
玄馬の指が、地図の白い部分を叩く。
巴が尋ねる。
「どういうこと?」
「道が多すぎたらしい。曲がって、下りて、また曲がって。目印を付けながら進んだが、帰りにはいくつか見つからなかったと言ってる」
圭介が眉を寄せた。
「消えたんですか?」
「そこまでは分からん。見落としただけかもしれん。魔物に剥がされたのかもしれん。誰かが動かしたのかもしれん」
玄馬はそこで言葉を切った。
「分からないものを、勝手に不思議な力のせいにするな」
「……はい」
アラタが少し笑う。
「玄馬らしいのう」
「お前は逆に面白がるな」
「まだ何も言っておらんぞ」
「顔に出てる」
巴がアラタを見る。
確かに、少し楽しそうだった。
玄馬は地図を指した。
「アラタ」
「何じゃ」
「お前が強いのは知ってる。だが、ここでそれを基準にするな」
アラタの表情から笑いが消える。
「こいつらはお前じゃない」
「分かっておる」
「地上なら、お前が前へ出て敵を片づけることもできる。だが地下で勝手に奥へ行けば、後ろに残る奴らは自分で戻らなきゃならん」
アラタは地図を見る。
暗い坑道。
狭い道。
枝分かれする通路。
確かに、戦場とは違う。
敵を倒せば終わる場所ではない。
「それに」
玄馬がアラタの腰の剣を見る。
「狭いところじゃ、その剣も好きには振れんぞ」
アラタも腰を見る。
「……それは考えておかねばならんのう」
玄馬は紙を一枚引き寄せた。
「必要な物を書いておく」
灯り。予備の灯り。縄。水。食料。傷薬。道に印を残す物。
巴が覗き込む。
「布でもいい?」
「残るならな。壁へ直接印を付けられる物も持て」
志乃が頷く。
「同じ場所へ戻ったか確認できますね」
「そうだ」
玄馬は書き終えた紙をアラタへ渡した。
「今日は準備だけにしろ」
「もう夕方じゃからのう」
「朝でも同じことを言う」
アラタが玄馬を見る。
玄馬の顔は真面目だった。
「強いから止める必要がない、とは思ってない」
少しだけ間があった。
「強い奴ほど、行けると思った時に行きすぎる」
アラタは黙った。
昔も何度か、似たようなことを言われた気がする。
一人や二人ではなかった。
「分かった」
今度は素直に頷いた。
玄馬もそれ以上は言わない。
志乃が地図を指す。
「これ、写してもいいですか?」
「そのために出した」
「ありがとうございます」
圭介が白紙になっている奥を見る。
「結局、この先は入ってみないと分からないんですね」
「そうなる」
アラタも白紙を見る。
地図の線が途切れた、その先。
そこに何があるのかは分からない。
魔物か。
金属か。
それとも、何もないのか。
分からないからこそ、少しだけ胸が騒ぐ。
玄馬がそんなアラタを見て、ため息をついた。
「頼むから、白紙を全部埋めようとするなよ」
アラタは少し考えた。
「努力はする」
「そこは『分かった』と言え」
机の上には、途中で途切れた迷宮の地図が残っていた。
その先は、まだ白い。




