剣がない①
チンギス軍が東へ退いてから、数日。
アラタたちは宿場の復旧を手伝ったのち、ようやく最初に暮らし始めた町へ戻ってきた。
町へ続く道を歩きながら、アラタはどこか懐かしい気分になっていた。
それほど長く離れていたわけではない。
だが東の宿場では董卓と戦い、その後にはチンギスの大軍が押し寄せた。最後には白い龍となったリーズまで現れた。
数日どころか、ずいぶん長い時間が経ったような気がする。
町の門をくぐる。
そこには、以前と変わらない日常があった。
暖簾を出す店。
通りを行き交う荷車。
軒先で野菜を並べる商人。
走り回る子供たち。
遠くから鍛冶の槌音も聞こえる。
もちろん、何も知らないわけではない。
東で大きな戦があったことは、すでに町にも伝わっているらしい。
董卓に続いてチンギス・ハーンが現れ、巨大な白龍まで戦場へ降りた。
しかも、その龍が一人の少年を「我が主」と呼んだ。
人から人へ渡るうちに、話はかなり膨らんでいるようだった。
アラタが通りを歩いていると、何人かがこちらを見る。
「あれじゃないか?」
「龍の……」
「本当に子供だぞ」
小声のつもりなのだろうが、普通に聞こえていた。
「……見られておるのう」
隣を歩く巴が笑う。
「有名人ですね」
「嬉しくないのう」
「私、さっきもっとすごい噂聞きましたよ」
「聞きたくない」
「白い龍の背中に乗って、敵軍の上を飛んだって」
「乗っておらん」
「龍と一緒にチンギスを食べたって話も」
アラタが立ち止まった。
「なぜ食うんじゃ」
「私に言われても」
「生きて帰ったはずなのに、途中からわしが化け物になっておるではないか」
巴が肩を震わせる。
「明日にはもっと増えてそうですね」
「頼むから止めてくれんかのう」
「無理だと思う」
即答された。
アラタはため息をついて歩き出した。
その時だった。
「アラタさん?」
後ろから声がした。
聞き覚えがある。
振り返る。
少し離れたところで、黒髪を一つに結んだ少女が立ち止まっていた。
その隣には槍を背負った青年がいる。
黒田志乃。
斎藤圭介。
「おお」
アラタの顔が緩んだ。
「久しぶりじゃのう」
圭介が目を見開いた。
「いやいやいや」
こちらへ早足で近づいてくる。
「久しぶりじゃのう、じゃないですよ!」
「そうか?」
「そうですよ!」
圭介はアラタの頭から足まで見る。
「どこも怪我してないんですか?」
「しておらんぞ」
「……チンギス・ハーンと戦って?」
「うむ」
「何で?」
「何でと言われてものう」
「普通、何かあるでしょう!」
「剣なら折れたぞ」
「そっちじゃないです!」
志乃が横で小さく息を吐いた。
「圭介」
「あ、すみません」
「ここ、通りです」
「はい」
志乃は圭介を止めてから、アラタを見る。
しばらく何も言わなかった。
視線が、アラタの腕、肩、顔へ移る。
本当に無事なのか確かめているのだろう。
やがて。
「……ちゃんと戻ってきましたね」
静かな声だった。
アラタは一瞬だけ目を細めた。
宿場へ向かう前。
志乃が言っていた。
――ちゃんと戻ってきてください。
アラタは笑った。
「約束したからのう」
志乃も、ほんの少し笑った。
「なら、よかったです」
それだけだった。
だが、それで十分だった。
圭介も少し気まずそうに頭を掻く。
「俺も気をつけてって言いましたけど」
「覚えておるぞ」
「本当ですか?」
「疑うでない」
「でも聞いた話だと、全然気をつけてないんですよ」
「失礼じゃのう。かなり気をつけておった」
巴が横から言う。
「普通の人の基準とは違うと思う」
「巴お嬢ちゃんまで」
志乃がそこで巴を見る。
「巴さんも、おかえりなさい」
「ただいま」
「宿場の治療、大変だったって聞きました」
「うん。まあね」
巴は少しだけ疲れを思い出したような顔をしたが、すぐに笑った。
「でも、みんなが手伝ってくれたから」
圭介がアラタを見る。
「で」
「何じゃ」
「白い龍って何なんですか?」
アラタは黙った。
「昔の仲間じゃ」
「それで済ませます?」
「済ませたいのう」
「無理ですよ!」
「名前はリーズ=アルヴァレインじゃ」
「名前まで格好いい……」
圭介が妙なところで落ち込んだ。
「何でお主が落ち込む」
「いや、俺の知り合いに白い龍なんていないので」
「普通はおらん」
「アラタさんの普通、最近信用できないんですよ」
志乃が頷く。
「それは少し分かります」
「志乃まで」
巴も、
「私も」
と続けた。
アラタは三人を見る。
「わしの味方がおらん」
「白い龍は味方ですよ」
圭介が真顔で言った。
「今はおらん!」
通りで巴が吹き出した。
「では飯でも食いながら話すかのう」
圭介の顔が明るくなる。
「全部話してくれるんですか?」
「全部とは言っておらん」
「そこですよ!」
◇
四人は近くの食堂へ入った。
アラタの前には白い飯、味噌汁、焼き魚、漬物が並んでいる。
それを見た瞬間、肩の力が抜けた。
「平和じゃのう」
圭介が箸を止める。
「さっきまで白い龍の話してましたよね?」
「それと飯は別じゃ」
「切り替え早すぎません?」
アラタは味噌汁を一口飲んだ。
「うまい」
向かいに座る巴が笑う。
「おじいちゃんみたい」
「中身はだいたい合っておる」
「見た目は十五歳」
志乃が小さく笑う。
圭介だけが少し困った顔をした。
「この人、本当に百歳超えてるんですよね」
「前にも聞いたじゃろ」
「聞きましたけど、何回聞いても慣れないんですよ」
「そのうち慣れる」
「白い龍まで出てきたので、逆に慣れるの無理そうです」
その時、志乃がアラタの横へ視線を向けた。
「ところで」
「何じゃ?」
「それ、何ですか?」
椅子に立てかけてあるのは、中身のない鞘だけだった。
アラタは目を逸らす。
「鞘じゃ」
「それは分かります」
「なら問題ないのではないか」
「剣は?」
圭介まで見る。
アラタは焼き魚をほぐした。
「折れた」
「え?」
「折れた」
圭介が目を見開く。
「どうやったら剣って折れるんですか?」
「戦えば折れることもある」
巴が口を挟む。
「チンギスと戦ってる途中から、かなりボロボロだったみたい」
「それで戦い続けたんですか?」
「使えたからのう」
志乃が少し呆れた顔をする。
「リーズさんは、その剣を見て何も言わなかったんですか?」
アラタが止まった。
巴が笑った。
「ものすごく言われてたよ」
「怒られてはおらん。呆れられた程度じゃ」
巴が少し胸を張った。
「『我が主! そんな剣を使っていたのか!』」
アラタが顔をしかめる。
「似ておらん」
圭介が笑った。
「本当にそんな感じなんですか?」
「もっと偉そうじゃ」
「そこは否定しないんですね」
「事実じゃからのう」
志乃も口元を押さえている。
圭介が聞く。
「新しい剣は?」
「これから買いに行く」
「普通のを?」
「普通のでよいじゃろ」
三人が同時にアラタを見る。
「何じゃ」
最初に口を開いたのは巴だった。
「リーズが聞いたら怒るね」
志乃が頷く。
「私もそう思います」
圭介も続いた。
「俺も」
「なぜ全員リーズ側なんじゃ」
圭介が真顔で答える。
「前の剣を折って帰ってきた人だからです」
アラタは少し黙った。
「……ぐうの音も出んのう」




