↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/75

15歳の新参者

役所の戸をくぐると、外の賑わいが少しだけ遠くなった。


中は思ったより広かった。


正面には長い木の受付台。

壁には何枚もの札と紙が並び、奥では数人の役人らしい者たちが筆を走らせている。


待っている者の姿も様々だった。


腰に刀を差した男。

見慣れない形の帽子を被った老人。

アラタの記憶にあるものより、ずっと新しい服装の若者。


その誰もが、特別珍しいものを見る様子もなく同じ部屋に座っている。


「本当に時代が入り交じっておるのう」


「ここにいると、そのうち慣れますよ」


巴はそう言いながら、受付の端に置かれた木札を一枚取った。


「新しく来た人は、まずこれです」


「文字が多いのう」


「まだ何も書いてません」


「これから増えるという意味じゃ」


「始める前から嫌そうな顔しないでください」


アラタは小さく笑った。


書類仕事が嫌いなわけではない。

必要ならいくらでもやる。


ただ、好きかと聞かれれば話は別だった。


「次の方」


受付の向こうから声がかかった。


巴に促され、アラタは前へ出る。


座っていたのは四十ほどに見える女性だった。

髪を後ろでまとめ、慣れた手つきで新しい紙を一枚引き寄せる。


「新規の方ですね」


「そうじゃ」


女性の筆が止まった。


一度、アラタを見る。


「……ずいぶん古風な話し方ですね」


「よく言われる」


隣で巴が小さく吹き出した。


「お名前は?」


「小佐々新」


「コザサ、アラタ」


さらさらと筆が動く。


「出身は?」


「日本じゃ」


「地域は分かりますか?」


アラタは少し考えた。


答えられないわけではない。

だが、自分が知っていた日本から、どれほど時間が経っているのかも分からない。


「元は日本じゃが、その後、長く別の場所で暮らしておった」


女性が顔を上げた。


「別の場所?」


「日本ではない世界じゃよ」


筆が止まった。


今度は少し長かった。


「一度、日本とは別の世界で生きたということですか?」


「そうじゃな」


女性はアラタの顔を見たあと、紙へ視線を戻した。


「では、ここへ来る前の人生が二度ある、と」


「そうなるのう」


「……三度目の人生」


「うむ」


受付の女性がゆっくり筆を置いた。


「少々お待ちください」


「何か問題か?」


「いえ。どこへ書くか考えています」


隣で巴が口元を押さえている。


「笑っておるな?」


「笑ってません」


「目が笑っておるぞ」


「だって、役所の人まで困らせてるから」


「わしのせいではなかろう」


「たぶんアラタのせいです」


女性は咳払いを一つし、紙の端へ何かを書き足した。


「これは備考へ入れておきます」


「そんな欄があるのか」


「今、使うことにしました」


「役所も柔軟じゃのう」


「こういう場所ですから」


真顔で返され、アラタは感心した。


「次に年齢です」


「年齢」


アラタは自分の身体を見下ろした。


それから巴を見る。


「どう見える?」


「そこで私に聞くんですか?」


「鏡をまだ見ておらんからのう」


巴は腕を組み、改めてアラタを眺めた。


「私より下ですね。十四……十五くらいじゃないですか?」


「では十五で」


受付の女性がまた筆を止める。


「自己申告で大丈夫ですが、本当に十五でいいですか?」


「身体は、じゃな」


「身体は?」


巴が顔を背けた。


肩が震えている。


「精神年齢まで書く欄があるなら、百を越えた辺りから数えておらん」


「ありません」


「なら十五でよい」


今度こそ、受付の女性も少しだけ笑った。


紙には十五と記された。


百年以上を生きた末に。


三度目の人生で。


十五歳。


「妙な気分じゃのう」


「見た目には合ってますよ」


「お主より年下か」


「そうです。だから私をお嬢ちゃんって呼ぶのやめません?」


「それとこれとは別じゃな」


「何が別なんですか!」


年齢の次は、身体の状態。


大きな怪我や病気がないか。

読み書きができるか。

何か仕事の経験があるか。


そこまでは順調だった。


問題は、その次だった。


「得意なこと、あるいは仕事にできそうなことはありますか?」


「得意なことか」


「農作業、商売、大工、料理、読み書き、護衛。何でも構いません」


アラタは考えた。


国を治めていた。


戦争もした。


外交もした。


兵站も組んだ。


魔法も剣も使える。


だが、それをここで一から説明する気にはならない。


「剣と魔法は、多少」


受付の女性の筆が止まった。


「……魔法も使えるんですか?」


「うむ」


女性は改めてアラタを見た。


「こちらへ来る方の中には、生前に名を残した英雄や偉人で、特殊な力を持つ方が時折います」


「ほう」


アラタが少し興味を示す。


受付の女性は迷ってから聞いた。


「失礼ですが、あなたも英雄と呼ばれるような方だったんですか?」


「さてのう」


「さて、って……」


巴が横から呆れた声を出した。


「剣も魔法も使えて、三度目の人生なんですよね?」


「そうじゃな」


「絶対、何か隠してますよね」


「剣と魔法が使えることと、昔の肩書きは別の話じゃろう」


「その言い方がもう怪しいんですけど」


受付の女性は二人を見比べたあと、別の紙を取り出した。


「……ひとまず、戦闘経験ありとしておきます。でしたら、討伐者という仕事もあります」


「さっき聞いた、魔物を倒す仕事か」


「はい。ただし登録は別です。戦えるという自己申告だけでは仕事を回せませんので、簡単な確認があります」


「当然じゃな」


アラタは頷いた。


誰でも剣を持てば仕事を受けられる仕組みではないらしい。


それは良い。


腕のない者が危険な場所へ行けば、本人だけでなく周囲まで巻き込む。


「今日すぐ受ける必要はありません。まず町での生活を整えてください」


受付の女性はそう言って、今度は小さな木の札を差し出した。


表にはアラタの名。

裏にはいくつかの印が刻まれている。


「当面の身分証です。なくさないでください」


「これがあればよいのか?」


「町の中では。新しく来た方には三日分の共同宿と、最低限の食事を用意しています。服や履物も、必要なら貸し出しがあります」


アラタは木札を指先で裏返した。


「随分と整っておるな」


「新しく来る方は珍しくありませんから」


「費用は?」


「最初の三日は町持ちです。その後は自分で働いてください」


横で巴が頷く。


「だから、ずっと無料じゃないって言ったでしょう?」


「なるほどのう」


アラタは受付台の奥へ目を向けた。


積まれた記録。


案内用の札。


新しく来た者へ渡すらしい衣服や食事券。


完璧とは言わない。


だが、目覚めたばかりで何も持たない者が、その日のうちに飢えたり野宿したりしない程度には仕組みができている。


「誰か一人が作った制度か?」


受付の女性が首を振った。


「いいえ。昔から、必要になるたびに少しずつ変わってきたそうです」


「そうか」


それだけ答えた。


必要なものが、必要だから残る。


派手さはない。


だが、こういう仕組みの方が国や町を長く支える。


「何か気になるんですか?」


巴が聞く。


「いや。よくできておると思っただけじゃ」


「珍しいですね。さっきまで書類を嫌がってたのに」


「書類と仕組みは別じゃ」


「そこ分けるんだ……」


登録を終えると、巴は迷うことなく役所を出た。


そして数軒先の食堂へ入る。


暖簾をくぐった瞬間。


アラタの足が止まった。


炊きたての米。


味噌。


焼いた魚。


醤油。


懐かしい匂いが、一度に押し寄せてきた。


「…………」


「アラタ?」


「いや」


ほんの少しだけ、目を細める。


「これは、反則じゃのう」


「何がです?」


「腹が減っておる時に、この匂いはずるい」


「さっきからそればっかりですね」


通された席に座る。


巴が食事券を一枚出すと、ほどなく膳が運ばれてきた。


白い飯。


味噌汁。


焼き魚。


漬物。


豪華ではない。


むしろ、どこにでもありそうな食事だった。


アラタは箸を持ったまま、しばらく膳を見た。


「食べないんですか?」


「食べるとも」


米を一口。


味噌汁を一口。


それだけで、胸の奥に何かが落ち着いていく。


百年近く前。


まだ日本で暮らしていた頃なら、特別とも思わなかった味だった。


あの世界にも似た料理はあった。


自分で作らせたこともある。


それでも。


やはり少し違う。


「……うまいのう」


それ以上の言葉はいらなかった。


巴は何も言わず、自分の飯を食べ始めた。


しばらくして。


「おかわり、できますよ」


「何?」


アラタが顔を上げた。


「ご飯。一杯までは」


「それを先に言わんか」


「さっきまでしみじみしてた人の台詞じゃないですよ!」


結局。


アラタはきれいに二杯食べた。


食堂を出る頃には、先ほどまでの空腹が嘘のように消えていた。


「さて」


「共同宿はこっちです」


「その前に、仕事の掲示だけ見てもよいか?」


「もう働く気なんですか?」


「食わせてもらったからのう」


巴は少し呆れた顔をした。


それでも、通りの一角にある掲示板へ案内する。


荷運び。


店の手伝い。


修繕。


薬草採取。


そして。


少し離れた場所に、魔物討伐の依頼がまとめて貼られていた。


アラタはそこへ目を向ける。


巴がすぐに気づいた。


「先に言っておきますけど」


「何じゃ?」


「討伐者になるなら、明日いきなり危ない依頼を受けるのは禁止です」


「まだ何も言っておらんぞ」


「顔に書いてあります」


「わしはそんなに分かりやすいかのう」


「食べ物と戦うことに関しては、たぶん」


「失礼な評価じゃ」


巴はため息をつき。


アラタの足元を指差した。


借り物の、小さな草履。


「そもそも、その格好で魔物と戦うつもりですか?」


アラタも足元を見る。


「……確かに動きにくいのう」


「でしょう?」


「では明日は、まず武器を」


「靴です」


「武器ではなく?」


「靴です」


「しかし――」


「靴です」


有無を言わせぬ声だった。


アラタはしばらく巴を見て。


やがて諦めたように頷いた。


「分かった。靴じゃな」


「最初からそう言ってください」


三度目の人生。


最初に手に入れるべきものは、剣でも魔法でもなく。


どうやら、自分の足に合った一足らしい。


お読みいただきありがとうございます。

感想などいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。