征服王チンギス・ハーン
東方の軍営では、夜が明ける前から人が並ばされていた。
昨日まで別の町を守っていた兵たちだ。武器は取り上げられ、手首には縄をかけられている。列の前には、チンギス軍の兵が槍を持って立っていた。
中央の天幕から出てきたのは、十歳ほどにしか見えない少年だった。
濡れたような黒髪に、整った幼い顔。その中で細い目だけが、朝の薄暗がりの中で妙に鋭かった。
降伏兵の一人が、その姿を見て戸惑った。
「あれが……大ハーン?」
隣の男が顔を伏せる。
答えるより先に、チンギスが聞いた。
「何人だ」
「二百を超えています」
側近が答える。
「門を開いた者と、最後まで抵抗した後に武器を捨てた者が混じっています」
「同じでいい。前へ回せ」
側近が一瞬だけ黙る。
「全員を、ですか」
「降ったんだろう?」
「はっ」
「なら、次は役に立つところを見せてもらう」
少年は降伏兵の列を見渡した。
「三度だ」
「……三度?」
「三つの戦場で先頭に立たせろ。三度生き残った者だけ、儂の兵に入れる」
列の中にざわめきが走った。
「逃げた者は」
「後ろから斬れ」
あまりにも簡単に言うので、何を命じたのか理解するまで一拍遅れた。
列の中から声が上がる。
「待ってくれ! 俺たちは降ったんだぞ!」
チンギスがそちらを見る。
「だから今すぐ殺してない」
「話が違う!」
「誰とそんな話をした?」
男の口が止まる。
「儂は、お前たちを仲間にするとは言ってない」
チンギスは笑った。
「生き残れば兵にしてやる。死ねばそれまでだ」
側近たちは誰も口を挟まない。
「命が惜しくて武器を捨てただけの奴を、背中に置けると思うか?」
少年の視線が列をなぞる。
「三度生きて帰れ。それなら使ってやる」
◇
天幕の中には粗い地図が広げられていた。
その周囲に、各隊の指揮官が集まっている。
右肩と腿に傷を負った董卓も、その一人だった。大刀は失ったままだ。
チンギスは地図の上へ指を置く。
「先に取った町から、穀物はどれだけ出せる」
「進軍分は確保できます。ただ、さらに持ち出せば町に残る分が――」
「最低限でいい」
「次の収穫まで持たない者も出ます」
「だから何だ?」
指揮官が黙る。
「馬も取れ。荷車もだ。鍛冶師は使える者から連れてこい」
「町の修理が止まります」
「儂の軍が先だ」
董卓が低く笑った。
「ずいぶん持っていくな。町ごと干からびるぞ」
「降ったんだ。もう儂の物だ」
「民までか」
「土地も、人も、馬も、鉄も、全部だ」
町を残すのは慈悲ではない。
焼き払えば、次に取れる物まで消える。だから残す。それだけだった。
抵抗した町は潰す。門を開いた町からは食料と馬と職人を取る。兵は最前列へ送り、生き残った者だけをまた使う。
征服した土地は、次の征服のために削られていく。
「町を治めていた者は」
「生かしてあります」
「家族は?」
「押さえています」
「なら使え。税を集めさせろ」
「隠した場合は」
「家族から減らせばいい」
天幕の中が静かになる。
董卓が鼻で笑った。
「相変わらず、酷いことを考える」
チンギスが目だけを向ける。
「お前に言われるとは思わなかった」
「違いない」
董卓の口元が歪んだ。
◇
軍営の外では、次の進軍に向けて隊列が組み直されていた。
先頭に並ばされているのは、降ったばかりの兵たちだった。
その後ろにチンギスの騎馬兵がつく。
さらに後方には、別の町から連れてこられた兵、捕らえられた戦士、荷車、布をかけられた大きな檻まで並んでいる。
檻の中から低い唸り声が響いた。
若い兵が槍を握り直す。
「大ハーン。あれはまだ人を襲います」
「そうだろうな」
「このまま連れていくのですか」
チンギスは檻へ近づいた。
中の魔物が鉄格子へ身体をぶつける。周囲の兵が反射的に距離を取ったが、少年だけは動かなかった。
「次の戦で放せ」
「味方にも襲いかかります」
「なら、降った兵の前で放て」
兵が言葉を失う。
「こちらへ戻ってこないよう、騎兵を後ろにつけろ」
「……承知しました」
董卓は少し離れたところから、そのやり取りを見ていた。
「兵も獣も、全部使い潰す気か」
チンギスが振り返る。
「三度残った兵は使う。生き残った獣も使う」
「結局、残ったものだけか」
「死んだものは使えない」
董卓は何も返さなかった。
冗談で言っている顔ではない。
◇
昼過ぎ、一人の斥候が戻った。
泥にまみれた男は馬から降りるなり、チンギスの前へ膝をつく。
「西へ逃げる者が増えています。宿場の周辺にも、東から逃れた者が集まり始めているようです」
「アラタは」
「まだ宿場にいると思われます」
チンギスの目が細くなる。
「そうか」
董卓が横から言った。
「わしを負かした奴だ。逃げるとは思えん」
「お前の話では、十五ほどの小僧だったな」
「見た目だけならな」
チンギスは楽しそうに笑った。
董卓が眉をひそめる。
「何がそんなに面白い」
「強いくせに、守るものが多い」
「それがどうした」
「動きが読める」
チンギスは地図の上で宿場の周囲を指した。
「本人がどれだけ強くても、一人で全部は守れない」
一つの道を指でなぞる。
「本隊をそのままぶつける必要はない。先に周りを取る」
別の道へ指を移す。
「逃げ道を減らせ。食料の来る道も押さえろ。降った兵を前へ出せ」
「宿場へぶつけるのか」
「一度目だ」
「全滅したら?」
「アラタがどう戦うか分かる」
「生き残ったら?」
「二度目へ回せ」
董卓が目を細める。
「三度生き残れば?」
「儂の兵だ」
チンギスはそこで初めて笑った。
「敵の刃を三度くぐって、それでも立っているなら使える」
「ずいぶん高くつく選別だな」
「嫌なら最初の戦で死ねばいい」
董卓はしばらく黙り、やがて低く笑った。
「やはり性格が悪いな」
「知っている」
◇
夕刻。
指揮官たちが出発の命令を待つ中、チンギスは一人で天幕の外に立っていた。
手には、斥候が持ち帰った小さな刃がある。
少し前に抵抗した戦士が使っていたものだという。
少年は刃先を指でなぞった。
皮膚が切れ、血が浮かぶ。
董卓が横から見る。
「何をしている」
「切れ味を見ただけだ」
「子供か」
「この姿なら、そう見えるだろうな」
チンギスは笑った。
その間にも、傷口はすでに閉じ始めていた。
董卓が目を細める。
「……前より早くないか」
チンギスも自分の指を見る。
赤い線だけが残っていた。
「そうかもしれない」
「気にならんのか」
「強くなるなら構わない」
いつからだったか。
強い敵を倒した後、身体の奥に何かが残るような感覚がある。
熱とも、力とも違う。
気のせいと言われれば、それまでのものだった。
だが傷の治りが早くなったのも、その頃からだった。
チンギスは指についた血を拭った。
理由は分からない。
それでも、使える力なら拒むつもりはなかった。
遠くで角笛が鳴る。
降伏兵たちが先頭へ追い立てられていく。
その後ろから騎馬兵が続き、さらに荷車と檻が動き始める。
チンギスは西を見た。
その先に、一人の少年がいる。
董卓を倒しながら、逃げる者は追わず、民へ向かった刃だけを斬ったという少年。
「アラタ」
幼い顔に、狼のような笑みが浮かぶ。
「三度生き残る者が何人いるか――お前にも見せてやる」




