戦のあと①
董卓軍が退いたあとも、宿場には泣き声と呻き声、誰かを呼ぶ声が絶えなかった。
アラタが戻ると、玄馬はすでに残った者たちへ指示を飛ばしていた。
「動ける者は負傷者を建物の中へ! 敵兵の武器は一か所へ集めろ! 勝手に持ち歩くな!」
宿場の男たちが応じる。
つい先ほどまで剣や槍を握っていた手が、今は倒れた者の肩を支え、血のついた布を運んでいた。
アラタも鉄剣を鞘へ戻すと、近くで足を引きずっていた老人へ肩を貸した。
「歩けるかの?」
「だ、大丈夫だ……」
「大丈夫な者は、そんな歩き方はせんよ」
老人は何か言い返そうとして、結局黙った。
アラタはそのまま建物の軒下まで連れていく。
そこでは巴が休む間もなく動き続けていた。
紫式部の傍には別の女性がつき、濡らした布を交換している。巴自身は腕を傷つけられた男の手当てを終えると、今度は脚から血を流す若者の前へ移った。
「アラタ、その人こっち!」
「うむ」
「そこに座らせて。あと、できれば水を――」
言い終わるより先に、アラタは近くの桶へ向かっていた。
巴が一瞬だけ目を上げる。
「……助かる」
「専門のことは任せる。わしにできることを言ってくれればよい」
「じゃあ遠慮しないからね」
「それでよい」
水を受け取った巴は、すぐ次の負傷者へ向き直った。
玄馬がアラタのところへ来たのは、しばらくしてからだった。
「東へ逃げた連中は追わせていない」
「それでよい」
「董卓も、か?」
「あやつは追えば追いつけた」
玄馬は黙って続きを待った。
「じゃが、あの場で追えば宿場に矢が届いた。ならば仕方あるまい」
「後悔は?」
アラタは少し考える。
「逃がして良かったとは思わん」
「なら、なぜ何度も止めた?」
「できるなら生け捕りにしたかったからじゃ」
玄馬の眉が僅かに動く。
「あやつは軍を率いておる。兵の数も、指揮系統も、この先何をするつもりかも知っておろう。背後に誰がおるのかもな」
「情報を聞き出すつもりだったのか」
「それもある。それに、武器を捨てて降りるなら、その場で斬る理由もない」
アラタは董卓が逃げた方角を見る。
「じゃが、逃がすつもりまであったわけではない」
「なるほどな」
玄馬は短く答え、顎で宿場の外を示した。
武器を捨てた董卓兵たちが、一か所へ集められている。縄で手を縛られた者もいれば、怪我が重く横になっている者もいた。
「問題は、あっちだ」
◇
捕らえられた兵は多くなかった。
逃げた者も多い。
戦う意思を失って武器を捨て、その場に残った者が中心だった。
玄馬は武器を十分に離したうえで、一人ずつ怪我の程度を確認させている。
その中に、弓を捨てた若い兵もいた。
「あの……」
巴が近くを通った時、若い兵が声をかけた。
巴は足を止める。
兵は何か言おうとして、何度も口を開き直した。
「俺……子供を、狙った」
巴は答えなかった。
「命令されて……でも、それだけじゃない。途中から、なんか……腹が立ってきて。逃げる奴も、泣いてる奴も、全部……」
声が詰まる。
「覚えてるの?」
巴が尋ねた。
若い兵は俯いたまま頷いた。
「全部」
その隣に座っていた別の兵が吐き捨てる。
「あの時はおかしかったんだ! 俺たちだって普段なら、あんなこと――」
若い兵が顔を上げる。
「でも俺は、やった」
「黙れよ」
「やっただろ!」
周囲の宿場の者たちが険しい顔をする。
玄馬が間へ入ろうとしたところで、アラタが先に口を開いた。
「喧嘩をする元気があるなら結構じゃが、今は座っておれ」
二人の兵が黙る。
アラタは彼らの前へしゃがんだ。
先ほどまで大勢を斬っていた少年が目の前にいる。
吐き捨てた兵の顔が強張った。
「た、助けろよ」
「怪我は手当てする」
「俺たちは、おかしくなってたんだ!」
「そうじゃろうな」
あっさり肯定され、兵の方が言葉に詰まった。
「少なくとも、何かに感情を煽られておったようには見えた」
「だったら俺たちは悪く――」
「それと、おぬしが何をしたかは別の話じゃ」
声は穏やかだった。
「どこまで自分で選べたのかは見ねばならん。じゃが、それだけで起きたことすべてが消えるわけでもない」
兵は口を閉じる。
アラタは隣の若い兵を見る。
「おぬしは最後に弓を捨てたのう」
若い兵が驚いたように顔を上げた。
「……見てたのか」
「見ておったよ」
「でも、その前は」
「それも含めて、後で話せばよい」
若い兵の顔が歪む。
アラタは立ち上がった。
「今すぐここで全部決める必要はない。まず生きておれ」
「……殺さないのか」
「武器を捨てた者を、今さら見せしめに殺すつもりはないと言ったじゃろう」
アラタはそこで少しだけ眉を上げた。
「わしは同じことを何度も言うのは、あまり好きではないぞ」
若い兵の張りつめていた表情が、ほんの僅かに崩れた。
アラタは去りかけて、ふと振り返る。
「そういえば、おぬし」
若い兵がびくりとした。
「な、なんだ」
「日本の者には見えんが、随分と言葉が達者じゃのう」
「……は?」
「アラタ、今更?」
横から巴が呆れた声を出した。
「む?」
「ここ、出身も時代も違う人ばっかりなんだから。話す言葉は普通に通じるよ」
アラタは少し黙った。
「……そういうものか」
「董卓とあれだけ喋っておいて、今気づいたの?」
「戦の最中に、そんなことを気にしておる暇はなかったからのう」
巴はしばらくアラタを見てから、ため息をついた。
「変なところで大雑把なんだから」
「では文字もか?」
「文字は別。読めないものは普通に読めないよ」
「なるほど。それなら道標が日本語だったのも、別の話ということじゃな」
「そういうこと」
アラタは納得したように頷いた。
「便利なような、不便なような世界じゃのう」
若い兵は二人のやり取りを呆然と見ていた。
巴がそのままアラタの横へ並ぶ。
「それで、さっき董卓に何かされたの?」
「わしにも来た。怒りが妙に強くなった」
「じゃあ、あの人たちも……」
巴が捕虜たちへ視線を向ける。
「可能性は高い。人の中にある感情を煽る類じゃろう。ただ、どこまで効いておったのかまでは分からん」
泣く者もいれば、呆然とする者もいる。自分は悪くないと言い張る者も、何も言わず地面だけを見ている者もいた。
巴は小さく息を吐いた。
「……嫌な力だね」
「そうじゃのう」
「難しいね。どこまで本人で、どこから董卓のせいなのか」
「人を見るのは、昔から難しいものじゃよ」
それだけ言うと、アラタは再び負傷者の手伝いへ戻った。




