↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/75

戦のあと①

董卓軍が退いたあとも、宿場には泣き声と呻き声、誰かを呼ぶ声が絶えなかった。


アラタが戻ると、玄馬はすでに残った者たちへ指示を飛ばしていた。


「動ける者は負傷者を建物の中へ! 敵兵の武器は一か所へ集めろ! 勝手に持ち歩くな!」


宿場の男たちが応じる。


つい先ほどまで剣や槍を握っていた手が、今は倒れた者の肩を支え、血のついた布を運んでいた。


アラタも鉄剣を鞘へ戻すと、近くで足を引きずっていた老人へ肩を貸した。


「歩けるかの?」


「だ、大丈夫だ……」


「大丈夫な者は、そんな歩き方はせんよ」


老人は何か言い返そうとして、結局黙った。


アラタはそのまま建物の軒下まで連れていく。


そこでは巴が休む間もなく動き続けていた。


紫式部の傍には別の女性がつき、濡らした布を交換している。巴自身は腕を傷つけられた男の手当てを終えると、今度は脚から血を流す若者の前へ移った。


「アラタ、その人こっち!」


「うむ」


「そこに座らせて。あと、できれば水を――」


言い終わるより先に、アラタは近くの桶へ向かっていた。


巴が一瞬だけ目を上げる。


「……助かる」


「専門のことは任せる。わしにできることを言ってくれればよい」


「じゃあ遠慮しないからね」


「それでよい」


水を受け取った巴は、すぐ次の負傷者へ向き直った。


玄馬がアラタのところへ来たのは、しばらくしてからだった。


「東へ逃げた連中は追わせていない」


「それでよい」


「董卓も、か?」


「あやつは追えば追いつけた」


玄馬は黙って続きを待った。


「じゃが、あの場で追えば宿場に矢が届いた。ならば仕方あるまい」


「後悔は?」


アラタは少し考える。


「逃がして良かったとは思わん」


「なら、なぜ何度も止めた?」


「できるなら生け捕りにしたかったからじゃ」


玄馬の眉が僅かに動く。


「あやつは軍を率いておる。兵の数も、指揮系統も、この先何をするつもりかも知っておろう。背後に誰がおるのかもな」


「情報を聞き出すつもりだったのか」


「それもある。それに、武器を捨てて降りるなら、その場で斬る理由もない」


アラタは董卓が逃げた方角を見る。


「じゃが、逃がすつもりまであったわけではない」


「なるほどな」


玄馬は短く答え、顎で宿場の外を示した。


武器を捨てた董卓兵たちが、一か所へ集められている。縄で手を縛られた者もいれば、怪我が重く横になっている者もいた。


「問題は、あっちだ」


◇


捕らえられた兵は多くなかった。


逃げた者も多い。


戦う意思を失って武器を捨て、その場に残った者が中心だった。


玄馬は武器を十分に離したうえで、一人ずつ怪我の程度を確認させている。


その中に、弓を捨てた若い兵もいた。


「あの……」


巴が近くを通った時、若い兵が声をかけた。


巴は足を止める。


兵は何か言おうとして、何度も口を開き直した。


「俺……子供を、狙った」


巴は答えなかった。


「命令されて……でも、それだけじゃない。途中から、なんか……腹が立ってきて。逃げる奴も、泣いてる奴も、全部……」


声が詰まる。


「覚えてるの?」


巴が尋ねた。


若い兵は俯いたまま頷いた。


「全部」


その隣に座っていた別の兵が吐き捨てる。


「あの時はおかしかったんだ! 俺たちだって普段なら、あんなこと――」


若い兵が顔を上げる。


「でも俺は、やった」


「黙れよ」


「やっただろ!」


周囲の宿場の者たちが険しい顔をする。


玄馬が間へ入ろうとしたところで、アラタが先に口を開いた。


「喧嘩をする元気があるなら結構じゃが、今は座っておれ」


二人の兵が黙る。


アラタは彼らの前へしゃがんだ。


先ほどまで大勢を斬っていた少年が目の前にいる。


吐き捨てた兵の顔が強張った。


「た、助けろよ」


「怪我は手当てする」


「俺たちは、おかしくなってたんだ!」


「そうじゃろうな」


あっさり肯定され、兵の方が言葉に詰まった。


「少なくとも、何かに感情を煽られておったようには見えた」


「だったら俺たちは悪く――」


「それと、おぬしが何をしたかは別の話じゃ」


声は穏やかだった。


「どこまで自分で選べたのかは見ねばならん。じゃが、それだけで起きたことすべてが消えるわけでもない」


兵は口を閉じる。


アラタは隣の若い兵を見る。


「おぬしは最後に弓を捨てたのう」


若い兵が驚いたように顔を上げた。


「……見てたのか」


「見ておったよ」


「でも、その前は」


「それも含めて、後で話せばよい」


若い兵の顔が歪む。


アラタは立ち上がった。


「今すぐここで全部決める必要はない。まず生きておれ」


「……殺さないのか」


「武器を捨てた者を、今さら見せしめに殺すつもりはないと言ったじゃろう」


アラタはそこで少しだけ眉を上げた。


「わしは同じことを何度も言うのは、あまり好きではないぞ」


若い兵の張りつめていた表情が、ほんの僅かに崩れた。


アラタは去りかけて、ふと振り返る。


「そういえば、おぬし」


若い兵がびくりとした。


「な、なんだ」


「日本の者には見えんが、随分と言葉が達者じゃのう」


「……は?」


「アラタ、今更?」


横から巴が呆れた声を出した。


「む?」


「ここ、出身も時代も違う人ばっかりなんだから。話す言葉は普通に通じるよ」


アラタは少し黙った。


「……そういうものか」


「董卓とあれだけ喋っておいて、今気づいたの?」


「戦の最中に、そんなことを気にしておる暇はなかったからのう」


巴はしばらくアラタを見てから、ため息をついた。


「変なところで大雑把なんだから」


「では文字もか?」


「文字は別。読めないものは普通に読めないよ」


「なるほど。それなら道標が日本語だったのも、別の話ということじゃな」


「そういうこと」


アラタは納得したように頷いた。


「便利なような、不便なような世界じゃのう」


若い兵は二人のやり取りを呆然と見ていた。


巴がそのままアラタの横へ並ぶ。


「それで、さっき董卓に何かされたの?」


「わしにも来た。怒りが妙に強くなった」


「じゃあ、あの人たちも……」


巴が捕虜たちへ視線を向ける。


「可能性は高い。人の中にある感情を煽る類じゃろう。ただ、どこまで効いておったのかまでは分からん」


泣く者もいれば、呆然とする者もいる。自分は悪くないと言い張る者も、何も言わず地面だけを見ている者もいた。


巴は小さく息を吐いた。


「……嫌な力だね」


「そうじゃのう」


「難しいね。どこまで本人で、どこから董卓のせいなのか」


「人を見るのは、昔から難しいものじゃよ」


それだけ言うと、アラタは再び負傷者の手伝いへ戻った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。