逃げる者、進む者①
救援隊の準備に、それほど時間はかからなかった。
空の荷車へ毛布と水袋、布、簡単な治療道具が積まれていく。
行きに運ぶものは少ない。帰りには、人を乗せるためだ。
「余計な荷物は持つな!」
詰所の前で玄馬が声を張った。
「宿場まで行って終わりじゃない。人を連れて戻るまでが仕事だ。怪我人を見つけても、全員そこで治そうとするな。動かせるなら西へ送れ」
「はい!」
巴が返事をする。
腰には小さな鞄を下げ、肩からもう一つ布袋を掛けていた。いつもより明らかに荷物が多い。
アラタはその横を見て、眉を上げた。
「お嬢ちゃん、それ全部持っていくのか?」
「必要なものです」
「そうか」
「何です、その顔」
「いや。帰りには人も支えるのじゃろうと思ってな」
巴は一瞬黙った。それから肩に掛けていた大きい方の袋をアラタへ差し出した。
「じゃあ持ってください」
「うむ」
アラタは素直に受け取った。
「そこは断らないんですね」
「持てと言ったのはお主じゃろう」
「そうですけど」
巴が小さく息を吐く。
その後ろでは、志乃と圭介が水袋を荷車へ積んでいた。二人とも救援隊には入らない。玄馬が決めた通り、町に残る。
圭介が最後の水袋を置き、アラタの方を見る。
「本当に気をつけてくださいね」
「うむ」
「いや、アラタさんより俺が言うのも変な気がするんですけど」
「心配してくれるのはありがたいことじゃ」
「……そう言われると余計に変な感じですね」
志乃が横から口を挟んだ。
「圭介。荷車、もう一台来ます」
「あ、はい」
圭介がそちらへ走る。
志乃はその背中を見送ってから、アラタへ向き直った。
「今日は、昨日の森とは違いますから」
「分かっておる」
「アラタさんが強いのは知ってます。でも」
少しだけ言葉を探す。
「敵が強いかどうかだけじゃないと思うので」
アラタは志乃を見る。
北の森で、六頭を超える裂牙犬を見た時に即座に退こうとした女だ。怖くないから慎重なのではない。怖いから、帰る道を考える。
「よいことを言うようになったのう」
「昨日からそんなに変わってません」
「そうか?」
「そうです」
志乃は少しだけ笑った。
「ちゃんと戻ってきてください」
「お主らも町を頼むぞ」
「はい」
玄馬が救援へ出る者たちを見回した。
その腰にも、いつもの刀が差してある。
「向こうでは俺が指揮を執る。目的は救助だ。敵を見ても勝手に追うな」
「承知した」
アラタが答える。
玄馬が手を上げた。
「出るぞ!」
救援隊は東へ向かった。
◇
町を出てしばらくは、道そのものに大きな変化はなかった。
街道を東へ進む。左右には畑があり、その向こうには林が続いている。荷車が通れる程度には整えられた道だ。
昨日までなら、商人や旅人と何度もすれ違ったのだろう。
今、東へ向かう者はほとんどいない。
救援隊だけだった。
反対に、西へ向かう人間は少しずつ増えていった。
最初に会ったのは三人家族だった。
男が大きな包みを背負い、女が小さな子供の手を引いている。三人とも歩いていた。怪我も目立たない。
だが、子供は泣き疲れたような顔をしていた。
「宿場からですか?」
巴が声をかける。
女が立ち止まった。救援隊の装備を見て、一瞬だけ警戒した後、頷く。
「はい」
「怪我は?」
「私たちは大丈夫です」
「東の方から逃げてきたんですか?」
今度は男が答えた。
「もっと東の集落からです。昨日のうちに逃げて……宿場で少し休ませてもらって、それから西へ行けって」
「宿場はまだ持っていますか?」
「ええ」
男はそう答えたものの、表情は晴れない。
「でも、長くは無理だと思います」
「敵が近い?」
玄馬が聞いた。
男は頷いた。
「東側でずっと音がしてました。叫び声も」
子供が母親の服を掴む。母親がすぐにその頭を撫でた。
アラタはそれ以上聞かなかった。
「町まではまだ歩くじゃろう。水はあるか?」
「少しだけです」
アラタは荷車から水袋を一つ取った。
「少し飲んでおけ。宿場まで運ぶ分もあるので、全部は渡せんがの」
女が何度も頭を下げた。
「ありがとうございます」
子供にも一口ずつ飲ませてから、アラタは水袋を荷車へ戻した。
救援隊は先へ進む。
さらに東へ向かうと、次に来たのは人が引く荷車だった。荷台には老人が二人と、足を布で巻かれた若い男が乗っている。車を引く男たちも疲れ切っていた。
救援隊は道の端へ寄った。
巴はすぐに荷台を覗く。
「その足、見せてもらえますか?」
「嬢ちゃん、急いでるんじゃないのか」
負傷した若者が言う。
「少しだけです」
「死にはしねえよ」
「それでも傷は見ます」
巴はしゃがみ込み、布を外して傷と出血の具合を確かめた。
「町へ着いたら必ず診てもらってください。歩かないで」
「分かった」
巴は古い布を取り替え、きつく巻き直す。
続いて老人の顔色を確かめた。
「そっちのお爺さんも少し見せてください」
老人が苦笑した。
「わしは年寄りなだけだ」
「年寄りでも顔色は見ます」
アラタは思わず笑った。
巴が振り返る。
「何です?」
「いや。頼もしいのうと思ってな」
「だったら笑わないでください」
巴は必要なところだけ確かめると、手当てを短く済ませた。
救援隊が再び動き出す。
東へ進むほど、西へ向かう人間の顔から余裕が消えていった。
荷物が少なくなる。履物を失った者がいる。血のついた布を腕へ巻いた者がいる。何も持たず、ただ走ってくる者もいた。
アラタはその流れを見ながら歩く。
戦場へ近づく時、景色が急に変わるとは限らない。
先に変わるのは人だ。
持っていた物を捨て、歩く者が走り始める。子供が泣かなくなり、後ろを振り返る回数が増える。
昔も同じだった。
「アラタ」
巴が呼んだ。
「何じゃ」
「あの人」
前から一人の男が歩いてくる。
片腕を別の男の肩へ回し、引きずるように進んでいた。服装から街道の警備に関わる者だと分かる。
救援隊の一人が駆け寄った。
「宿場からか?」
「そうだ」
男は荒い息を吐いた。
「西へ行く人間の護衛で出た。途中で敵と当たった」
周囲の空気が変わる。
「どこだ」
「ここからそう遠くない。大人数じゃない。何人かずつ西へ出てきてる」
「本隊か?」
「違うと思う」
男が首を振る。
「追ってくるんだ」
「誰を?」
「逃げてる奴を」
歯を食いしばる。
「何も持ってない女まで追いかけてた。子供もだ」
巴の顔が硬くなる。
「理由は?」
「知らねえよ」
男の声に怒りが混じった。
「金を取るなら分かる。食い物を奪うのも、まだ分かる。でもあいつら……逃げる奴を捕まえて笑ってるんだ」
町で負傷者から聞いた話と同じだ。
アラタは尋ねた。
「全員か?」
男が顔を上げる。
「何がだ?」
「敵兵全員が、同じようにしておったか?」
男は少し考えた。
「……いや」
「違う者もおった?」
「止めてる奴もいた。遠くから怒鳴ってた。何やってる、戻れって」
「ほう」
「でも聞かない奴がいる。むしろ止められると怒ってた」
アラタは黙った。
妙だ。
軍としての命令と、兵の行動が噛み合っていない。
だが、それだけで理由は分からない。
「敵の数は?」
玄馬が聞く。
「俺たちが見たのは六人だ。もっといるかもしれない」
男が答える。
玄馬は頷き、救援隊を振り返った。
「ここからは間を詰める。荷車を離すな」
全員の歩き方が変わった。
巴も荷物の紐を締め直す。
アラタは腰の剣へ軽く触れた。
人と戦うために持ってきたわけではない。
だが、人だから斬らないという理由にもならない。




