戦の匂い ③
玄馬はそれだけ言うと、今度は志乃と圭介を見た。
二人とも何も言っていなかった。
だが、圭介は槍を握っている。
志乃が先に尋ねた。
「私たちは、町に残るんですよね」
「ああ」
玄馬ははっきり答えた。
「お前らは仮登録だ。アラタを例外にするからって、全員の基準を変える気はない」
志乃は小さく息を吐いた。
悔しそうには見えた。
それでも反論はしない。
「分かりました」
そして、外の負傷者へ目を向ける。
「これからも東から人が来るかもしれないんですよね」
「その可能性は高い」
「じゃあ、ここで手伝います。運ぶくらいならできますから」
玄馬が頷く。
「頼む」
圭介はまだ黙っていた。
「圭介」
志乃が呼ぶ。
「……はい」
「どうしました?」
「いや」
圭介は槍から手を離した。
視線の先には、先ほどアラタが荷車から下ろした負傷者がいる。
「俺も行った方がいいのかなって、一瞬思っただけです」
声には悔しさがあった。
同時に、安堵も少しだけ混じっていた。
それを隠すようにはしなかった。
「怖いですけど。でも、俺だけ町に残ってていいのかなって」
玄馬が答える。
「槍を持って東へ行くことだけが仕事じゃない」
圭介は顔を上げた。
「東から来る人間を受け入れる奴も要る。荷物を運ぶ奴も、水を持ってくる奴もな」
圭介は外を見る。
少し前までなら、自分より強い人間が戦いへ向かうと聞けば、自分も行かなければ置いていかれるような気持ちになっていたかもしれない。
だが、血だらけの人間を前にすると、それだけではないことくらいは分かる。
「……分かりました」
今度の返事は、少しだけしっかりしていた。
「こっちやります」
「うむ。頼むぞ」
アラタが言った。
圭介が苦笑する。
「アラタさんに言われると、留守番任されたみたいでちょっと複雑なんですけど」
「では、わしが留守番を代わろうか?」
「それは絶対違うでしょ」
すぐに返ってきた。
志乃が小さく笑う。
ほんの短い間だったが、張り詰めた空気が少しだけ緩んだ。
玄馬が手を叩く。
「話は終わりだ」
全員の顔が戻る。
「目的を間違えるな」
玄馬はアラタと巴、そして救援へ入る討伐者たちへ向けて言った。
「俺たちは董卓を討ちに行くんじゃない。東街道の宿場へ行って、取り残されている人間を助ける。動かせる者から西へ下げる」
誰も口を挟まない。
「敵と当たっても、追いかけるな。宿場を守り切ることが目的でもない。連れて帰れる人間を連れて帰る。それが救援隊の仕事だ」
「承知した」
アラタが答えた。
迷いはなかった。
敵将の名が董卓だろうと、歴史上の悪人だろうと、今それを確かめに行く必要はない。
東には負傷者がいる。
老人がいる。
子供がいる。
そして、声を枯らしながら人を守っている女がいる。
ならば、まずやるべきことは決まっている。
「人を連れ戻す。まずはそれじゃな」
「ああ」
玄馬が頷いた。
詰所ではすでに、水袋や布、荷車の準備が始まっていた。
外では、東から来た負傷者の手当てが続いている。
町の店はまだ開いている。
通りを走る子供の姿もある。
朝と同じ町だった。
だが、もう同じ空気ではない。
アラタは東へ向かう人と、西へ逃げてきた人の流れを眺めた。
戦場で剣が交わるより前に、戦はこうして人の暮らしを変えていく。
その空気を、アラタはよく知っていた。




