東からの狼煙 ①
討伐者の詰所へ着くと、いつもと空気が違っていた。
扉は開いている。
人の出入りもある。
だが、声が少ない。
昨日までは朝から依頼札の取り合いや、今日どこへ向かうかを相談する声が飛び交っていた。今は何人もの討伐者が壁際の掲示板を見上げたまま、黙っている。
アラタも中へ入った。
掲示板の右端。
昨日まで何枚か掛かっていた依頼札が、まとめて外されている。
「東か」
小さく呟く。
「気づいたか」
受付台の奥から玄馬が声をかけた。
昨日と同じ藍色の上着だが、今日は腰の刀を外していない。
「朝から騒がしいのう」
「見たままだ」
玄馬は机の上の紙を一枚折った。
「東へ向かう仕事は、ひとまず全部止めた」
「全部?」
聞き返したのはアラタではない。
少し離れたところにいた圭介だった。
志乃も一緒にいる。
二人とも昨日とは違い、すでに革具足を着けていた。圭介の槍も手元にある。
「おお。お主らも来ておったか」
「アラタさん」
圭介が軽く頭を下げる。
志乃は掲示板を見たまま言った。
「薬草採りの護衛も消えてます」
「東側へ入るものはな」
玄馬が答える。
「何かあったんですか?」
「分からん」
「分からないのに全部止めるんですか?」
圭介の問いに、玄馬は嫌な顔一つせず頷いた。
「分からないから止める」
その返答に、アラタは少し口元を上げた。
「よい判断じゃ」
「昨日からお前に褒められても嬉しくないんだがな」
「なぜじゃ」
「嫌な予感が当たる」
玄馬は受付台へ肘をついた。
「夜明け前に東から一人戻った。役所への伝令だ。お前も見たか?」
「先ほど馬で走っておった男ならな」
「あれだ」
玄馬の声が少し低くなる。
「東へ向かう街道の先で、連絡が遅れている」
「どのくらいです?」
志乃が聞く。
「定期の荷が二つ来てない。昨日戻る予定だった商隊も一つ、まだ戻らん」
「魔物じゃないんですか?」
圭介が言う。
「その可能性もある」
玄馬は否定しなかった。
「大雨で道が崩れた。橋が落ちた。魔物が増えた。野盗が出た。理由はいくらでもある」
「では、伝令は何を伝えに来たのじゃ?」
アラタが聞く。
玄馬が一瞬だけ黙る。
「そこが妙なんだ」
詰所の中にいる数人がこちらへ視線を向けた。
玄馬は声を落とした。
「東側の見張り所から、昨日の夕方に狼煙が上がった」
「狼煙?」
「緊急用だ。火事や魔物の群れ程度じゃ使わない」
志乃の表情が変わる。
「襲撃ですか」
「可能性はある。だが、その後の連絡が来なかった」
「今朝の伝令は?」
「一つ手前の場所からだ。狼煙を確認して、人を出した。だが、確認に向かった二人が戻ってこない。それでこちらへ報告を寄越した」
圭介が槍を握り直した。
昨日、森へ入る前にも何度もやっていた癖だ。
「じゃあ、もう誰か確認に行ってるんですよね?」
「ああ。町の兵が出た」
玄馬は短く答えた。
「討伐者からも、土地勘のある連中を数人つけた。だからお前ら新人の出番じゃない」
圭介が少しだけ肩を落とした。
「別に行きたいとは言ってませんよ」
「顔に書いてある」
「そんなに分かりやすいですか?」
志乃が横から答えた。
「分かりやすいです」
「黒田さんまで……」
アラタは二人のやり取りを聞きながら、玄馬の机を見る。
東へ向かった兵。
戻らない確認役。
緊急の狼煙。
それだけなら、まだ原因は絞れない。
「狼煙を上げた場所は、ここから遠いのか?」
「近くはない。普通に行けば、すぐ戻れる距離じゃない」
「なら、今すぐこの町まで敵が来るという話でもないのう」
「ああ」
玄馬は周囲の討伐者たちにも聞かせるように言った。
「勝手に噂を膨らませるな。確認が取れるまで、東へ行く仕事を止める。それだけだ」
何人かが頷く。
だが。
完全に納得した顔ではない。
当然だろう。
人は分からないものほど勝手に形を作る。
魔物の大群。
敵国。
盗賊。
疫病。
誰かが一つ口にすれば、昼には十倍になって広がる。
「アラタ」
玄馬が呼ぶ。
「何じゃ?」
「お前は今日は町の近くにしろ」
「わしだけか?」
「仮登録は全員だ」
玄馬は掲示板の左側を指した。
「畑を荒らす角兎。南側の水路に出た小型魔物。倉の鼠退治でもいい」
「最後だけ急に小さくなったのう」
「立派な仕事だ」
「鼠に剣はいらんじゃろう」
「箒でも持ってけ」
圭介が笑った。
志乃も口元を緩める。
張っていた空気が少しだけ戻った。
アラタは掲示板を見る。
仕事はまだいくつもある。
町の東で何かが起きていても、畑の作物を食う獣は待ってくれない。
水路が詰まれば生活に困る。
倉の鼠も放っておけば食料を駄目にする。
戦争をしていた頃も同じだった。
大軍同士がぶつかる横で、民は畑を耕し、道を直し、家畜へ餌をやる。
国とは、戦場だけで出来ているわけではない。
「では角兎にするかのう」
「お前、本当に普通の依頼を選ぶんだな」
「普通の依頼をやれと言ったのはお主じゃろう」
「そうなんだが」
玄馬が妙な顔をした。
「何頭じゃ?」
「畑に三、四頭。人を襲う魔物じゃない。追い払って、できれば二頭ほど仕留めてくれればいい」
「食えるか?」
「食える」
「それにしよう」
即答だった。
「そこが決め手なんですか?」
巴の声が後ろからした。
アラタが振り返る。
「おお。来たか」
「来たか、じゃないです」
巴は少し息を切らしていた。
いつもの明るい顔だが、眉が寄っている。
「さっき役所が大騒ぎになってたんですよ」
「東の話か」
「知ってるんですか?」
「玄馬殿から聞いた」
巴は玄馬を見る。
「どこまで?」
「狼煙と、確認に出た二人が戻ってないところまでだ」
「それなら同じですね」
巴は少しだけ安心したように息を吐いた。
「役所でも、それ以上はまだ分からないみたいです」
「お主も手伝っておったのか?」
「人が足りなかったので。伝令の人の手当てと、馬の世話を少し」
アラタの目が止まる。
「伝令は怪我をしておったのか?」
「大きな怪我じゃないです。腕に擦り傷があったくらい。でも、ほとんど寝てないみたいでした」
「馬もかなり疲れておったな」
「見たんですか?」
「通りでな」
巴は頷いた。
「途中で何度か乗り換える場所があるらしいんですけど、最後は替えの馬も出払ってたみたいで」
玄馬の眉が動いた。
「それは聞いてないな」
「役所の人が話してました」
アラタは黙った。
馬の交換場所で、替えの馬が出払っていた。
一頭だけなら偶然もある。
だが、東から西へ急いで動いた者が複数いる可能性が出てくる。
「何です?」
巴が聞く。
「いや」
アラタは首を振った。
まだ材料が足りない。
「考えすぎても仕方あるまい」
「珍しいですね。もっと色々考えるのかと思いました」
「考えるのと、分からぬことを決めつけるのは別じゃ」
玄馬が鼻で笑う。
「聞いたか、お前ら」
圭介が姿勢を正した。
「俺を見て言いました?」
「心当たりがあるならそうだ」
「まだ何も言ってませんよ!」
今度は志乃も笑った。




