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夫に捨てられた可哀想な奥様に、娘の桃まで譲るつもりはありません  作者: さんけい


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3/17

3 よいものだけは分かるらしい

 だが一週間は、一週間で終わらなかった。


 最初のうちは、パルマも急かさなかった。

 知らない土地へ来たばかりの者を、すぐに畑へ出す必要はない。春の作業は多いが、手はほかにもある。

 ジョバンニは、果樹園の下仕事へ入った。

 枝を運び、根元の草を抜き、古い支柱を取り替える。言われたことはする。

 少し不器用ではあったが、逃げるような男ではなかった。昼には他の男たちと同じ賄いを食べ、夕方には、借りた家へ戻っていく。

 そしてその手には、いつも何かがあった。

 麦の小袋。傷のある果物。乾燥花を束ねそこねたもの。余った薪。古い布。

 どれも、最初に住み着く者へ渡す範囲のものだった。

 帳面にも載せてある。返せる分は仕事で返してもらう。返せない分は、落ち着いてから別の軽い仕事へ回す。

 ……そのはずだった。

 けれど、アエリアは《《なかなか落ち着かなかった》》。


 *


「今日は、少し頭が重いそうなんだ」


 フェルナンが言ったのは、十日ほど経った頃だった。

 その日は、乾燥小屋で花の茎を揃える仕事を回す予定だった。座ってできる。花の向きをそろえ、傷んだものを分け、束ねる前の下仕事をするだけだ。

 パルマは帳面の端に挟んでいた札を一枚抜いた。


「では、明日にしましょう」

「悪いな」

「貴方が謝ることではありませんでしょう? アエリアさんの仕事です」


 フェルナンは少し黙る。


「そうなんだが、彼女はまだ、色々つらいらしい。実家でずいぶん厳しくされていたみたいで、仕事という言葉を聞くだけで身がすくむと……」

「それをジョバンニさんが?」

「いや、アエリアさんが」


 パルマは札を戻した。

 身がすくむ。なるほどそれは気の毒なことだ。

 ただ、アエリアの身体は、果物の籠を受け取る時にはすくまない。

 最初に渡した傷物のプラムは、二日後には別の果物に替えてほしいと言ってきた。酸味が強くて喉を通らなかったらしい。

 そこでフェルナンは、台所へ寄り、賄いに回す予定だった梨を二つ持たせた。ところがそれも、少し固かったという。

 次に出したのは、熟れの進んだ桃だった。売り物にはならない。今日中に食べなければ傷むものだ。

 アエリアは、《《それは》》よく食べた。


「桃なら食べられるそうだよ」


 フェルナンは明るく言った。


「よかったじゃないか。何も食べられないよりは」

「ええ」


 パルマは答えた。


「よかったですね」


 それ以上は言わなかった。

 ただ、それから台所には、賄いに回す果物と市場に出す果物を、前より離して置くよう命じた。


 *


 アエリアは、屋敷へ来る時、必ず遠慮を口にした。


「本当に、売り物にならないもので結構ですの」


 そして籠の中をのぞき、指先で果物を少し回す。


「これなど、もう傷みかけているのではありませんか」


 彼女がそう言って選んだ桃は、決して傷みかけではない。皮の赤みが深くなり、香りが立ち、翌朝の市場へ出せば真っ先に買い手がつく上物の実だった。

 パルマが別の小さい桃を出すと、アエリアは微笑んだ。


「まあ、こちらでよろしいのですか? 私、分からなくて」


 分からないと言う声は、いつも柔らかい。

 けれど、よいものへ伸びる手は柔らかくなかった。


 *


 半月が過ぎる頃、アエリアは家の椅子が合わないと言い出した。


「腰が痛むそうなんだ」


 また、フェルナンだった。

 パルマはその時、香油用の花の出荷数を確認していた。乾燥させる花は、咲いたらすべて同じように使えるわけではない。香りの強いもの、色の残るもの、薬草袋に向くもの。それぞれに分ける。


「空き家に置いてあった椅子は古いですからね」

「ああ。だから、屋敷で使っていない椅子を一つ譲れないかと思って」

「どの椅子ですか」

「東の物置にある、背もたれの高いものだよ。もう使っていないだろう」


 パルマは顔を上げた。


「あれは診療所へ回す予定です。産後の女や、年寄りが座るのにちょうどいいので」

「でも今すぐではないだろう」

「今すぐではありません。けれど行き先はもう決まっています」


 フェルナンは困ったように笑った。


「パルマは、何でも行き先を決めているんだな」

「決めておかないと、必要な時に足りなくなります」


 フェルナンはそれには返事をせず、少しだけ声を落とした。


「アエリアさんは、あまり眠れていないようなんだ。椅子があれば、昼間だけでも休めるかもしれない」

「休むための椅子なら、別のものを出します」


 パルマは倉番を呼び、客用ではないが丈夫な椅子を一脚出させた。背もたれは低く、飾りはない。だが座面は張り替えたばかりで、実用には充分だった。

 それを見たアエリアは、丁寧に礼を言った。


「ありがとうございます。私のために、こんなによくしていただいて」


 だが翌日、フェルナンがまた言った。


「やはり、背もたれが低いと疲れるそうだ」


 パルマは、その時はじめて、夫を少し長く見た。


「……フェルナン」

「何だい」

「貴方は昨日、その椅子に座りましたか?」

「いや」

「では、アエリアさん()()()そう言ったのですね」

「ああ。彼女は遠慮していたけれど、ジョバンニが困っていて」


 ――困っている。


 その言葉は、この春から何度も出てきた。

 アエリアが困っている。ジョバンニが困っている。慣れない土地で困っている。実家のことを思い出して困っている。椅子が合わなくて困っている。果物が食べられなくて困っている。

 確かに、困っている者を助けるのは、領主家の仕事だ。

 だが、困っている者が、いつもよい果物の前に立ち、よい椅子の名を覚え、よい茶の香りにだけ顔を上げるのなら、それは少し別の話になる。


「診療所へ回す椅子は出しません」


 パルマはきっぱりと言った。


「代わりに、座面へ敷く厚布を渡します。古い綿を詰め直せば使えます」

「それでは」

「それで足りないなら、ジョバンニさんの仕事代から少しずつ引いて、新しい椅子を買うことになります」


 フェルナンは黙った。


 *


 その日の夕方、ジョバンニが屋敷へやって来た。

 帽子を両手で持ち、玄関先で何度も頭を下げる彼の顔は疲れていた。春先に見た時より、目の下が少し暗い。


「……椅子のことは、もう結構です」


 彼はそう言った。


「本当に、申し訳ありません。今ある椅子で何とかします。厚布をいただけるだけで、充分です」


 パルマは、奥から厚布を持ってこさせた。


「仕事代から引きますか」

「はい」


 ジョバンニは迷わず答えた。


「お願いします」


 その時、アエリアは来なかった。その代わり、翌日、フェルナンが言った。


「アエリアさんが、ジョバンニに怒られたそうだ」

「そうですか」

「椅子のことで、恥をかいたと」


 パルマは帳面に線を引いた。


「恥をかいたのは、ジョバンニさんでしょう?」

「パルマ」


 フェルナンの声に、少しだけ咎める色が混じった。


「彼女は傷つきやすいんだ」


 パルマは筆を置いた。


「では、傷つかない仕事を探しましょう」



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