15 返された鍵
翌朝、花飾りは外された。
広場に残っていた薄紅の花は、夜露を吸って重くなっていた。まだ香るものは乾燥小屋へ回し、傷んだものは畑へ戻す。
祭りの翌日は、いつも少し静かだ。子供たちの笑い声も、昨日ほどは聞こえない。
カティは乳母と一緒に、奥の部屋で絵本を見ていた。ロンベルトは朝食の途中で眠くなり、そのまま乳母の膝でうとうとしている。
フェルナンは、朝食のテーブルには来なかった。来られなかったのだろう。
パルマは、いつも通り朝の帳面を開く。
祭りに使った桃、戻した皿、割れた杯、余った花、配り終えた干し葡萄。ひとつずつ線を引く。
昨日、アエリアが強く握った桃も、祭り用の箱からは外してあった。
皮に指の跡がついたものは、子供たちの皿にも、客の皿にも載せない。市場にも出せない。けれど、捨てるほど傷んでいるわけではない。
「その桃は、傷のついたところを落として、台所で食べてちょうだい」
朝のうちに、パルマは台所頭へそう命じた。
「カティとロンには、別の桃を」
「はい、奥様」
台所頭は、それで十分に分かった顔をした。
果物は、同じように見えても行き先が違う。客へ出すもの。子供へ出すもの。市場へ出すもの。賄いに回すもの。傷のところを薄く落として、その場で食べるもの。
傷がついたものを、傷のないものと同じ箱へ戻してはいけない。
けれど、食べられるものまで捨てる必要もない。終わったものは、終わったものとして閉じる。使えるものは、使える形へ回す。
それが済んでから、パルマは応接室へ向かった。
*
部屋にはすでに親族が揃っていた。
パルマの母は、窓に近い椅子へ座り、母方の叔父は、扉近くに立っていた。
フェルナンの母と兄夫婦は、向かいの席に並んでいる。
そしてフェルナンは、ひとりだけ少し離れた椅子に腰を下ろしていた。
昨日より顔色が悪い。眠れなかったのだろう。上着も着ているが、袖口のボタンがひとつ外れたままだった。
「お待たせしました」
パルマがそう言って席につくと、叔父が短く頷いた。
「それでは始めよう」
フェルナンが顔を上げた。
「パルマ、その前に」
「話は伺います。ただし、順に」
パルマは卓上へ小さな束を置いた。昨日、フェルナンが返した鍵である。
倉、台所、保存室、書庫、冷えた部屋。小さな札がそれぞれにつけられている。五年の間に、夫婦として、家の者として渡していたものだった。
「まず、鍵はすべて返却済みとして扱います」
フェルナンの兄が低く言った。
「不足は?」
「今のところありません。ただ、倉と台所の記録はしばらく調べます。アエリアさんへ流れたもの、領民の家から流れたものも含めて、一覧にします」
「ラグラス家が弁済すると言っていたな」
「ええ。ただし、フェルナンが持ち出したものと、フェルナンが領民へ働きかけたものは別です」
フェルナンが唇を噛んだ。
「僕は、盗んだつもりはない」
「でしょうね」
パルマは答えた。
「あなたは、善いことをしているつもりでした」
その言い方に、フェルナンの顔が少し歪む。
「だったら」
「《《だから厄介なのです》》」
パルマは、手元の帳面を開いた。
「あなたは、倉の物を自分の判断で渡しました。台所の食材を持ち出しました。領民へ、アエリアさんへの見舞いを促しました。娘の言葉を聞き間違いと決め、息子が怯えたことを見ませんでした」
「……見えていなかった」
「ええ」
パルマは頷いた。
「見えていませんでした」
フェルナンは、そこで少しだけ息を吐いた。認められたと思ったのかもしれない。だが、パルマは続ける。
「見えていなかったからといって、許される訳ではありません」
応接室が静まりかえる。
フェルナンの母は目を伏せる。兄嫁は膝の上で手を重ねていた。フェルナンの兄だけが、まっすぐ弟を見ている。
「僕は、アエリアさんに騙されていたんだ!」
フェルナンは言った。その声には、かすかな望みがあった。
自分も被害者だと認めてほしい。あの女に利用されたのだと、誰かに言ってほしい。
パルマはその望みに気付いてしまった。
「そうでしょうね」
フェルナンが顔を上げる。
「あなたは確かにあのひとの被害者なんでしょう、でも」
パルマは言った。
「私の味方ではありませんでした」
フェルナンの表情が固まった。
「カティの味方でも、ロンの味方でもありませんでした。エルデートの家の味方でも、領民の味方でもありませんでした」
「そんなことはない」
「ありました!」
パルマは、昨日の広場を思い出す。
ロンが乳母の肩に顔を埋め、カティが父を見、アエリアが役立たずと吐き捨て、そしてフェルナンがその場で何も言えなかったこと。
「あなたは、アエリアさんが泣くたびに、こちらから何かを差し出しましたね。果物、薪、花、食べ物、時間、子供の安心。全部です」
「子供の安心まで奪うつもりは」
「つもりではないまま、奪ったのです」
フェルナンは口を閉じた。パルマの母が、そこで初めて口を開いた。
「フェルナン殿」
声は穏やかだった。穏やかだからこそ、逃げ道がない。
「この家は、娘が婿を迎えて継いだ家です。あなたには、娘を支える役目がありました。領民の声を聞く役目も、もちろん大切です。けれど、誰かの涙で家の境を崩してよいとは、誰も教えていないはずです」
フェルナンは頭を下げた。
「申し訳ありません」
「私に謝ることではありません」
母は言った。
「まず、パルマに。次に、カティとロンに。ですが、謝れば済む時期は、昨日で終わりました」
フェルナンの母が、小さく肩を震わせた。
彼女は涙をこぼしはしなかった。けれど、膝の上で握った手は白くなっている。
「フェルナン」
母に呼ばれ、フェルナンは顔を向けた。
「はい」
「帰りなさい」
フェルナンは、理解できない、という顔になった。




