↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夫に捨てられた可哀想な奥様に、娘の桃まで譲るつもりはありません  作者: さんけい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/17

15 返された鍵

 翌朝、花飾りは外された。


 広場に残っていた薄紅の花は、夜露を吸って重くなっていた。まだ香るものは乾燥小屋へ回し、傷んだものは畑へ戻す。

 祭りの翌日は、いつも少し静かだ。子供たちの笑い声も、昨日ほどは聞こえない。

 カティは乳母と一緒に、奥の部屋で絵本を見ていた。ロンベルトは朝食の途中で眠くなり、そのまま乳母の膝でうとうとしている。

 フェルナンは、朝食のテーブルには来なかった。来られなかったのだろう。

 パルマは、いつも通り朝の帳面を開く。

 祭りに使った桃、戻した皿、割れた杯、余った花、配り終えた干し葡萄。ひとつずつ線を引く。

 昨日、アエリアが強く握った桃も、祭り用の箱からは外してあった。

 皮に指の跡がついたものは、子供たちの皿にも、客の皿にも載せない。市場にも出せない。けれど、捨てるほど傷んでいるわけではない。


「その桃は、傷のついたところを落として、台所で食べてちょうだい」


 朝のうちに、パルマは台所頭へそう命じた。


「カティとロンには、別の桃を」

「はい、奥様」


 台所頭は、それで十分に分かった顔をした。

 果物は、同じように見えても行き先が違う。客へ出すもの。子供へ出すもの。市場へ出すもの。賄いに回すもの。傷のところを薄く落として、その場で食べるもの。

 傷がついたものを、傷のないものと同じ箱へ戻してはいけない。

 けれど、食べられるものまで捨てる必要もない。終わったものは、終わったものとして閉じる。使えるものは、使える形へ回す。

 それが済んでから、パルマは応接室へ向かった。


 *


 部屋にはすでに親族が揃っていた。

 パルマの母は、窓に近い椅子へ座り、母方の叔父は、扉近くに立っていた。

 フェルナンの母と兄夫婦は、向かいの席に並んでいる。

 そしてフェルナンは、ひとりだけ少し離れた椅子に腰を下ろしていた。

 昨日より顔色が悪い。眠れなかったのだろう。上着も着ているが、袖口のボタンがひとつ外れたままだった。


「お待たせしました」


 パルマがそう言って席につくと、叔父が短く頷いた。


「それでは始めよう」


 フェルナンが顔を上げた。


「パルマ、その前に」

「話は伺います。ただし、順に」


 パルマは卓上へ小さな束を置いた。昨日、フェルナンが返した鍵である。

 倉、台所、保存室、書庫、冷えた部屋。小さな札がそれぞれにつけられている。五年の間に、夫婦として、家の者として渡していたものだった。


「まず、鍵はすべて返却済みとして扱います」


 フェルナンの兄が低く言った。


「不足は?」

「今のところありません。ただ、倉と台所の記録はしばらく調べます。アエリアさんへ流れたもの、領民の家から流れたものも含めて、一覧にします」

「ラグラス家が弁済すると言っていたな」

「ええ。ただし、フェルナンが持ち出したものと、フェルナンが領民へ働きかけたものは別です」


 フェルナンが唇を噛んだ。


「僕は、盗んだつもりはない」

「でしょうね」


 パルマは答えた。


「あなたは、善いことをしているつもりでした」


 その言い方に、フェルナンの顔が少し歪む。


「だったら」

「《《だから厄介なのです》》」


 パルマは、手元の帳面を開いた。


「あなたは、倉の物を自分の判断で渡しました。台所の食材を持ち出しました。領民へ、アエリアさんへの見舞いを促しました。娘の言葉を聞き間違いと決め、息子が怯えたことを見ませんでした」

「……見えていなかった」

「ええ」


 パルマは頷いた。


「見えていませんでした」


 フェルナンは、そこで少しだけ息を吐いた。認められたと思ったのかもしれない。だが、パルマは続ける。


「見えていなかったからといって、許される訳ではありません」


 応接室が静まりかえる。

 フェルナンの母は目を伏せる。兄嫁は膝の上で手を重ねていた。フェルナンの兄だけが、まっすぐ弟を見ている。


「僕は、アエリアさんに騙されていたんだ!」


 フェルナンは言った。その声には、かすかな望みがあった。

 自分も被害者だと認めてほしい。あの女に利用されたのだと、誰かに言ってほしい。

 パルマはその望みに気付いてしまった。


「そうでしょうね」


 フェルナンが顔を上げる。


「あなたは確かにあのひとの被害者なんでしょう、でも」


 パルマは言った。


「私の味方ではありませんでした」


 フェルナンの表情が固まった。


「カティの味方でも、ロンの味方でもありませんでした。エルデートの家の味方でも、領民の味方でもありませんでした」

「そんなことはない」

「ありました!」


 パルマは、昨日の広場を思い出す。

 ロンが乳母の肩に顔を埋め、カティが父を見、アエリアが役立たずと吐き捨て、そしてフェルナンがその場で何も言えなかったこと。


「あなたは、アエリアさんが泣くたびに、こちらから何かを差し出しましたね。果物、薪、花、食べ物、時間、子供の安心。全部です」

「子供の安心まで奪うつもりは」

「つもりではないまま、奪ったのです」


 フェルナンは口を閉じた。パルマの母が、そこで初めて口を開いた。


「フェルナン殿」


 声は穏やかだった。穏やかだからこそ、逃げ道がない。


「この家は、娘が婿を迎えて継いだ家です。あなたには、娘を支える役目がありました。領民の声を聞く役目も、もちろん大切です。けれど、誰かの涙で家の境を崩してよいとは、誰も教えていないはずです」


 フェルナンは頭を下げた。


「申し訳ありません」

「私に謝ることではありません」


 母は言った。


「まず、パルマに。次に、カティとロンに。ですが、謝れば済む時期は、昨日で終わりました」


 フェルナンの母が、小さく肩を震わせた。

 彼女は涙をこぼしはしなかった。けれど、膝の上で握った手は白くなっている。


「フェルナン」


 母に呼ばれ、フェルナンは顔を向けた。


「はい」

「帰りなさい」


 フェルナンは、理解できない、という顔になった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。