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夫に捨てられた可哀想な奥様に、娘の桃まで譲るつもりはありません  作者: さんけい


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11/17

11 あなたはお客様ではない

 アエリアは震える指で籠から桃を出した。倉番が受け取る。

 桃の皮に、指の跡が少しついていた。強く握ったのだろう。明日の祭りへは回せない。


「その桃は、台所へ」

「はい」


 パルマが指示すると、カティが小さく言った。


「それ、カティのだった?」

「もう違うわ」


 パルマは娘の方を見た。


「カティの分は、別に出すからね」


 カティは頷く。けれど、口元は固いままだった。

 フェルナンがようやくパルマへ向き直る。


「君は、夫に捨てられた人に、桃ひとつ譲れないのか」


 その言葉で、パルマは夫をあらためてよく見た。

 五年暮らした男だった。

 人当たりがよく、領民に好かれ、困っている者の話を聞くのがうまい。

 子供が生まれた時には、泣いて喜んだ。カティを抱く手はぎこちなかったが、嬉しそうだった。

 ロンが熱を出した夜は、寝ずに医師を待った。

 なのに、その男が今、娘の言葉を消し、息子の怯えを見ず、外の女の籠を守っている。


「……桃ひとつのことではありませんよ」


 パルマは言った。


「その桃は、カティがずっと楽しみにしていたものです。ロンも明日食べます。領地の子供たちにも配ります。市場に出せば、冬の薪代にもなります」

「……また用意すればいいだろう?」


 フェルナンは事もなげに言う。

 その時、パルマの中で、何かが終わった。彼に対してかろうじて持っていた、最後の結び目がほどけた。

 そしてもう、ほどけたものを結び直す気がなくなった。


「……もう、うんざりです」


 パルマははっきりと言う。フェルナンが目を瞬かせる。


「パルマ?」

「アエリアさん」


 パルマは、今度はアエリアを見た。


「あなたが夫に置いていかれたのは、一月前でしたね」


 アエリアの唇が震えた。


「今、その話を……?」

「ええ、今します」


 パルマは倉番へ目を向けた。


「この箱を閉じて。祭り用の桃は、奥の冷えた部屋へ移してちょうだい。鍵は私が持ちます」

「はい、奥様」

「それから、アエリアさんの籠を確認して」

「パルマ!」


 フェルナンが声を上げた。カティが大声に乳母のスカートを握る。ロンは乳母の肩に顔を埋めたままだ。


「籠を」


 倉番がアエリアの籠を受け取る。

 中には、桃のほかに、布に包まれた干し葡萄が入っていた。小さな袋。昨日、子供たちの菓子に回すため、台所から倉へ戻したものだ。

 アエリアが息をのむ。


「それは、私……」

「知らなかった、とこれでも?」


 突きつけられたものに、アエリアは言葉を失った。フェルナンも、干し葡萄の袋にはどういうことか、と目を瞬かせる。


「え……? どうして、それが」

「分かりません……」


 アエリアはすぐに顔を覆った。


「私、本当に分からないのです。気づいたら籠に…… 私、そんなつもりでは」

「そうでしょうね」


 パルマは答えた。


「あなたはいつも、《《そんなつもりではない》》」


 アエリアの肩が震える。


「果物のことは分からない。仕事は落ち着いたら。椅子は合わない。紙の音はつらい。麦粥は思い出す。塩肉は固い。けれど、桃は選べる。干し葡萄の袋は籠に入る。フェルナンが来る時間は分かる」

「そんな、ひどい……」


 堰を切ったようにアエリアは泣きだした。


「私、夫に捨てられたのです。今は、何もできないのに」

「いいえ」


 パルマは言った。


「あなたは選んでいるじゃないですか」


 倉の中が静まりかえる。


「あなたは何もできないと言いながら、よい桃を、香りのよい花を、背の高い椅子を、柔らかいパンを、食べやすい燻し肉を選びましたね。そして子供の籠から遠ざかることも」


 アエリアの泣き声が止まった。


「なら、明日からは仕事も選んでください」


 フェルナンが一歩前に出た。


「彼女を追い詰めるな!」

「追い詰めているのは、私ではありません」


 パルマは夫へ向き直った。


「フェルナン、あなた自身です」

「は? 僕が?」

「ええ。あなたはアエリアさんに、()()()()()()()()()()を与えて、その費用を、私と領地と子供たちに支払わせました」

「そんなつもりは」

「……あなたも同じですね。つもりですか」


 フェルナンの顔が赤くなり、それから白くなった。

 パルマは、籠から出された干し葡萄の袋を持ち上げた。


「この干し葡萄は、カティとロンの菓子です。祭りの後、領地の子供たちにも出す予定でした。あなたはこれを見ても、夫に捨てられた人へ少しくらい、と言いますか」


 フェルナンは答えられなかった。

 アエリアが小さく泣き出す。


「私、もうここにいられません……」

「そうですね」


 パルマは頷いた。


「いられないでしょう」


 アエリアが顔を上げる。泣き顔のまま、目だけが動いた。


「リクローデへ問い合わせを出しています」

「いや……」

「ジョバンニさんの行方も探しています。彼がどこへ逃げたのか、もうじき分かるでしょう」

「いやです!」


 アエリアの声が、初めて大きくなった。

 ロンがびくっと肩を跳ねさせ、カティが乳母の後ろに隠れた。

 アエリアはそれを見て、すぐに口元を手で覆う。


「ごめんなさい…… 私、怖くて……」

「怖いなら、座って待っていなさい。客間ではなく、使用人控えの隣の部屋です」

「使用人……」

()()()()()()()()()()()()


 パルマは言った。


「この()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()です。確認が終わるまで、勝手に倉へ入ることも、子供たちへ近づくことも認めません」


 フェルナンが口を開いた。


「パルマ、それはやりすぎだ」

「あなたは黙っていてください!」


 彼女は夫の言葉を真っ向から切り捨てた。フェルナンが固まる。


「倉の鍵を替えた時点で、あなたには伝えましたよ。領地のもの、屋敷のもの、台所のもの、領民の家のものに触れないようにと。それでも、今日、アエリアさんは倉へ来ました。あなたが連れてきた」

「僕は、ただ……」

「ただ、ではありません」


 パルマは、干し葡萄の袋を倉番へ渡した。


「あなたは父親でしょう! カティの言葉を聞くべきでした。ロンが怖がったのを見るべきでした。それを、外の女の涙で消してしまいました」


 フェルナンの口が動く。だが、言葉は出なかった。

 パルマは乳母へ顔を向けた。


「カティとロンを奥へ。今日の菓子は別に出します」

「はい、奥様」


 乳母は子供たちを連れて出ていく。

 カティが一度、父を見たが、フェルナンは、その視線を受け止められなかった。

 倉の外では、祭りの準備をする者たちの声が聞こえる。明日の朝には、広場へ花を飾り、子供たちへ桃を配る。夏の甘い匂いが、領地いっぱいに広がるはずだった。

 それは働いた領民のものだ。可哀想な女の慰めに使わせる気はない。


「アエリアさんを控えの部屋へ」


 パルマが言うと、侍女が二人、前へ出た。

 アエリアはフェルナンを助けを求めるように見たが、フェルナンは動かなかった。動けなかったのかもしれない。

 アエリアは、子供のように泣きながら連れていかれた。

 倉に残ったのは、桃の香りと、潰れかけた一つの実と、何も言えないフェルナンだった。

 パルマは、夫へ言った。


「フェルナン。あなたにも、後で話があります」


 その言い方は、夫へ向けたものではない。これから役目を外す者への通告だった。



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