11 あなたはお客様ではない
アエリアは震える指で籠から桃を出した。倉番が受け取る。
桃の皮に、指の跡が少しついていた。強く握ったのだろう。明日の祭りへは回せない。
「その桃は、台所へ」
「はい」
パルマが指示すると、カティが小さく言った。
「それ、カティのだった?」
「もう違うわ」
パルマは娘の方を見た。
「カティの分は、別に出すからね」
カティは頷く。けれど、口元は固いままだった。
フェルナンがようやくパルマへ向き直る。
「君は、夫に捨てられた人に、桃ひとつ譲れないのか」
その言葉で、パルマは夫をあらためてよく見た。
五年暮らした男だった。
人当たりがよく、領民に好かれ、困っている者の話を聞くのがうまい。
子供が生まれた時には、泣いて喜んだ。カティを抱く手はぎこちなかったが、嬉しそうだった。
ロンが熱を出した夜は、寝ずに医師を待った。
なのに、その男が今、娘の言葉を消し、息子の怯えを見ず、外の女の籠を守っている。
「……桃ひとつのことではありませんよ」
パルマは言った。
「その桃は、カティがずっと楽しみにしていたものです。ロンも明日食べます。領地の子供たちにも配ります。市場に出せば、冬の薪代にもなります」
「……また用意すればいいだろう?」
フェルナンは事もなげに言う。
その時、パルマの中で、何かが終わった。彼に対してかろうじて持っていた、最後の結び目がほどけた。
そしてもう、ほどけたものを結び直す気がなくなった。
「……もう、うんざりです」
パルマははっきりと言う。フェルナンが目を瞬かせる。
「パルマ?」
「アエリアさん」
パルマは、今度はアエリアを見た。
「あなたが夫に置いていかれたのは、一月前でしたね」
アエリアの唇が震えた。
「今、その話を……?」
「ええ、今します」
パルマは倉番へ目を向けた。
「この箱を閉じて。祭り用の桃は、奥の冷えた部屋へ移してちょうだい。鍵は私が持ちます」
「はい、奥様」
「それから、アエリアさんの籠を確認して」
「パルマ!」
フェルナンが声を上げた。カティが大声に乳母のスカートを握る。ロンは乳母の肩に顔を埋めたままだ。
「籠を」
倉番がアエリアの籠を受け取る。
中には、桃のほかに、布に包まれた干し葡萄が入っていた。小さな袋。昨日、子供たちの菓子に回すため、台所から倉へ戻したものだ。
アエリアが息をのむ。
「それは、私……」
「知らなかった、とこれでも?」
突きつけられたものに、アエリアは言葉を失った。フェルナンも、干し葡萄の袋にはどういうことか、と目を瞬かせる。
「え……? どうして、それが」
「分かりません……」
アエリアはすぐに顔を覆った。
「私、本当に分からないのです。気づいたら籠に…… 私、そんなつもりでは」
「そうでしょうね」
パルマは答えた。
「あなたはいつも、《《そんなつもりではない》》」
アエリアの肩が震える。
「果物のことは分からない。仕事は落ち着いたら。椅子は合わない。紙の音はつらい。麦粥は思い出す。塩肉は固い。けれど、桃は選べる。干し葡萄の袋は籠に入る。フェルナンが来る時間は分かる」
「そんな、ひどい……」
堰を切ったようにアエリアは泣きだした。
「私、夫に捨てられたのです。今は、何もできないのに」
「いいえ」
パルマは言った。
「あなたは選んでいるじゃないですか」
倉の中が静まりかえる。
「あなたは何もできないと言いながら、よい桃を、香りのよい花を、背の高い椅子を、柔らかいパンを、食べやすい燻し肉を選びましたね。そして子供の籠から遠ざかることも」
アエリアの泣き声が止まった。
「なら、明日からは仕事も選んでください」
フェルナンが一歩前に出た。
「彼女を追い詰めるな!」
「追い詰めているのは、私ではありません」
パルマは夫へ向き直った。
「フェルナン、あなた自身です」
「は? 僕が?」
「ええ。あなたはアエリアさんに、何もしなくてよい場所を与えて、その費用を、私と領地と子供たちに支払わせました」
「そんなつもりは」
「……あなたも同じですね。つもりですか」
フェルナンの顔が赤くなり、それから白くなった。
パルマは、籠から出された干し葡萄の袋を持ち上げた。
「この干し葡萄は、カティとロンの菓子です。祭りの後、領地の子供たちにも出す予定でした。あなたはこれを見ても、夫に捨てられた人へ少しくらい、と言いますか」
フェルナンは答えられなかった。
アエリアが小さく泣き出す。
「私、もうここにいられません……」
「そうですね」
パルマは頷いた。
「いられないでしょう」
アエリアが顔を上げる。泣き顔のまま、目だけが動いた。
「リクローデへ問い合わせを出しています」
「いや……」
「ジョバンニさんの行方も探しています。彼がどこへ逃げたのか、もうじき分かるでしょう」
「いやです!」
アエリアの声が、初めて大きくなった。
ロンがびくっと肩を跳ねさせ、カティが乳母の後ろに隠れた。
アエリアはそれを見て、すぐに口元を手で覆う。
「ごめんなさい…… 私、怖くて……」
「怖いなら、座って待っていなさい。客間ではなく、使用人控えの隣の部屋です」
「使用人……」
「あなたは客ではありません」
パルマは言った。
「このエルデート領に住む、セルデス家のアエリアさんです。確認が終わるまで、勝手に倉へ入ることも、子供たちへ近づくことも認めません」
フェルナンが口を開いた。
「パルマ、それはやりすぎだ」
「あなたは黙っていてください!」
彼女は夫の言葉を真っ向から切り捨てた。フェルナンが固まる。
「倉の鍵を替えた時点で、あなたには伝えましたよ。領地のもの、屋敷のもの、台所のもの、領民の家のものに触れないようにと。それでも、今日、アエリアさんは倉へ来ました。あなたが連れてきた」
「僕は、ただ……」
「ただ、ではありません」
パルマは、干し葡萄の袋を倉番へ渡した。
「あなたは父親でしょう! カティの言葉を聞くべきでした。ロンが怖がったのを見るべきでした。それを、外の女の涙で消してしまいました」
フェルナンの口が動く。だが、言葉は出なかった。
パルマは乳母へ顔を向けた。
「カティとロンを奥へ。今日の菓子は別に出します」
「はい、奥様」
乳母は子供たちを連れて出ていく。
カティが一度、父を見たが、フェルナンは、その視線を受け止められなかった。
倉の外では、祭りの準備をする者たちの声が聞こえる。明日の朝には、広場へ花を飾り、子供たちへ桃を配る。夏の甘い匂いが、領地いっぱいに広がるはずだった。
それは働いた領民のものだ。可哀想な女の慰めに使わせる気はない。
「アエリアさんを控えの部屋へ」
パルマが言うと、侍女が二人、前へ出た。
アエリアはフェルナンを助けを求めるように見たが、フェルナンは動かなかった。動けなかったのかもしれない。
アエリアは、子供のように泣きながら連れていかれた。
倉に残ったのは、桃の香りと、潰れかけた一つの実と、何も言えないフェルナンだった。
パルマは、夫へ言った。
「フェルナン。あなたにも、後で話があります」
その言い方は、夫へ向けたものではない。これから役目を外す者への通告だった。




