英雄の時代の終わり
最初にそれを見たのは、城壁の見張りだった。
だが彼らは走らなかった。
警鐘も鳴らさなかった。
なぜなら――
自分たちが何を見ているのか、分からなかったからだ。
南の街道から、ゆっくりと土煙が近づいていた。
だがそれは、整然とした軍隊の行軍ではない。
隊列もない。
統一された旗もない。
……形が、ばらばらだった。
……そして、生きているようだった。
「軍隊じゃないな……」
見張りの一人がつぶやく。
その時、風向きが変わった。
音が届いた。
低く響く歌声。
ばらばらの太鼓のリズム。
そして――子供の笑い声。
荷獣の鳴き声も混ざっている。
やがて姿がはっきりしてきた。
武装した男たち。
その横を歩く女たち。
槍を持つ戦士の隣には老人。
部族の紋章を刻まれた荷獣。
掲げられた旗はすべて違う。
だが――
進む方向だけは同じだった。
「……移動だ」
もう一人が小さく言った。
「いや……違う」
彼は喉を鳴らす。
「これは――国だ。
国そのものが歩いている」
その中心を歩く男がいた。
カエル。
彼は馬に乗っていなかった。
乗る必要がない。
彼が先頭を歩くと、道そのものが開くようだった。
まるで――
世界が彼に道を譲っているかのように。
その報告が王宮より先に届いたのは、商業塔だった。
アドリアンは報告を最後まで聞いた。
途中で口を挟まない。
表情も変えない。
「数は?」
短く問う。
「正確には……不明です。戦士だけでも数千。ですが家族もいます。攻撃陣形ではありません」
アドリアンはうなずいた。
「当然だ」
彼は都市の地図へ視線を落とす。
「もし攻撃なら、ただの蛮族だ」
静かに言った。
「だが――これは違う」
ナラが眉をひそめる。
「包囲戦より悪いと?」
アドリアンはわずかに笑った。
「包囲戦は都市を団結させる」
そして言う。
「だがこれは――
都市を分裂させる」
会議室はざわめきで満ちていた。
テーブルの上には広げられた地図。
手をつけられていない酒杯。
固く握られた拳。
窓の外には、遠くの土煙が見える。
それはゆっくりと――確実に大きくなっていた。
「軍隊ではない!」
デレン侯爵が言う。
「流浪の群れだ!近づければ、明日には城壁の下に野営する!」
「群れですって?」
ミレル伯爵夫人が冷たく言い返す。
「子供もいるのよ。撃つつもり?子供を?」
都市守備隊の隊長が机を叩いた。
「我々の任務は都市の安全だ!」
「弓兵も重弩も騎兵もある。今なら優位を保てる!」
年老いた貴族がため息をついた。
「先制攻撃だと?」
静かに言う。
「その男はすでに象徴だ。こちらが攻撃すれば、侵略者ではなく――裏切られた英雄になる」
隊長は歯を食いしばった。
「ではどうする?
門を開けるのか?」
沈黙。
重い空気。
その中で、アルブレヒト公爵が口を開いた。
「防衛を展開する」
ゆっくりと言う。
「城壁、兵、そして――」
一瞬の間。
「新兵器だ」
数人が顔を上げた。
「ヴァルモンの武器か?」
公爵はうなずく。
「撃つためではない」
静かに言う。
「見せるためだ」
誰かが聞いた。
「もし効かなかったら?」
公爵は目を閉じる。
そして言った。
「その時は知ることになる」
「信仰は――理性より速く歩くとな」
城壁の上。
部族の旗が弓の射程まで進み出た。
皮と骨と黒い羽で作られた旗。
意味は明確だった。
ここにいる。
「弓兵、構え!」
隊長が命じた。
弓弦がきしむ。
その時だった。
乾いた音。
短く、金属的。
カチッ。
「……今のは?」
誰かが言いかけた。
その瞬間。
空気が裂けた。
矢のように音はしない。
魔法のように光らない。
ただ――
見えない衝撃。
部族の騎兵が一人、馬から落ちた。
血は出ない。
叫びもない。
ただ、倒れた。
完全な沈黙。
貴族たちは振り返る。
城壁の内側。
そこに整列していた。
同じ姿勢。
同じ構え。
肩に担いだ奇妙な武器。
木と金属。
緊張した機構。
それは兵士ではなかった。
機械のようだった。
「な……なんだ、あれは」
誰かが震える声で言う。
隊長が答えた。
「射手だ」
唾を飲む。
「ヴァルモン式だ」
もう一発。
そして十発。
そして――
一斉射撃。
カチカチカチカチ。
弾丸は一直線に飛ぶ。
弧を描かない。
警告もない。
部族の盾は役に立たない。
防御のオーラが――
ガラスのように砕けた。
戦士たちは本能で突撃した。
それが間違いだった。
「装填!」
「第二列準備!」
「第一列後退!」
貴族たちは命令を理解できなかった。
だが結果は理解できた。
突撃が止まった。
勇気ではない。
物理で。
戦士が倒れる。
馬が暴れる。
死んではいない。
だが動けない。
「これは……戦いではない」
ハルヴェク伯が震えた声で言う。
隊長は視線を外さない。
「違う」
「実演だ」
城壁の上で貴族たちは見ていた。
英雄はいない。
決闘もない。
個人の栄光もない。
あるのは――
列。
リズム。
交代。
やがて射撃は止まった。
射手たちは一斉に武器を下ろす。
戦場ではカエルの戦士たちが退いていた。
怒り。
混乱。
屈辱。
カエルは倒れなかった。
ただ見ていた。
城壁を。
憎しみでも恐怖でもなく。
理解の目で。
彼は槍を予想していた。
剣を予想していた。
運命を予想していた。
だが――
量産は予想していなかった。
城壁の上で誰かが言う。
「もしこれが未来なら……」
別の貴族が答える。
「英雄の時代は――終わりだ」




