探偵社へようこそ
事故の後、あたしはすぐに救急車で運ばれたらしい。あんまり大きな音だったから、近くに住んでた人達が驚いて飛び出してきてくれたんだとか。そういう点では、あそこが住宅街だった事に感謝しなくてはいけないかもしれない。あと少し離れていたら、そこには畑しかないような田舎だから。通報が遅れ、運ばれるのが五分でも遅かったら、危ない所だったようだし。
詳しい事はよく分からないんだけど、とりあえず治療を受け、間一髪、一命は取り留めた。が、事故の後遺症なのか、視力はほとんど残らなかった、らしい。両親はその事を酷く心配していたが、それがよく理解できなかった。何故なら、あたしにはしっかりと、彼らの姿が見えていたのだから……。
不幸中の幸いか。当たり所が良かったらしく打撲などの怪我も軽く、目以外は健康そのものだったので、一週間も経たないうちに、あたしは登校する事が出来た。最初、周りは頭に包帯を巻いているのを見てとても驚いていたが、あたしの様子が普段と変わらず元気そうなのを見て、それ以外の変化に気付く者は誰もいなかった。
そう、彼らを除いては……。
その日の放課後、いつものように帰り支度をしていた時だった。愛莉と辰弥が近づいてきて、
「ちょっと話があるんだけど、いい?」
と聞いてきた。どうせ、進路か恋愛か、そんなありきたりな事だろう。そう思ったあたしは快く、
「うん、いいよ」
二つ返事で、彼らについていった。
――なんだ、ここ?
荷物も持って、という事だったので、てっきりどこかその辺でたむろするものだとばっかり思っていたのに。連れてこられたのは、学校にほど近い、古いビルだった。壁にはひびが入り、窓にはガラスではなく段ボールがはられ、取り壊す寸前といった様をしている。まさか、この年になって隠れ家とか、秘密基地とか、そういうノリなんだろうか。
「ここだよ」
そう言うと、彼らは慣れた様子で扉へ吸い込まれていった。
「ちょ、ちょっと待ってよ~!」
仕方なく、あたしも二人を追って中に入る。小走りになりながら、これって住居不法侵入とかにならないのかな、と頭の片隅で考えていた。
――うっ、なんか嫌な感じがする。
中は外見よりもまともで、多少埃っぽくはあったが、クモの巣などは張っていなかった。てっきり中も外観そのまま、幽霊屋敷のようになっているものだとばかり思っていたので、少しだけ拍子抜けする。だがしかし、まだ夕方だというのに電球が切れてるのか薄暗い廊下や、踏み出す度にぎしぎしという階段は、あたしの心を不安にさせるのに十分だった。それ以外にも何やら得体の知れない気配を感じながら、彼らが入っていったと思われる部屋のドアノブを回す。すると、まばゆい光と共に、パーンッ、という破裂音がした。
「桃香ちゃん、おめでとー♪ 今日から桃香ちゃんも、あたし達の仲間だよっ!」
「はい……?」
突然クラッカーを鳴らされ、愛莉に祝福され、もはや何が何だか分からなかった。状況を把握する為に、とりあえず室内を見渡す。そこにはお菓子の乗ったテーブル、古びたソファ、ファイルの入った棚などが置いてあり、校長室を思わせるような内装になっていた。それにここだけは掃除が行きとどいているらしく、電気もついている。入った時に目がくらんだのはその所為だ。どうやら、ここは彼らの根城なんだな、と直感的に思った。そこで余裕が出来たのだろうか。不意に、愛莉と辰弥以外に人がいる事に気付いた。なんと、あろう事か湖山もそこにいたのである。何故こいつが、と思いつつもとりあえずあたしは、ここで話の腰を折っては先に進まないと考え、最初の疑問を口にする。
「仲間って、何の事?」
「だーかーらー、この探偵事務所の」
そう説明したのは、またしても愛莉だった。彼女は誰にでも優しく、とっても良い子なのだが、いかんせん思い込みが激しい。ここの事も、すでに話した気でいたのだろう。それを見かねて、辰弥がフォローする。
「ここは、霊的な力を元に、犯人や失くし物を探す場所なんだよ」
「へ?」
まぁ言われてみれば、やや高級そうなソファや机などは依頼人用なのかもしれないし、あのファイルの中には今まで解決した事件の概要なんかが閉じられているのかもしれない。でも、何故“霊的な力を元に”なのか、そこがさっぱり分からなかった。彼らに幽霊が見えるなんて事は、聞いた事も無かったからである。
あたしが黙っているのを見て、納得したと捉えたのだろうか。
「つまり、お前は見えざるモノが見えるようになったんだ。俺達と同じように。まぁ、今までのお前は全く力も無いし、そういうものを信じようともしなかっただろ? でも、今は違う」
湖山がそう付け加え、そして最後に
「翼探偵事務所にようこそ!」
と両手を広げ友好的に、三人は言った。
「えっ……」
あたしは驚きを隠せずにいた。確かに、奴が言うように、今まで霊感もなく、お化けや幽霊の類も信じてはおらず、むしろそういう現象は全て、科学の力で証明できるという否定的な立場をとってきたのである。それなのに……。
こんなノリノリで言われても、正直、彼らがだましているのではないか、という疑いの方が強かった。退院祝いのどっきりとか。でも、それにしてはメンバーがおかしい。だって、愛莉と辰弥だけならまだしも、そこにあろう事か湖山が混ざっているのだから。あたしの知る限りでは、彼らに接点は無いはずだ。それに、奴は兎も角、二人はこんな手の込んだどっきりなんかしない。そうすると、やっぱり彼らの話は事実という事になるのだが……。どうにも腑に落ちなかった。
一度にたくさんの事が起こり、混乱する頭をどうにか落ち着かせ、その上でこの状況をひっかき回せる“何か”を探す。
「じゃ、じゃあ、あたしがそういうものを見ているっていう証拠でもあるの?」
――これならどうだ!
あたしは、やや自信ありげに質問してみた。流石の湖山達も、こんな質問をされたら困って考え込むだろう。なんてったって、あたしの見ているモノはあたしにしか見えないはずなのだから。そうしたら、隙をついてここから逃げ出せばいい。愛莉と辰弥には悪いが、あたしは一刻も早く、この場を立ち去りたかった。この部屋に入ってからというもの、嫌な予感がずっと付いて回っているのである。
しかし、そんな即興の考えが通用するほど、湖山は易しい相手ではなかった。
「ああ、あるさ」
奴はあっさりと答えた。
「ここに俺達がいるって分かった時点で、お前の負けだ」
「どうしてそんな事が証拠になるのよ!?」
あたしは意味が分からなかった。
「あのね、桃香ちゃんの目、もうほとんど見えないはずなの。だけど、桃香ちゃんにはしっかり周りが見えているわよね? それはかなりの力が無いと、出来ない事なのよ」
愛莉が申し訳なさそうに言った。
「それに……気が付いてないのかもしれないが」
湖山が更に、追い打ちをかける。
「お前、今両目に包帯を巻かれているって、知っているか?」
反射的に、あたしは手を目に当ててみる。そこにはざらざらとした布の質感があった。
「う、嘘……」
「まぁ、そういう事なんだ。……今まで、黙っていてごめんな」
今度は、辰弥が言った。
何故だろう。謝られる事ではないのだろうが、それでもやはり視力を失った、という事を改めて聞かされると、何とも言えない気持ちになる。それも、頭の中にははっきりと映像が浮かんでくるんだから、もはや訳が分からない。だがこれで、両親も先生もクラスメイトもあたしの事を変な目で見ていた理由に、説明はついた。いくらなんでも、これはおかしい。あたしが“普通”でなくなってしまった事の説明として、これ以上有効な物は無かった。
彼らの言葉が頭の中でぐるぐると回り、あたしはしばらく立ち尽くしていた。
「とにかく、明日からは放課後、毎日ここに来るように。じゃあ、お前も疲れているだろうし、今日は解散」
湖山の一言で、あたしは我に返った。
「あの、あたし、ここに入るってまだ一言も言ってないけど?」
あたしに妙な力が宿った事は、もう認めざるを得ないだろう。だが、それとここに入るかどうかというのは別問題のはずだ。そこは自由があっていいはず。なんだその悪徳業者の勧誘システムみたいな手法。
そんなあたしの抗議の視線を物ともせず、奴はいけしゃあしゃあと言ってのける。
「何言ってんだ?」
湖山が続ける。
「お前が入る事は、前から決まってる」
預言者か貴様は、と言いたくなるのをぐっとこらえて、
「どうして?」
理由を問いかける。喧嘩している場合ではないが、追及の手を緩める気はさらさらなかった。
しかし意外にも、これに答えたのは湖山ではなく、辰弥だった。
「それだけ、桃香の力が強いってことなんだ」
あたしが内心激情しているのを知ってか知らずか、彼は代わりに説明する。
「俺と愛莉はただ見えるってだけだ。でも、桃香と優は見えるだけじゃなく、気配を追ったり感じたりする事もできる」
「それって、本当にすごい事なのよー」
「ま、そういうことだ」
湖山が締めた。奴と同じ、という所が気にくわなかったが、まぁ劣っているよりはましだとポジティブに考える事にする。
「ね、桃香ちゃん。あたしもいるんだし、一緒に頑張ろうよ!」
それに、愛莉にここまで言われては、断れない。腹をくくるしかなかった。
「分かったよ。入ればいいんでしょ、入れば」
上手く乗せられた、という感じは否めなかったが、この流れでは致し方ない。もしかしたら奴は、ここまで予想していたのかもしれないが、そればかりは確認する術も無かった。
「けど、どうしてあたし、今更になって見えるようになったの?」
だから代わりに、一番聞いておきたい事を尋ねてみた。生まれつき持っていたというならばまだ分かるのだが、生憎とあたしはそうではないようだし。
「それは多分、あの事故で視力を失ったからだ」
まるで予期していたみたいに、湖山が即答する。
「視力を失った分、不自由が無いよう、それに見合うだけの力を与えてくれた、と思えば分かりやすいだろう?」
――それでか……。
あたしはやっと、納得する事が出来た。いや、そういう気になった、という方が正確かもしれないが。
「まぁ、あまり良くは無いけど、きっかけになったという事だね」
辰弥が補足する。
「きっかけ……」
あたしはそう、呟いた。