第73話:遠い場所
種蒔きから百六十一日目の朝、大空洞に入った。
採取ポイントで三本を摘み取った。根元の青白い発光は変わらなかった。第一耕地で二本。第三耕地は今日が頃合いで、五本を収穫した。合わせて十本を布袋に入れた。水場の近くで霧花草を一束採った。三か所に水をかけた。
割れ目の方へ向かった。
*
割れ目に一歩入った。十八歩進んで向こう側に出た。
刻みを確かめた。十九本のままだった。ケルンは二日の間には来ていなかった。器の向きも変わっていなかった。
今日は奥の開口部へ進む日にした。松明を二本持ってきていた。一本に火をつけた。
一歩、二歩——床が下へ傾いていた。四歩目で右に曲がった。五歩目で足元が湿った。六歩目で壁の感触が変わった。岩盤に土の混じったざらつきだった。七歩、八歩、九歩、十歩——右の壁に縦の溝が一本。十二歩——左の壁に丸い突起。動かなかった。十五歩——右の壁に縦の溝が二本。二十歩——三本。二十五歩——四本。三十歩——五本。
三十一歩目を踏んだ。天井が変わらず低かった。松明の光が届く範囲の先は暗かった。
三十五歩目に来た。右の壁に縦の溝があった。
指先でなぞった。一本、二本、三本、四本、五本、六本。
(六本。やはり五歩ごとに一本ずつ増えている)
三十六歩目は踏まなかった。松明の残りを確かめた。まだ時間はあった。しかし今日はここまでにした。引き返した。
壁を手で触れながら戻った。十二歩目の丸い突起を手のひらで確かめた。表面が滑らかだった。岩盤から半分だけ突き出していた。自然にできた形ではなかった。何のためのものか、まだわからなかった。
部屋に戻った。刻みをもう一度確かめた。十九本のままだった。
割れ目を抜けて大空洞に出た。スケイルリザードの姿はなかった。
(三十五歩まで来た。溝が六本あった。パターンが続いている。ケルンが通っている道がこの先に繋がっている。下から来た、と言っていた)
*
小屋に戻った。乾燥台に十本を並べた。霧花草を刻んで混ぜた。炭に火をつけた。
この二日の間に積み上がっていた分を含めると、通常品が三百三十六本になっていた。一時間ほどで通常品十本と混合品一本が仕上がった。棚に並べた。通常品が三百四十六本になった。混合品が二十九本になった。
記録の紙を開いた。「降下通路、三十五歩目まで探索。三十五歩目の右の壁に縦の溝六本。五歩ごとに一本ずつ増えるパターン継続。十二歩目の丸い突起、変化なし」と書いた。
*
昼前、ルウが小屋を訪ねてきた。
扉を叩いてから入ってきた。肩に荷袋をかけていた。今日出発するのだとわかった。
「少し話していいか」
「どうぞ」
ルウは棚を一度見た。それから向き直った。
「霧穴のこと、少しだけ言っておく」
「はい」
「私はここのことを、シルバから話には聞いていた。昔のことだが。来て、実際に見た。思っていた通りの場所だった」
「どんな場所だと思っていましたか」
「大切な場所だ。簡単に動かせない何かがある場所だ」
(動かせない何かがある)
「そのことは、いつかわかりますか」
「わかる時が来る。ガルドがそういう順番を決めていた。焦って知ることは、知ったことにならない。ガルドはそれをわかっていた」
「祖父をよく知っていたのですか」
「知っていた。シルバを通じて、長い時間をかけて。お前が生まれる前から」
(お前が生まれる前から)
レインは少し間を置いた。
「霧穴を続けてほしかったのですか。私に」
「ガルドが選んだ。私は賛成した。それだけだ」
ルウが荷袋の肩紐を握り直した。出発の前の動作だとわかった。
「これからも続けることだ。それが今できる最善だ」
「はい」
「シルバがいる。ゴルドもいる。ケルンも来ている。お前の周りには人がいる」
「そうですね」
「ガルドが丁寧に置いていった人たちだ」
ルウは扉の方へ向かった。途中で一度止まった。振り返らずに言った。
「いい色が出ていた。これからも続けてくれ」
扉が閉まった。
(ガルドが丁寧に置いていった人たち。シルバじいさんも、ゴルドも、ルウも、ケルンも。みんながそうだとしたら、祖父は何を考えてそうしていたのか)
しばらく棚を見ていた。
*
昼すぎ、ミアが来た。
扉を叩いてから入ってきた。棚を一度見た。
「三百四十六本か。混合品が増えた」
「今日霧花草が採れた」
「ルウが出発したか」
「さっき来て話していった」
「どんな話だったか」
「霧穴のこと。祖父のこと。続けることだと言っていた。ガルドが丁寧に置いていった人たちがいると」
「そうか」
ミアは少し黙っていた。それから、
「師匠に報告する」
「頼む。割れ目の探索も今日進んだ。記録しておいた」
「何歩目まで」
「三十五歩目。溝が六本だった」
「わかった。師匠に伝える」
ミアは立ち上がった。扉の前でもう一度止まった。
「師匠がゴルドとルウの会話のことを言っていた。『ルウという人間は物を見る目がある』と」
(ゴルドがそう評した)
「そうか」
「師匠がそういうことを言うのも珍しい」
扉が閉まった。
*
夕方、シルバの小屋へ向かった。
「ルウが今日出発しました」
「聞いた」
「話をしていきました。霧穴のことと、祖父のことと。大切な場所だと。ガルドが順番を決めていたと。続けることだと言っていました。ガルドが丁寧に置いていった人たちがいると」
「ルウはそういう言い方をする。正確だ」
少し間があった。
「一つ聞いてもいいですか」
「聞け」
「シルバじいさんは祖父と、どれくらい前からの付き合いなのですか」
シルバが炉の方を向いた。しばらく何も言わなかった。
「長い。お前が生まれる前からだいぶ前のことだ」
「どこで出会ったのですか」
「遠い場所だ。若い頃のことだ。色々あった」
(遠い場所で、若い頃、色々あった。シルバじいさんが初めてそう言った)
「この霧穴のことも、その頃から知っていたのですか」
「知っていた。ガルドから聞いていた。ここを大事にしろと言われていた。だからここにいる」
(だからここにいる)
レインは何も言わなかった。
シルバが続けた。
「俺はガルドに頼まれていた。お前が来た時に教えてやれ、と。最初にポーションの作り方を教えたのは、それが理由の一つだ」
「一つ、ということは、他にもありますか」
「ある。ただ、今はまだ言えないことがある。言える時が来たら言う」
「わかりました」
また少し間があった。炉の火が揺れた。
「お前に続けてほしかったのは、ガルドだけじゃない。俺も同じだ」
(シルバじいさんが、そう言った)
レインは何も言えなかった。しばらくして、
「降下通路、三十五歩目まで進みました。溝が六本ありました」
「そうか。次は四十歩目だな」
「はい」
それ以上は続かなかった。
*
夜、経営の書を開いた。
「続けることが道になる。止まった時には道は消えない。止まった分だけ次の一歩が深くなる。道とは踏んだところの積み重ねだ。踏んでいない先は、次に踏めばいい」
(シルバじいさんが若い頃のことがあったと言った。ガルドから頼まれていたと言った。俺に続けてほしかったのは、ガルドだけじゃない、と。ルウが、ガルドが丁寧に置いていった人たちだと言った。ケルンが下から来ていた。三十五歩目に六本の溝があった。祖父が残していったものが、少しずつ形を持ってきている)
棚を見た。通常品が三百四十六本。混合品が二十九本。
明日も採りに行く。




