第68話:名前
種蒔きから百四十六日目の朝、大空洞に入った。
採取ポイントで三本を摘み取った。根元の青白い発光は変わらなかった。第一耕地で二本。第三耕地は今日が頃合いで、五本を収穫した。合わせて十本を布袋に入れた。三か所に水をかけた。
割れ目の方へ向かった。
*
割れ目に一歩入った。苔の青白い光が左右から静かに続いた。十八歩進んで向こう側に出た。
刻みを確かめた。指先でなぞった。一本、二本、三本、四本、区切り、六本、七本、八本、九本、十本、十一本、十二本、十三本、十四本、十五本、十六本——。
十七本目があった。
(また来た)
十六本目の隣に、新しい線が一本あった。表面だけが荒かった。
(三日で来た)
器の向きを確かめた。変わっていなかった。草の残骸もそのままだった。
部屋の中に立った。今日は長くいることにした。
棚のそばに背をつけた。苔の光が壁から静かに広がっていた。天井が低く、立ったまま手を伸ばせば届く高さだった。足元は平らで、立ち続けても疲れなかった。この部屋は静かだった。大空洞よりずっと静かで、音という音がなかった。自分の呼吸だけが聞こえた。
五分が過ぎた。十分が過ぎた。
十五分ほど経った頃だった。
音がした。
はっきりとした足音だった。床の上を歩く音で、奥の開口部の向こうから来ていた。近づいてきていた。
(来た)
レインは動かなかった。
足音が近づいた。開口部の手前で止まった。光の加減がわずかに変わった。誰かがそこに立っているのだとわかった。
沈黙が続いた。苔の光だけが変わらず続いた。
先に口を開いたのはレインだった。
「先日声をかけていただいた者です。レインといいます」
しばらく間があった。
「……ケルンだ」
低い声だった。前回と同じだった。急いでいなかった。
「ケルンさん。この部屋を使い始めて長いですか」
「何年もだ」
それだけだった。
少し間を置いてから続けた。
「私の祖父がこの霧穴の持ち主でした。ガルドといいます。三ヶ月ほど前に亡くなりました。今は私が引き継いでいます」
長い沈黙が来た。
奥の開口部から差し込む光が動かなかった。相手がそのまま立っているのだとわかった。どれくらいそうしていたか、正確にはわからなかった。
「……そうか」
しばらくして声がした。
「ガルドが来なくなってから、ここが変わったかどうかと思って来ていた」
(ガルドのことを知っていた。何年も来ていた。祖父が来なくなってから、それでも来ていた)
レインは何も言わなかった。
足音が遠ざかり始めた。奥の開口部の方へ戻っていった。
立ち去る直前に声がした。
「また来る」
それだけだった。
*
部屋の刻みをもう一度確かめた。十七本のままだった。
割れ目を抜けて大空洞に出た。スケイルリザードの姿はなかった。
水場の前で立ち止まった。水を一度掬った。温かかった。放した。
(何年も来ていた。ガルドが来なくなってから変わったかどうか確かめていた。祖父が死んだことを、今日知った。「そうか」とだけ言った。それから「また来る」と言った)
(祖父はこの人とどんな間柄だったのか。ここでどんな話をしていたのか。ケルンはどこから来ているのか。名前だけわかった。でも、名前がわかった)
しばらくそこに立っていた。霧花草が水場のそばで静かに揺れていた。
*
小屋に戻って乾燥台に十本を並べた。炭に火をつけた。
待っている間に記録の紙を開いた。今日のことを書いた。「刻みが十七本。ケルンと名乗る男が来た。低い声。大人。何年もここを使っている。ガルドのことを知っていた。どこから来るかはまだわからない。また来ると言った」と書いた。
一時間ほどで十本が仕上がった。棚に並べた。通常品が三百八十一本になった。
*
昼過ぎ、ミアが来た。
扉を叩いてから入ってきた。棚を一度見た。
「三百八十一本か」
「そうだ」
ミアは丸太に腰を下ろした。
「刻みは」
「十七本だった。今日また声を聞いた。名前も聞いた」
ミアがこちらを見た。
「名前を教えたか」
「ケルン、と言っていた。大人の男だ。何年もここを使っていると言っていた。祖父が来なくなってから変わったかどうか確かめに来ていたと言っていた」
「ガルドじいさんを知っていた」
「そう聞こえた」
ミアはしばらく黙っていた。
「師匠に話す」
「頼む。シルバじいさんには今から行く」
「わかった」
ミアは立ち上がった。棚をもう一度見た。それから扉が閉まった。
*
夕方、シルバの小屋へ向かった。
「刻みが十七本になっていました。今日声を聞きました。名前も聞きました」
「どんな名前だった」
「ケルン、と言っていました」
シルバは炉から顔を上げなかった。
しばらくして、「そうか」と言った。
「ご存知でしたか」
「……名前は、聞いたことがある」
それ以上は続かなかった。
「祖父のことを知っていると言っていました。来なくなってから変わったかどうか確かめに来ていたと。また来ると言っていました」
「そう言ったか」
「はい」
炉の火が揺れた。
「次に来た時に、どこから来ているか聞けるか」
「聞いてみます」
「押すな。向こうが話す分だけ聞けばいい」
「はい」
少し間があった。シルバが口を開いた。
「エクラの知り合いが、今週中に着くはずだ」
「そうですか」
「来たら教える」
それだけだった。
*
夜、経営の書を開いた。
「初めて名前を知ることは、その場所に地図が一枚加わることだ。名前の前は輪郭だけだった。名前の後は、その輪郭の中に誰かがいる。次に名前を呼んだ時、それは声をかけることになる」
(ケルンが来ていた。何年も。ガルドが来なくなってからも。名前がわかった。エクラの知り合いが今週来る。今日は二つのことが動いた)
棚を見た。通常品が三百八十一本。混合品が二十八本。
明日も採りに行く。




