第67話:声
種蒔きから百四十三日目の朝、大空洞に入った。
採取ポイントで三本を摘み取った。根元の青白い発光は変わらなかった。第一耕地で二本。第三耕地は今日収穫がなかった。三か所に水をかけた。
割れ目の方へ向かった。
*
割れ目に一歩入った。十八歩進んで向こう側に出た。
刻みを確かめた。指先でなぞった。一本、二本、三本、四本、区切り、六本、七本、八本、九本、十本、十一本、十二本、十三本、十四本、十五本——。
十六本目があった。
(また三日で来た)
十五本目の隣に、新しい線が一本あった。表面だけが荒かった。
(三日続いた。今日はまだここにいる可能性がある)
器の向きを確かめた。変わっていなかった。草の残骸もそのままだった。
部屋の中に立った。今日は長くいることにした。
苔の光が壁から静かに広がっていた。天井が低く、立って手を伸ばせば届く高さだった。音は何もなかった。
五分が過ぎた。十分が過ぎた。
音がした。
はっきりとした音だった。前回とは違った。床の上を誰かが歩く音だった。奥の開口部の向こうから来ていた。近づいてきていた。
(いる)
レインは動かなかった。
足音が近づいた。開口部の前で止まった。光の加減が変わった。誰かが入口に立っているのだとわかった。
しばらく誰も声を出さなかった。苔の光だけが続いていた。
「……誰かいるのか」
低い声だった。大人の男の声だった。
「レインといいます。この場所を使っている者です」
沈黙が続いた。
「……そうか」
足音が聞こえた。今度は遠ざかっていく音だった。開口部の向こうに戻っていった。
レインはしばらくそのまま立っていた。
(男の声だった。大人だった。急いでいないように聞こえた。驚いていたが、慌ててはいなかった。「そうか」とだけ言って戻っていった)
(名前を聞けなかった。でも声を聞いた。それだけは確かだ)
しばらくして外に出た。
*
部屋の刻みをもう一度確かめた。十六本のままだった。
割れ目を抜けて大空洞に出た。スケイルリザードの姿はなかった。
水場の前で立ち止まった。水を一度掬った。温かかった。放した。
(次に行った時に来るかもしれない。来た時に名前を聞く。押さない方がいい。ただ聞く)
*
小屋に戻って乾燥台に五本を並べた。炭に火をつけた。
待っている間に記録の紙を開いた。今日のことを書いた。刻みの数、声のこと。声については「男。大人。低い声。急いでいない感じ。『そうか』とだけ言って戻った」と書いた。
一時間ほどで五本が仕上がった。棚に並べた。通常品が三百五十六本になった。
*
昼過ぎ、ミアが来た。
扉を叩いてから入ってきた。棚を一度見た。
「三百五十六本か」
「そうだ」
ミアは丸太に腰を下ろした。
「刻みはどうだった」
「十六本になっていた。三日の間に来た。今日、声を聞いた」
ミアがこちらを見た。
「声か」
「部屋で待っていたら、奥の開口部から足音が来た。開口部の前で止まって、誰かいるのかと聞いてきた」
「何と答えた」
「レインといいます、この場所を使っている者です、と言った」
「相手は」
「そうか、とだけ言って戻っていった」
ミアは少し間を置いた。
「怖がった感じはあったか」
「驚いていたと思う。でも落ち着いていた。慌てて逃げた感じではなかった」
「男か」
「低い声だった。大人の男の声だった」
「そうか」
しばらく黙っていた。
「師匠に話す」
「頼む。シルバじいさんには今から行く」
「わかった」
ミアは立ち上がった。棚をもう一度見た。それから扉が閉まった。
*
夕方、シルバの小屋へ向かった。
「刻みが十六本になっていました。三日の間に来たようです」
「器の向きは」
「変わっていませんでした」
「声を聞いたか」
シルバが先に聞いてきた。
「はい。部屋で待っていたら奥の開口部から足音が来て、誰かいるのか、と声をかけてきました」
「どんな声だった」
「低い声でした。大人の男です。急いでいない感じでした」
「何と返した」
「名前と、この場所を使っている者です、と言いました。相手はそうか、とだけ言って戻っていきました」
シルバはしばらく黙っていた。
「逃げなかったのか」
「逃げませんでした。急いで戻ってはいましたが、慌てた感じではありませんでした」
「そうか」
また間があった。
「お前が名乗ったのは正しかった」
それだけだった。
「次に行った時、また来るかもしれません。来た時に名前を聞いてみようと思っています」
「そうしろ。ただし押すな。向こうが話す分だけ聞けばいい」
「はい」
帰り際、シルバが言った。
「エクラの知り合いから、じきにこちらに向かうと文が来た」
「来るのですか」
「来る。時期はまだわからない。来た時に教える」
「わかりました」
*
夜、経営の書を開いた。
「初めての言葉は短い方がいい。長い言葉は後から来る。最初の声は、相手が続きを選ぶための種だ。種を蒔いたら、次は待つ。それだけでいい」
(十六本になった。声を聞いた。名前はまだわからない。エクラの知り合いがこちらに来る。今日はいくつかのことが動いた。まだわからないことの方が多い。でも、声を聞いた。それで今日はよかった)
棚を見た。通常品が三百五十六本。混合品が二十八本。
明日も採りに行く。




