第56話:十歩目の溝
種蒔きから百八日目の朝、大空洞に入った。
採取ポイントで三本を摘み取った。根元の青白い発光は今日も変わらなかった。第一耕地で二本。第三耕地は今日収穫がなかった。水をかけた。三か所に。
今日は松明を二本持ってきた。
割れ目の方へ向かった。
*
割れ目に一歩入った。六歩目あたりで壁の苔が光り始めた。十八歩進んで向こう側に出た。
刻みを確かめた。指先でなぞった。一本、二本、三本、四本、区切り、六本、七本、八本、九本。
(変わっていない)
器の向きも変わっていなかった。草の残骸もそのままだった。
棚の前を離れて、奥の開口部の前に立った。
松明を一本出した。火をつけた。もう一本は帯の中にそのままにした。
(使う時が来たら出せばいい)
開口部の縁に立った。中は暗かった。壁が両脇から狭くなっていた。
一歩入った。二歩目で床が下へ傾いた。三歩目。四歩目で通路が右へわずかに曲がった。五歩目で足元が湿った。六歩目で壁に手を当てた。岩盤に土が混じったざらつきだった。
前回まで確かめた範囲だった。
七歩目を踏んだ。
引き返したのはここだった。今日は続けた。
八歩目。天井がわずかに低くなった。手を伸ばすと指先が届く高さになった。
九歩目。通路がまた右へわずかに向きを変えた。傾きに近い変わり方だった。
十歩目を踏んだ。
右の壁に何かがあった。
松明を近づけた。
縦の溝だった。細い線が一本、壁に刻まれていた。長さは指一本ほどだった。深さは浅かった。周りの岩と同じ色をしていた。
(部屋の刻みとは形が違う。あれは横だった。これは縦だ)
触れてみた。表面が滑らかだった。古いものだった。
(誰が、いつ刻んだのか)
周りを見た。溝は一本だけだった。他には何もなかった。
十一歩目を踏もうとして、止まった。
(今日はここまでだ)
引き返した。
*
部屋の刻みをもう一度確かめた。九本のままだった。
割れ目を抜けて大空洞に出た。スケイルリザードの姿はなかった。
水場の前で立ち止まった。水を一度掬って、放した。温かかった。
(十歩目の右の壁。縦の溝が一本。部屋の刻みとは形が違う。同じ人間が刻んだのかどうかも、今はわからない)
*
小屋に戻って乾燥台に五本を並べた。炭に火をつけた。
乾燥を待ちながら、今日のことを考えた。
七歩目から先へ踏み込んだのは今日が初めてだった。八歩目で天井が低くなった。九歩目で向きが変わった。十歩目に溝があった。松明を二本持ってきたが、一本しか使わなかった。
(次はもっと先まで確かめられる)
一時間ほどで通常品の五本が仕上がった。棚に並べた。通常品が二百七十一本になった。混合品は二十三本のままだった。
*
夕方、ミアが来た。
扉を叩いてから入ってきた。棚を一度見た。
「今日は五本だけか」
「第三耕地が今日なかった。五本だ」
「そうか」
ミアは丸太に腰を下ろした。
「割れ目に入ったか」
「入った。十歩目まで」
「どうだった」
「右の壁に溝があった。縦に一本だった。部屋の刻みとは形が違う」
ミアは少し間を置いた。
「別の人間が刻んだということか」
「わからない。形が違うだけで、同じ者かもしれない」
「そうか」
ミアは立ち上がった。
「師匠が言っていた。探索したことも記録に残しておけ、と。口で覚えていても、積み重なると混ざる、と」
「今日のことを書いてある」
「そうか。それでいい」
扉が閉まった。
*
シルバの小屋へ向かった。夕暮れが近かった。
「奥の開口部に今日入った。十歩目まで」
「どうだった」
「十歩目の右の壁に溝があった。縦に一本だった。部屋の刻みとは形が違った。表面は滑らかで、古いものだと思います」
シルバはすぐには答えなかった。
「他には」
「八歩目から天井がわずかに低くなった。九歩目でまた向きが変わった」
「音は」
「なかった。光もなかった」
「そうか」
シルバは炉の前に手を当てた。しばらくそのままでいた。
「次に入る時、その溝の数が増えているかどうか確かめてくれ。場所も覚えておけ」
「右の壁の十歩目でした」
「そうか。今日はそれだけでいい」
立ち上がった時、シルバが言った。
「松明二本は持ったか」
「持った。一本は使わなかった」
「そうか」
*
夜、経営の書を開いた。
「下へ向かう道に目印は少ない。それでも刻まれたものは残る。意図がわからなくとも、刻まれた跡は、いつか誰かの手がかりになる」
(溝が一本あった。誰かが通ったしるしかもしれない。今はわからなくていい。次に行った時に変わっているかどうか確かめればいい)
棚を見た。通常品が二百七十一本。混合品が二十三本。
明日も採りに行く。




