第44話:その方角
種蒔きから六十一日目の朝、松明を三本持って大空洞に入った。
入口を抜けると霧が肌に触れた。今日の霧は薄かった。主通路の奥まで松明の光が届いた。足音が岩壁に反響しながら、少し先へ消えていった。
採取ポイントで三本を摘み取った。根元の青白い光が今日も落ち着いていた。同じ場所に、また同じように生えていた。摘んでも翌日には新しい茎が伸びてくる。始めてここに来た時からそうだった。
大空洞に入ると、天井の岩の隙間から朝の光が二筋差し込んでいた。霧がその中で白く漂い、空間全体がほんのり明るかった。水場の岩の窪みを覗いた。澄んでいた。指を浸けると、今日も体温に近い温かさがあった。
第一耕地に向かった。二本が収穫できる大きさになっていた。指で押すと弾き返した。根元から丁寧に摘んだ。第三耕地に回ると、八回目のグループが同じ手応えになっていた。五本を摘み取った。三か所に水をかけた。
奥の壁際に目が向いた。
割れ目があった。今日も中から風が流れてくるのがわかった。湿った温かさだった。水場と変わらない空気だった。
(まだ今日ではない)
五日前のことを頭の中で繰り返した。十一歩まで入って、奥に光の輪郭を見た。スケイルリザードが内部に現れた。あの目。何かを知っている、という目だった。「行くな」でも「来い」でもなかった。
今日は採取だけにした。引き返した。
*
小屋に戻って乾燥台に十本を並べた。採取ポイントの三本、第一耕地の二本、第三耕地の五本だった。炭に火をつけた。
待つ間に霧花草の準備をした。昨日採ってきた分が乾燥棚に残っていた。乾燥が終わる頃に合わせて混合品の分を煎じ始めた。甘い匂いが小屋の中に広がった。
通常品を十本、続けて混合品を一本仕上げた。棚に並べた。通常品が百八十一本になった。混合品が十二本になった。
(月末まで五日ある)
セイロスに百本を渡して、八十本余る。
*
午後、村に下りた。シルバじいさんの小屋に立ち寄った。
「通常品が百八十一本になりました。月末に百本引き渡しても八十本ほど残ります」
「そうか」じいさんはゆっくりとうなずいた。「混合品は」
「十二本です。今月も見せるだけにします」
「それでいい」
少し間が空いた。じいさんは棚の薬瓶を並べ直しながら、ぽつりと言った。
「この山道は、昔はもっと人が通っていた」
「そうなんですか」
「タルン村も、今より家の数が多かった。俺がここに来た頃より、もっと前の話だが」
「何があったんですか」
じいさんは薬瓶から目を離さなかった。「霧穴の評判が悪くなった。何かが起きたわけじゃない。ただ、噂が広まった。近づかない方がいい、と。誰が言い始めたかはわからんが、気がついたら街道を通る者が減っていた」
「噂だけで、人の足が遠のくものですか」
「人の動きというのはそういうものだ。悪い話は正しい話より早く広がる。商いも立ち寄りも、足がなければ続かない。それだけで村は縮んでいく」
レインは少し考えた。村の外れに土台だけ残った家が何軒かある。子どもの頃から当たり前のようにあった。そう言えば誰も、なぜあるのかを話したことがなかった。
「噂の出どころは、本当にわからないんですか」
じいさんは棚に向いたまま、一度口を開いた。
何も言わなかった。
「……昔のことだ」
そう言った。
(言おうとして、やめた)
いつもの「言いかけて止まる」とは少し違った。初めから言わないことが決まっていた、という止まり方だった。
小屋を出た。
*
帰り道に、村の外れを通った。土台だけ残った家が四軒、草に埋もれて並んでいた。子どもの頃から変わらずそこにあった。誰が住んでいたのか、何で空いたのか、考えたことがなかった。
霧穴の評判が悪くなって、人の足が遠のいた。
噂の出どころがわかれば、何かわかるかもしれない。そう思いかけて、止まった。今は関係ない話かもしれなかった。
*
夕方、小屋に戻って経営の書を開いた。
「道には方角がある。その方角を感じた者は、急がなくても必ずその道を歩く。方角だけが先に決まる。時はあとからついてくる。今日歩けなかった一歩は、明日歩けばいい」
割れ目の奥の光を思い出した。輪郭があった。形になった。
(方角はわかっている)
棚を見た。通常品が百八十一本。混合品が十二本。
明日も採りに行く。




