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第3話:商いの理、すべてここに

 朝が来るとすぐに、レインは本を手に取った。


 枕元に置いてあった革装丁の本——老婆が消えて残していったものだ。年季の入った革の感触は、見た目より柔らかい。表紙をめくると、細かい文字がびっしりと並んでいた。


 最初の見出しは「商いの基本」だった。


 難しい言葉は使っていない。仕入れと売値の関係、信用の積み重ね方、在庫を持ちすぎることの危うさ。まるで誰かが口で語りかけるような文体で、読んでいるうちに自然と頷きたくなる。抽象的なことが書いてあるように見えて、読み終えると具体的なことが頭に入っている——不思議な本だった。


 半分ほど読んで、手が止まった。


 ページ一面に文字が詰まっているのだが——その文字が、読めない。見たことのない字の形だ。他のページと同じような間隔で並んでいるのに、意味がまったく取れない。暗号のようでもあり、別の言語のようでもある。ページ数にして十ページほど続く。前後は普通に読めるのに、この部分だけが別の何かだった。


「なんだ、これ……」


 何度見ても同じだった。とりあえず本を閉じ、革袋に入れた。今日はシルバじいさんのところへ行って、昨日習った手順を実際にやってみなければならない。



 薬師小屋に着くと、昨日のミストハーブはすでに乾燥棚に並んでいた。


「今日、実際に作ってみてもいいですか」


「ちょうど準備してあった」とシルバじいさんは言った。「手を動かせ」


 それから一時間ほど、レインはじいさんの指示のもとで作業した。刻んだミストハーブを鍋に入れ、水を量って加える。火は細く絞る。「強すぎると香りが逃げる。香りが逃げると効き目も薄くなる」というのがじいさんの考えだった。


 煮立てながら、レインは聞いた。「ガルドじいさんのこと、もう少し教えてもらえますか。この村に来た頃のこととか」


 シルバじいさんはしばらく黙ってから、椅子に腰かけた。「来た頃……もうずいぶん前だな。ガルドがタルン村に来たのは、俺が若い頃だった。どこから来たかは聞かなかった。聞いてもはぐらかすとわかっていたから」


「はぐらかす?」


「悪い意味じゃない」とじいさんは言った。「言いたくない話には笑って答える、そういう男だった。右手の甲の火傷の跡も、一度だけ聞いたことがある」


「右手の……」


 レインは、ガルドの手を思い出した。大きくてごつい手。白い筋のような模様が甲にあった。幼い頃から見慣れていたから深く考えたことはなかったが——確かにあった。


「聞いたら?」とレインは続きを促した。


「笑いながら、『昔に約束をした時の跡だ』と言った。それだけで、何の約束かは教えてくれなかった」とじいさんは言った。「ただ——」


 一瞬だけ間が空いた。


「あの傷を、ガルドは嫌がっていなかった。大事なものの証みたいな目で見ていた気がする。普通、人はそんな跡を隠したがるものだが、ガルドは隠しもしなかった」


 レインは鍋をかき混ぜながら、それを聞いていた。


 じいさんが続けた。「昔の話をしない男だったが、あの山だけは別だった。霧穴のことを話す時は、妙に生き生きしていた。子どもみたいに」


「……そうだったんですか」


「うん。お前が来たら教えてやれと頼んでいたのも、そういうことだろうと思う。霧穴が好きだったから、お前にも続けてほしかったんだろうな」


 鍋の中で薬草の色が少しずつ滲んでいた。青みがかった、甘い香りが上がってくる。



 できあがったポーションは、小さな緑の液体だった。


 じいさんがひと匙だけ確かめて、頷いた。「十分だ。一本しかできなかったが、材料が増えれば次は三本は作れる」


「材料をもっと集めてきます。また霧穴へ行って」


「深く行くな。入口近くで十分採れるはずだ」


「はい」


 瓶に詰めたポーションを手に持ちながら、レインは今朝読んでいた本のことを思い出した。「商いの基本」のページに書いてあったこと——仕入れと売値の関係、信用の積み重ね方。それと今やっていることの仕組みは同じだ。材料を採り、作り、誰かに届ける。繰り返す。難しいことではない。でも、続けることが大事だと本には書いてあった。


「シルバじいさん」


「なんだ」


「この村に、昔は人が多かったんですか。霧穴に冒険者が来ていた頃は、もっとにぎやかだったんですよね」


 じいさんは少しだけ間を置いた。「そうだな。昔はもっとにぎやかだったよ。旅人も来たし、霧穴に来る者もいた」


「なんでいなくなったんでしょう」


「いろいろな事情がある」とじいさんは静かに言った。「道が悪くなったこともある。霧穴が怖いという話が広まったこともある。ひとつの理由だけじゃない」


 何かが続く気がしたが、じいさんはそれ以上言わなかった。


 帰り際、レインはもう一度だけ本のことを思い出した。あの読めないページ。他のページと同じ紙に、同じインクで書かれているのに——なぜあそこだけ読めないのか。いつか読めるようになるのだろうか。


 わからないまま、レインは小屋を出た。山の方から冷たい風が来て、少し霧の匂いがした。


 手の中の小さな瓶が、夕日の光の中でわずかに輝いた。最初の一本だ、とレインは思った。

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