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第20話:師匠の目

 翌朝、レインは霧穴への道を歩いた。


 昨夜ミアから「ゴルド師匠が薬を見にくるかもしれない」と聞いていた。師匠が来るなら、なるべく在庫を整えておこうと思っていた。


 霧穴の入口をくぐる。冷気が顔に当たった。今朝は霧が少し厚い。入口から数歩進んだだけで視界が白くなる。


 松明を持ち直して採取ポイントへ向かった。ミストハーブが三本育っていた。根元の青白い光が、石の壁に淡い影を作っている。昨日採ったばかりなのに、もう新しい茎が出ている。


 丈夫なものだ、とレインは思った。霧と薄暗さの中で、ひっそりと育っている。水も誰もやらない。なのに毎日ここに来れば何本か採れる。


 大空洞に入った。今朝は光の差し込みが弱かった。天井の隙間から斜めに入る光が、霧にぼんやりと広がっている。それでも歩くのに支障はない。


 第一耕地に膝をついた。五粒の芽は全部立っていた。最初の三粒の茎の先に、小葉がはっきり形を作り始めていた。


 シルバじいさんが言っていた。茎を軽く押してみろ。弾き返すようなら根がついている。


 一粒目の茎を、指の腹でそっと押した。


 ——弾き返してきた。


 ちゃんと根を張っている。もう少しだ。


 第二耕地の霧花草に水をかけて、葉を六枚採った。今日の帰りに混合品をもう一本作れる。水場で手を洗い、来た道を戻った。



 小屋に戻ったのは昼前だった。


 道沿いに荷車が止まっていた。工具箱が積んである。


 扉を開けると、ゴルドが棚の前に立っていた。小瓶を手に取って光にかざしている。


「おいでになっていたんですか」


「ああ」ゴルドは振り返らずに言った。「ミアから頼まれた。お前の薬を見てきてくれと」


「席を外していて申し訳ありませんでした。——二種類あります」


 レインは作業台に通常品の薄緑の小瓶と、混合品の深緑の小瓶を並べた。


 ゴルドは両方を手に取り、窓の日差しにかざした。目を細めてしばらく黙って見る。


「色が違う」


「素材が違うので。混合品には霧花草という薬草が入っています」


「匂いも違うか」


「混合品の方は甘い匂いが混じります」


 ゴルドは深緑の小瓶を鼻に近づけた。「確かに」と言った。


「鉄でも銅でも、混ぜ物が増えれば色が変わる。ここまで色が出るなら、単なる水に草を入れたものとは違う。何かは変わっている」


 職人の言葉だとレインは思った。言い切らない。でも否定しない。


「旅人に使ったとき、痛みが早く引いて、夕暮れまで持続したと言っていました」


「直接見たわけではないが——色で判断するなら、本物だ」


「ありがとうございます」


「礼の前に」ゴルドは椅子に座った。「右膝に古傷がある。湿気の日は重くなる。少し試させてもらえるか」


「古傷に効くかどうかは、まだわかっていません。軽い傷には効果を確認できましたが——」


「それはわかっている。俺が試したいんだ」


「少量だけかけてみます。何か変化があれば教えてください」


 混合品から少量、ゴルドの右膝に塗った。甘い匂いが小屋の中に広がった。


 しばらく二人とも黙った。


「……温かくなる」ゴルドは膝を動かした。「じんわりと皮膚の上に温もりが来る。こういう感触は普通のポーションにはなかった」


「重さは」


「帰り道に確かめる。今の時点では温かくなっただけだ」


 それでも、感触が違うなら何かが違う。


「ゴルドさん——材料が同じでも、作るたびに仕上がりが変わることはありますか」


「鍛冶か?」ゴルドは少し眉を上げた。「あるとも言えるし、ないとも言える。火の加減と水の量を毎回揃えれば出来るものは揃う。そこがずれれば結果が変わる」


「薬でも同じだと思いました。混合品を二回作ったとき、同じ色と匂いが出ました。手順が揃えば、同じものが出来る」


「それを確かめたのか」


「一度成功したのが偶然かもしれないと思って」


 ゴルドはしばらくレインを見た。「正しいやり方だ」


「——霧穴の中を見てみませんか。大空洞まで行けます。耕地も見せられます」


「今日は仕事がある。——ミアが、中を見てみたいと言っていた。連れて行けるか」


「もちろんです。いつでも」


「伝えておく」ゴルドは立ち上がり、工具箱を持った。帰り際、棚の角材に触れた。「ミアの仕事だ」


「はい。設計してもらいました」


「丁寧だ」それだけ言って、荷車に乗り込んだ。車輪の音が遠ざかっていった。



 夕方、シルバじいさんを訪ねた。


「ゴルドさんが来てくれました」と言うと、じいさんは少し眉を上げた。「ゴルドが来たか。混合品を見たか」


「古傷に少量試していただきました。温かくなる感触があったと言っていました」


「そうか」じいさんはしばらく黙った。「あの人は本物でないものには手を出さない。職人とはそういうものだ」


「目で見て、触れて、判断する——」


「その通り。言葉で言い切る前に、手が答えを知っている」


「じいさんは——ゴルドさんのことを昔から知っているんですか」


「ミアの師匠だからな。少しはな」じいさんは棚に目を向けた。「——ミアが霧穴に入るのか」


「明後日、一緒に行こうと思っています。大空洞まで連れて行きます」


 じいさんは一瞬、何かを言いかけた。でもすぐに表情を戻した。「ちゃんと案内してやれ。あの子は初めてだろう」


「霧花草も見せようと思って」


「霧花草は、ちゃんと見せてやれ」じいさんはそれだけ言った。何かを強調するような言い方だった。



 夜、鍛冶場の前を通ると灯りがまだついていた。


「明後日、来る」とレインが声をかけると、「行く」とミアが短く答えた。


「大空洞まで行って、霧花草も見せるね」


「師匠が混合品を試したと聞いた」


「うん。温かくなると言ってた」


「師匠がそこまでするなら、本物ということだ」ミアは工具を棚に戻した。「明後日は早めに行く。昼前には戻りたい」


「わかった。早めに準備しておくよ」


 扉が閉まった。


 レインは鍛冶場の灯りを背に、星の出始めた道を帰った。


 明後日、ミアを大空洞へ連れて行く。誰かに見せるのは初めてだ。あの白っぽい光の中で、育ちかけた芽と霧花草を——ミアがどう見るか。


 何かを言うかもしれない。あるいは何も言わないかもしれない。


 一緒に行けば、わかる。

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