91 炎を散らす一球、刺激のハバネロミートボール
がらりとテトラ・アコードの扉が開く。
普段なら豪快な足音とともに店内を活気づける騎士隊長ガンズだったが、今夜はまるで影を引きずるように力なくカウンターの端へ腰を下ろした。その背中は小さく丸まり顔色は蒼白。重い溜息ばかりが口から漏れている。
「あれ、どうしたのガンズさん? そんなに落ち込むなんて珍しいね」
陽菜が心配そうに顔を覗き込みながら温かいお茶を差し出す。
「陽菜か……ふう……実はな……うちの部隊から裏切り者が出てしまったんだ」
「えっ……裏切り者?」
「ああ……敵国に寝返りやがった。幸い早期に発見できたから戦局自体に大きな被害はなかったんだが……共に汗を流し戦ってきた部下だったからな。俺の指導が足りなかったのか……なにが不満だったのか……そう考えると胸が引き千切られそうになるんだ」
ガンズは頭を抱えて深く俯いてしまった。
陽菜は「異世界に新しいスイーツを送った」とか「エルザさんから届いた話の続きがあって」とか、あれこれ話題を振って励まそうとするが、ガンズの耳には届かず視線は虚空を泳ぐばかりだった。
(駄目だ……完全に心が閉じちゃってる。言葉じゃ届かない)
腕を組んで考え込んだ陽菜の脳裏に――ぱっと一計が閃いた。
「お父さん、厨房、ちょっと借りるね!」
「おう、怪我すんじゃねえぞ」
厨房へと飛び込んだ陽菜は、特製の挽肉を丸めた肉団子を取り出し、仕上げのソースにある秘伝のスパイスを、どろっと一滴垂らして豪快に絡め始めた。
「はい、ガンズさん。陽菜特製の元気が出るミートボールだよ! 冷めないうちに食べてみて! ほらほらほらほらほらっ!」
陽菜が差し出したのは、真っ赤なソースを身に纏い、じゅうじゅうと湯気を立てる大きなミートボールだった。
「ああ……ありがとう陽菜。せっかくだから頂くよ」
ガンズは心ここにあらずのまま、フォークでミートボールを刺し、そのまま口の中へと放り込んだ。
「……ん?」
肉の旨味が広がった次の瞬間――
「ぐわあああああああああああああああっ!」
ガンズの口内で爆破魔法が炸裂した。激痛に近い強烈な辛みと、身体の芯を貫くような熱波が脳天を突き抜ける。ガンズの目が限界まで見開き、顔面は瞬時に熟したトマトのように真っ赤へと染まった。
「な、なんだこれはあああああっ! 舌が……舌が焼き切れるっ! 喉が燃えるぞっ!」
あまりの衝撃に椅子から跳ね起き、はひはひと息を吐きながら汗を噴き出させるガンズ。カウンターの奥で蒼い眼鏡の位置を直した結衣が冷静に呟く。
「超劇物級唐辛子ハバネロのカプサイシン。感覚神経の過剰興奮による一時的な脳の覚醒効果ですね」
冷たい氷水を何杯も飲み干し、はあはあと激しく息を整えながら、ガンズはやっとのことでカウンターに手をついた。その目は先ほどまでの濁った虚無感が綺麗さっぱり消え去り力強い眼光を取り戻している。そんなガンズを覗き込み、陽菜はにんまりと悪戯っぽく微笑んだ。
「ちょっとは目が覚めた?」
その言葉にガンズは一瞬呆然としたが、やがて口内に残る激痛と熱さに頬を緩めた。
「はっ、ははは! ああ、すっかり目が覚めた。 脳みその芯まで丸焦げになった気分だ」
「いつまでもうじうじ悩んでたら隊長としてみんなを引っ張っていけないでしょう? ガンズさんには前を向いててくれないと!」
「そうだな。過ぎた裏切りに縛られて残された仲間たちを不安にさせてどうする。俺がしっかりしないと駄目だな」
ガンズは大きな手で両頬をばちんと叩き豪快に笑い飛ばした。
「その激辛ミートボール、残りのやつも全部食べていいか? 辛さに耐えて己の根性を叩き直してみせる!」
「えーっ! 本当に食べるの? ものすごく辛いよ?」
「わかっている。だからこそ挑戦するのだ。隊長の意地を見せてやるさ」
汗だくになりながら猛烈な辛さと戦うガンズの姿に、店内にはいつもの明るい活気が戻っていた。
「相変わらず無茶な療法をするわね」
結衣が獺祭のグラスを傾けながら呟く。
「でもまあ、あの強情っぱりの目を覚まさせるには、あれくらい強力なパンチが必要だったってことだ」
大吾は満足そうに腕を組む。
激辛の試練を乗り越えて立ち上がった誇り高き騎士の顔に温かな絆の光が宿る。今夜もテトラ・アコードの夜は、情熱と笑顔を乗せて賑やかに更けていくのだった。




