83 忍び寄る王冠と黄金に輝く天津飯
「こんばんはーっ! 陽菜、サークルの仲間を連れてきたよ!」
賑やかな笑い声とともに陽菜の大学のサークル仲間、十数名がぞろぞろとテトラ・アコードへ雪崩れ込んできた。その雑多な集団の中に上質な布地のカジュアル服を纏った、どこか品格の漂う二人の少女が紛れ込んでいる。変装したフローラ姫と若い宮廷料理人のカトリーナだ。
「仕草の端々に滲む王族の洗練された所作、ならびに指先の包丁ダコから察するに――フローラさんとカトリーナさんですね」
結衣はカウンターの端で蒼い眼鏡を直しながら呟く。陽菜も大吾も理恵も彼女たちの正体にはとっくに気づいていた。だが、追求は野暮というもの。店側は「ただの陽菜の友人」として何食わぬ顔で接することに決めていた。
「みんないらっしゃい! えーっと、今日はみんなでなにをしてるんだっけ?」
陽菜がお冷を配りながら尋ねると、学生の一人が誇らしげに一枚の大きな地図を広げた。
「ふふん! 実はね、この街の天津飯が食べられるお店ガイドマップを作ってるんだよ! 味の評価や餡の種類を細かく食べ歩いてデータ化してるのさ!」
「あら、素敵な取り組みですわね。あ、いえ、素敵な企画だね!」
変装したフローラ姫が慌てて口調を整えながら目を輝かせる。隣のカトリーナも「東国の卵と餡の調和。宮廷料理の参考にするべく、お供させていただきます」と真剣な表情だ。
「でさ、大吾さん! このマップの大本命として、テトラの天津飯もぜひエントリーさせてほしいんだ!」
「天津飯のマップだあ? くだらねえ企画で押しかけてくるんじゃねえよ」
厨房の大吾は口ではぶーぶーと毒を吐きながらも手は休めない。中華鍋を強火でカンカンと熱して油を馴染ませていく。
「陽菜、卵の準備だ! ズワイガニのほぐし身、長ネギ、きくらげ、たけのこもたっぷり用意しておけ!」
「はーい!」
大吾の天津飯は一切の妥協がない。
たっぷり使った溶き卵を煙が立つほど熱した中華鍋へ一気に流し込む。お玉で外側から空気を含ませるように素早く掻き混ぜ、表面はとろとろ、底はふんわりとした半熟状態を数秒で作り上げる。鶏ガラ出汁に少しの醤油と酢、生姜の搾り汁を加えた絶妙な甘酢餡。片栗粉でとろみをつけて仕上げに香ばしいごま油をひと垂らしして艶を出す。炊きたての白飯の上に美しく折り畳まれたふんわり卵をぱかっと乗せ、上からなみなみと特製黄金餡を注ぎ込む。
「お待ち、これがテトラ特製の天津飯だ」
「うわああああああああああーっ!」
テーブルに運ばれた瞬間、学生たちから歓声が上がった。丸い御飯を覆い尽くす、分厚く黄色い卵のドレス。その上から輝く琥珀色の餡がたっぷりと注がれ、湯気とともに甘酸っぱく香ばしい中華の香りが広がる。
「見てカトリーナ――じゃなくて、見てよこれ! まるで黄金の冠みたい!」
フローラ姫がレンゲを手に取り、ぷるぷるの卵と餡、御飯を一度にすくって口へ運んだ。
「んんん――――っ!」
フローラ姫の頬が幸福感で桃色に染まる。
「な、なんてなめらかなの。卵がふわっふわで口に入れた瞬間に解けていくわ! 中のカニの旨味と甘酸っぱい餡のコクが合わさって――まるで舌の上で舞踏会が始まったみたい!」
一方、隣で一口食べたカトリーナは料理人としての衝撃に固まっていた。
(な、なにこの火入れの技術は? 卵に完全に火を通さず絶妙な半熟を保ちながら、出汁の効いた餡をしっかりと抱き込んでいる。酢の酸味が角を立てず生姜の風味が全体を引き締めて……これが……こちらの世界の料理なのか?)
カトリーナは思わず手帳を取り出して猛烈な勢いでメモを取り始めた。
「大吾さん! これ、間違いなくこのマップの『SSランク』だよ!」
学生たちは夢中でレンゲを動かし、あっという間に全員の皿が空になっていく。
「ふう……ごちそうさまでした! 本当に素晴らしかったわ、大吾さん!」
フローラ姫が思わず貴婦人のような深々としたお辞儀をしかけ、カトリーナに「お忍びですよ」と裾を引っ張られて慌てて咳払いをした。
「こほん。すごく美味しかったよ! ガイドマップ、絶対に一番目立つ場所に載せるね!」「好きにしろ。美味いもん食って、しっかり勉強しろよ」
大吾は照れくさそうに背中を向けながら中華鍋を洗う。
「ふふふ、フローラちゃんもカトリーナちゃんも、極上の和風中華を楽しんでくれたみたいね」
理恵は陽菜と顔を見合わせてくすりと笑った。学生たちの笑い声とマップに書き込まれる熱い評価メモ。正体を隠した異世界人の満足気な笑顔を乗せて、今夜もテトラ・アコードの夜は賑やかに更けていくのだった。




