81 欲望のオールスターと夜の角道の大人のお子様ランチ
夜の静けさが漂う街角。
一人の男が棒立ちになっていた。
腹が、減った。
ぺこぺこりんだ。今夜の俺の胃袋は一体なにを求めているんだ? がつんとした肉か? どっしりとした洋食のコクか?
ふと足を止めると路地裏にぽつんと灯る木枠の看板。テトラ・アコードだ。何度も通っている店だが、なかなか楽しい店である。
ここに決めるか?
入店すると香ばしい油とデミグラスの匂いが鼻腔をくすぐった。カウンターの端に滑り込んで卓上の本日のおすすめメニューに目を走らせる。
「ん?」
俺の視線が――ある一行に釘付けになった。
【数量限定】大人のお子様ランチ
な……なんだと?
胸の奥で少年だった頃の俺が跳ね起きた。
ふわとろオムライス・ナポリタン・特製ハンバーグ・エビフライ・サクサクチキンカツ・手作りポテトサラダ――あの頃、夢にまで見た茶色のオールスターが、一皿の上に勢揃いしているじゃないか?
数量限定。この言葉の響きにも弱い。この機を逃す手はないだろう。俺は迷うことなく店員さんを捕まえて注文した。
「すみません、この大人のお子様ランチをお願いします。あと烏龍茶」
「はーい。お父さん、大人のお子様ランチ」
「あいよ」
店主は力強く頷く。厨房から聞こえてくるジューッという軽快な揚げ音とフライパンを煽る金属音。待つ時間すら胃袋への最高の愛撫だ。
「お待たせしました。大人のお子様ランチです」
陽菜という看板娘が運んできた大きなプレートを目にした瞬間――俺は息を飲んだ。
「うおおおおおおおおおおっ!」
思わず心の中で声を上げた。完璧過ぎる。皿の上に描かれた洋食の小宇宙。子供の頃に夢見ていた世界が目の前に広がっている。
黄金色に輝くふわとろのオムライスを中心にして、艶やかなデミグラスソースがたっぷりかかった丸々としたハンバーグ。その隣には直立不動のエビフライと狐色に揚がったチキンカツ。端には真っ赤なケチャップが焦げた濃厚そうなナポリタンと、白い山を描くポテトサラダが鎮座している。
子供っぽいなんて言わせない。これは欲望を力でねじ伏せる大人のためのフルコースだ。
よし……どこから切り崩そうか? 迷うなあ。しかしこの迷いこそが、お子様ランチの醍醐味だ。
よし、決めた。まずはオムライスからいこう。
スプーンをすっと入れると、とろりと溢れ出す半熟卵。中のケチャップライスと一緒に口へ放り込む。
「……ふおっ!」
美味い。卵のまろやかさとチキンライスの酸味が絶妙だ。どこか懐かしく、そして骨太な味わい。ハンバーグはナイフを入れると肉汁がジュワッと溢れ出す。デミグラスソースをたっぷり絡めて一口。
――もぐもぐ。
肉だ。肉の旨味ががつんとくる。デミグラスの深みが、オムライスの余韻と重なって最高のハーモニーを奏でている。すかさずナポリタン。極太の麺に絡む、甘酸っぱく香ばしいケチャップの風味。これぞ喫茶店の、いや、洋食屋の正統派ナポリタンだ。
ここで合間に挟むポテトサラダ。
じゃがいものゴロゴロ感が残る優しい味が、濃密になった口の中を一度リセットしてくれる。名脇役だ。そしてメインディッシュの揚物コンビへ――特大エビフライにタルタルソースをたっぷりつけて豪快に噛み千切る。
――ザクッ!
プリップリのエビの歯ごたえ。衣の香ばしさとタルタルの酸味が弾ける。さらに畳みかけるようにチキンカツ。サクサクの衣の中からジューシーな鶏肉の肉汁が広がる。
オムライス、ハンバーグ、ナポリタン、揚げ物、ポテサラ――右へ左へフォークを走らせる手が止まらない。俺は今――少年の心を持ったまま大人の胃袋でこの極上の宴を喰らい尽くしている。
「ふう……」
重厚な満足感が腹の底からじわじわと押し寄せてくる。まさに大人の夢を形にしたような至高の一皿だった。
「ごちそうさまでした」
代金を支払い店を出る。
夜の風が火照った頬に心地よい。
「大人になって、本当によかった」
満ち足りた胃袋と誇らしい満足感を胸に抱き、俺はゆっくりと夜の帰り道を歩き始めた。




