77 三つの顔を持つ鰻と熱田の風薫るひつまぶし
「すまない、今夜はとびきりスタミナがつくものを頼みたいのだが!」
重厚な甲冑を鳴らして入ってきたのは騎士のエルザだった。連日の魔獣討伐と遠征の指揮で、少し頬が削げて疲労の色を隠せない様子だ。
「スタミナ……ねえ。ちょうどいいのが入ってるぜ」
大吾が厨房の氷割り桶から取り出したのは丸々と太った立派な鰻だった。
「わあっ! お父さん、それって鰻だよね? 蒲焼きにするの?」
陽菜は目を輝かせる。
「いや、今夜は普通の一本焼きじゃねえ。遠征帰りで腹を空かせたエルザには――名古屋名物ひつまぶしを出してやる」
大吾は熟練の手つきで鰻を割き、備長炭の強火で一気に焼き上げる。関東風の蒸しを入れず生のまま強火で地焼きにする関西名古屋流だ。皮目はパリッと香ばしく身はジューシーな脂を閉じ込めたままふっくらと焼き上がっていく。
「お父さん、タレは大丈夫なの?」
「抜かりはねえよ。輸送はすべて結衣のおかげだけどな」
創業以来継ぎ足してきた甘辛い特製タレにくぐらせ、香ばしく焦げたタレの匂いが店内に充満した。焼き上がった蒲焼きを細かく刻み、炊きたての御飯を敷いた小振りの木のお櫃へ敷き詰める。
「待たせたな。これはひつまぶしっていう料理だ。食べ方にちょっとしたお約束がある」
大吾が運んできたのは、重厚な木のお櫃としゃもじ、茶碗、そして薬味(細ネギ、刻み海苔、ワサビ)と、ダシの入った土瓶だった。
「まずお櫃の中の御飯をしゃもじで十文字に四等分にする。一杯目はそのままで鰻本来の味を試す。二杯目は薬味を添えてさっぱりと。三杯目は出汁をかけてさらりとお茶漬け風にな」「一つの料理で三度も味を変えるというのか?」
エルザはその趣向に驚きつつも、教えられた通りしゃもじでお櫃を四等分にした。お櫃から茶碗へそのまま盛り付ける。パリッと香ばしい皮目と甘辛いタレが染み込んだふっくらした身、タレ御飯の濃厚な旨味をダイレクトに堪能できるのだ。
シャキシャキのネギと海苔の香り、そしてつんと鼻を抜けるワサビを加えることで、鰻の濃厚な脂が引き締まり、爽やかな後味へと変化させることができる。薬味を乗せた上から昆布と鰹節で引いた一番出汁を注ぎ込む。溶け出した鰻の脂とタレが出汁と混ざり合い、さらさらと流れる極上のスープへと昇華する。
「では、一杯目からいただくぞ」
エルザは一口含んだ瞬間、瞳がかっと見開かれた。
「――――うむ! 表面はパリッと香ばしく、噛み締めると芳醇な脂と甘辛いタレが口いっぱいに弾ける! この濃厚なコク、疲れた肉体に活力が満ちていくのがわかるぞ!」
次は細ネギと海苔、ワサビを乗せて口へ運ぶ。
「むむっ! ワサビの風味が加わることで、先ほどの濃厚さが嘘のように上品で爽やかになる。 ネギのシャキシャキとした食感も心地よい」
仕上げは熱々の和風出汁を注ぎ、さらさらと喉へ流し込む。
「な……なんということだっ! 出汁に鰻のタレと脂が溶け出し、すべての旨味が一つに調和している! お茶漬けのようにさらりと腹に入り、胃の底から熱い力が湧き上がってくるようだ」
結衣は蒼い眼鏡の位置を直した。
「ビタミンA・B群が豊富に含まれる鰻の栄養価に加え、三段階の味覚変化による食欲増進効果。疲労困憊の騎士に対する、完璧なリカバリーフードですね」
四等分した最後の一杯を、エルザは一番気に入った出汁茶漬けで豪快に締め括り、お櫃を綺麗に空にしたのだった。
「ふう……ごちそうさまでした! 身体の芯から力が湧き上がってくるようだ。明日からの任務も完璧にこなしてみせるぞ!」
すっかり元気を取り戻したエルザは晴れやかな笑顔で胸を張った。
「そう言ってもらえると作り甲斐があるぜ」
「お父さん、今度は私にもひつまぶし食べさせてね!」
陽菜は笑う。伝統が生んだ三変化の美味。スタミナと温かな笑顔を乗せて、今夜もテトラ・アコードの夜は優しく更けていく。




