76 夏の風と山盛り薬味の具沢山そうめん
「ここがミナの言っていた店か?」
夜のテトラ・アコードを訪れたのは、ミナと同じ琥珀色のふさふさな耳と尾を持つ、長身痩躯の獣人の男性だった。
「いらっしゃい! もしかしてミナちゃんの知り合いですか?」
陽菜が笑顔で迎えると獣人はどこか疲れたようにカウンターの席へ腰を下ろした。
「ああ、同郷のミナに美味い麺類があると勧められてね。あいつの屋台の豚骨ラーメンも家系ラーメンも試してみたんだけど……どうにも油が濃過ぎて胸が焼けてしまうんだよ。食欲がないときでも食べられる麺類はないのだろうか? どうしても喉越しのいい麺類が食べたいんだ。なにかさっぱりした麺はないか?」
長身痩躯で凛々しい顔立ちをしているが、見た目に反してかなりのあっさり好きらしい。厨房で話を聞いていた大吾は無言で包丁を置くと、隣で仕込みをしていた理恵へ目配せをした。
「理恵、出番だ。あっさりしてて野菜もたっぷり摂れる一品を出してやれ」
「そうね、わかりました。それじゃあ具沢山そうめんなんてどうかしら?」
理恵は優しく微笑むと手際よく冷蔵庫から色鮮やかな食材を取り出した。
理恵が作るのは家庭でも大人気のツナとトマトのぶっかけそうめんだ。角切りにした真っ赤なトマトに冷たいめんつゆとおろし生姜を合わせて冷やしておく。千切りにしたきゅうり、大葉、みょうが、小口切りのネギ。そして油を切ったマヨネーズで和えたツナ。極細のそうめんを手早く茹で上げ、氷水で一気に締めてしっかりと水気を切る。深皿に冷たそうめんを小高く盛り付けたら、上から冷やしたトマト、めんつゆをたっぷりと回しかける。その周りにきゅうりとツナマヨを添え、さらにその上へ千切りにした薬味を山のようにどっさりと盛り付け、仕上げに白いりごまを散らして完成だ。
「お待たせ致しました。ツナとトマトの具沢山ぶっかけそうめんです」
「ふむ……これが麺料理なのか?」
獣人は目の前に運ばれてきた一皿に驚愕した。今まで見てきた濃密な豚骨スープや白濁したスープとは打って変わり、澄んだ出汁の中に真っ赤なトマト、鮮やかな緑の薬味とキュウリ、そして真っ白な極細麺が見事に調和している。
「よく混ぜて召し上がってくださいね」
半信半疑のまま獣人は箸をつけ、山盛りの薬味とツナ、トマトを麺に絡めて丁寧に啜った。
――ズズズッ!
ふさふさな耳がぴんと直立した。
「う……美味い! 氷で締められた極細の麺が驚くほどつるつると喉を滑り落ちていく! トマトのさわやかな酸味と生姜の効いた出汁が、疲れた身体にすーっと染み渡るようだ!」
山盛りの薬味がもたらす刺激と香りが鼻を抜けて油っこさを一切感じさせない。
「それだけじゃない……このツナのほのかなコクが、さっぱりした出汁と野菜に見事な食べ応えを与えている! 薬味の清涼感とツナの旨味――こんなに軽やかで満足感のある麺料理があったのか!」
獣人は夢中になって箸を動かし、山盛りのそうめんをあっという間に平らげてしまった。
「はあ……ごちそうさまでした! 胃が洗われるようにすっきりした。これならいくらでも食べられそうだ!」
腹を満たした獣人は晴れやかな笑顔で深々と頭を下げた。
「ふふ、喜んでいただけて良かったです。麺料理はこってりしたものばかりじゃないんですよ」
理恵は嬉しそうに微笑む。
カウンターの端で結衣が新しい蒼い眼鏡の位置を直した。
「カプサイシンや油分に頼らない、カリウムと水分、そして香味成分による疲労回復効果。濃厚さを求める者だけが客ではない、テトラの懐の深さを示す一杯でしたね」
長身痩躯の獣人は弾んだ声で代金を支払うと、軽やかな足取りで夜の街へ帰っていったのだった。こってりした旨味も、さっぱりとした清涼感も、多様な人々が寄り添うテトラ・アコードの夜は今夜も優しく更けていく。




