74 アジアン・ハーモニーと二つのチキンライス
いつもなら元気な声で接客を担当している陽菜が、珍しく厨房用のエプロンを締め、一人真剣な表情で大鍋の前に立っていた。作っているのは東南アジアの定番料理――シンガポール名物チキンライスだ。
日本のチキンライスが鶏肉入りのケチャップ炒め御飯だとしたら、シンガポールのチキンライスは鶏出汁で炊いた御飯にしっとり茹で鶏を乗せた料理である。
「大学のサークルの友達がね、最近課題で忙しくて疲れ切ってるの。だから手軽に食べられて元気になる美味しいお弁当を持っていってあげたくて!」
大吾は厨房の端で腕を組みながら静かにその手元を見守っていた。口出しは一切しない。娘が誰かのために一生懸命包丁を握る姿を、ただ温かい眼差しで見守るのが父親の流儀だ。
「お父さん! 鶏の茹で汁で炊いたお米もバッチリだし、お肉もふわふわに茹で上がったよ! ただこのタレの味が……あとちょっとなにか足りない気がして……味見してみてくれる?」
差し出されたスプーンのタレを大吾はぺろりと舐めた。
「醤油ベースのタレは悪くねえが、少しコクと酸味が足りねえな。老抽をほんのひと垂らしと、レモンの酸味、それと生姜の絞り汁をもう少し足してみな。味がグッと引き締まって、鶏肉の脂を引き立てるぞ」
「わあ……本当だ! すごい、一気に本格的な味になった!」
大吾の的確なアドバイスで極上のチキンライスが完成する。陽菜は嬉しそうに弁当箱へ詰め込むと「行ってきまーす!」と元気いっぱいに店を飛び出していった。
「陽菜、かっこよかったわね」
理恵は優しく笑いながら厨房に残された鶏の茹で汁と余った鶏肉を見つめた。
「張り切り過ぎなんだよ。しかしこの極上の鶏出汁と肉を余らせて捨てるのは料理人として忍びねえな」
大吾は腕を捲ると残った材料を使って手際よく大吾流のチキンライスを炊き上げた。鶏の旨味を吸い尽くした黄金色のジャスミン米。しっとりジューシーに仕上がった蒸し鶏。大吾の手にかかれば余りものとは思えない至高の逸品があっという間に組み上がっていく。
「大吾さん、このチキンライス、ミナちゃんのラーメン屋台に置かせてもらわない?」
理恵が思いついたように提案した。
「ミナの屋台? なんでだ?」
「ミナちゃんの家系ラーメンや豚骨ラーメンは大人気だけど、たまには違う味を楽しみたいお客さんもいると思うんだよね。ラーメン以外にもテトラには美味しいものがたくさんあるよって宣伝を兼ねて、持ち帰り自由の無料サービス品として置いてもらうのはどうかな?」
「無料のテイクアウトね。ミナの助けにもなるしな」
その夜、街の広場で熱気あふれるラーメン屋台を引いていたミナの元へ、大吾と理恵が特製の保温ケースを届けた。
「ええっ! これ、大吾さんが作ったチキンライスという料理なんですか? しかも無料でお客さんに配っていいなんて!」
ミナは琥珀色の耳をぴんと立てて大喜びする。
さっそく屋台の脇に「本日限定・テトラ特製チキンライス(お持ち帰り無料!)」と張り紙を出すと、ラーメンを食べ終えた騎士や冒険者たちが興味津々で群がってきた。
「おいおいミナちゃん! こんな美味そうな鶏飯を無料で持って帰っていいのか?」
「はいっ! テトラ・アコードの大吾さんからの特別なプレゼントです! おうちに帰ってからの夜食にどうぞ!」
「うおおおおおおおおおおっ! さすが大吾の旦那! ラーメンも美味いけど鶏飯も出汁が染み込んでて最高に美味そうだ! 明日は絶対テトラの店の方にも行くぜ!」
屋台は大盛況。持ち帰り用のパックは瞬く間に飛ぶように配られる。ミナのラーメンの宣伝だけでなくテトラ・アコードへの期待感を街中に広げる大成功のイベントとなったのだった。
深夜、大学から帰ってきた陽菜が友達からの感謝のメッセージを嬉しそうに報告する。
「お父さん、みんな『お店の味だ!』って大絶賛してくれたよ! アドバイスありがとう!」
「当然だ。俺の助言が入ってんだからな」
大吾は照れくさそうに頭を掻きながら理恵と顔を見合わせて笑う。
「そういえばお父さん、厨房にあった余りの鶏肉は?」
「ああ、それならミナの屋台で美味い宣伝になってもらったよ」
娘が友達に届けた優しさと、父親が街へ配った美味の余韻。二つのチキンライスが奏でる温かな調和に包まれながら、今夜もテトラ・アコードの夜は静かに更けていくのだった。




