67 ケチャップの焦げた香りと異世界のナポリタン
「お父さん! 今日の賄い、すっごく久しぶりにあのパスタが食べたいな!」
閉店後の静かな店内で、陽菜はカウンター越しにおねだりをした。
「あのパスタだ? ああ、ナポリタンのことか? 賄いで頼まれるのは確かに久しぶりだな」
大吾は一瞬意外そうに眉を顰めた。
ナポリタンはテトラ・アコードを開業した当初、まだ異世界と繋がる前の看板メニューの一つだった。しかし最近は異世界の客が増え、リクエストに応えているうちに、すっかり影を潜めていたのだ。
「いいぜ。久々に大吾特製の極上ナポリタンを提供してやる」
まずフライパンを熱し、牛脂とバターを落とす。厚切りのベーコン、玉ねぎ、ピーマン、マッシュルームを強火で炒め、そこへあらかじめ茹でて寝かせておいた、モチモチの極太麺を投入する。
そして大吾流の最大のポイント――ケチャップを麺に直接かけるのではなく、フライパンの底で一度じっくり焼き付けて酸味を飛ばし、旨味と甘みを凝縮させるのだ。ジューッという激しい音とともにナポリタン独特の甘酸っぱく香ばしい香りが店内いっぱいに広がった。
「はいよ、熱いうちに食べな」
大吾が出したのは粉チーズとタバスコが添えられた熱々の鉄板ナポリタン。中央には半熟の目玉焼きが乗っている。
「わあああああっ! これこれ! この濃厚そうな見た目が最高!」
陽菜はフォークに極太麺を巻きつけて豪快に口へ運んだ。
――パクリ!
「んんんっ! 美味しいっ!」
陽菜の頬がぱあっと華やぐ。
「これだよこれ! 麺がすっごくモチモチでケチャップの甘みとバターのコクがしっかり絡んでる! 焦げたケチャップの香ばしさと、厚切りベーコンのジューシーさが堪らないよっ!」
粉チーズをたっぷり振りかけ、目玉焼きの黄身をとろりと崩して麺に絡める。
「黄身が合わさると、さらにまろやかになって最高!」
懐かしい定番の味に陽菜が幸せそうに舌鼓を打っていると――
――カラン、カラン。
「ごめんください――って、なにこの甘くて香ばしい匂いは?」
扉を開けて入ってきたのは先日カレーうどんに感動し、指輪を置いていった魔法使いの少女ミレイだった。
「ミレイちゃん、いらっしゃい!」
陽菜が口元にケチャップを少し付けたまま笑顔で迎える。ミレイは陽菜の皿に盛られた鮮やかな橙色のパスタに吸い寄せられるように近づいてきた。
「ねえ陽菜、その赤い麺料理はなあに? 私の故郷にもトマティア・パスタっていう似たような料理はあるんだけど……こんなに色が濃くて、どろっとしたタレが絡みついているのは見たことがないわ」
「これね、ナポリタンっていう日本のパスタなんだよ。トマトケチャップっていう調味料で炒めてあるの」
「ケチャップ? トマティア・パスタはフレッシュなトマティアの果汁とオリーブオイルでさっぱり煮込むのが普通なの。気になるわ。こちらの世界のパスタと私の知っているパスタ、どう違うのか食べ比べしてみたい!」
「食べたいなら作ってやるさ。すぐだ、座って待ってな」
大吾は素早く新しいフライパンをセットした。
数分後、ミレイの前に出来立ての熱々ナポリタンが運ばれた。
「いただきます!」
ミレイは恐る恐るフォークで麺を巻いて口へと運んだ。
――――っ!
「な、なにこれっ!」
ミレイの琥珀色の瞳が驚愕に見開かれた。
「トマティア・パスタとは全然違う! フレッシュな酸味じゃなくて、果実の甘みと旨味がギュッと凝縮されているわ! それにこの麺の太さとモチモチ感……異世界のパスタはもっと細くてアルデンテに茹でるのに、これはまるで旨味を全部抱きかかえているみたい」
「ケチャップをフライパンで一度焼いて旨味を引き出してるんだよ」と陽菜は自慢げに解説する。
「なるほど……焼き付けることで酸味が角を取られて甘みへと昇華しているのね。まさに調味の魔法だわ! タバスコのピリッとした辛みを加えると、さらに味が引き締まって止まらない」
カウンターの端で結衣が蒼い眼鏡の位置をすっと直した。
「異世界のトマティア・パスタが素材の鮮度を追求した料理であるのに対し、ナポリタンは加熱加工による旨味の増幅を極めた一品。文化比較データに新たな衝撃が刻まれましたね」
ミレイは追い粉チーズを振りかけ、夢中になってフォークを動かし続け、あっという間に一皿を平らげてしまった。
「はあ……ごちそうさまでした! 異世界のトマティア・パスタも好きだけど、このナポリタンの濃厚な中毒性には敵わないかもしれないわ」
ミレイは腹を満たし、満足そうに息を吐いた。
「日本の喫茶店文化が生んだ至高のB級グルメだからな。また食いたくなったら、いつでも寄ってくれればいい」
大吾がフライパンを洗いながら無骨に笑う。
「うん、絶対また食べに来る!」
かつてのテトラの定番メニューが異世界少女の舌をも魅了する。香ばしいケチャップの香気が残る店内には、今夜も温かな満足感と笑顔が満ちあふれていたのだった。




