61 OL騎士の難局と小さなおにぎりの縁
――カラン、カラン。
「ご免ください」
夕暮れ時のテトラ・アコードに、いつもとは明らかに毛色の違う、鈴を転がすような声が響いた。店内で酒を飲んでいたシオン、そしてカウンターの奥で仕込みをしていた大吾の視線が同時にドアへと向かう。そこに立っていたのは――どこからどう見ても異世界には存在するはずのない日本のオフィス街で働くOLそのものの姿をしたエルザだった。白のブラウスに黒のタイトスカート、黒のストッキング、そして美しい髪は頭の後ろできゅっとポニーテールにまとめられている。凛とした気品と近代的なオフィスウェア――普段とのギャップが恐ろしい破壊力を生み出していた。
「ぶっ!」
カウンターで陽菜が吹き出した。
「えっ――ええええええええええっ! エルザさん、本当にその格好で来たの?」
エルザは至極真面目な顔で、すっと凛々しく背筋を伸ばした。
「先日、言っていたではないか? この姿でポニーテールをして来店したら料理が無料になるとな。私は騎士として提示された条件を真摯に履行したまでだ」
結衣は蒼い眼鏡の位置を直して真顔で呟いた。
「陽菜の冗談に対するエルザさんの真面目さが閾値を突破。脚線美は99・8%を記録。女の私でこれなので男性陣は堪りません」
「陽菜ーっ! お前、またエルザに妙な嘘教えやがったな!」
大吾は額に青筋を立てて陽菜の頭を小突く。
「痛たたたたっ! ごめんなさい! 冗談のつもりだったの!」
「エルザが真に受けることくらいわかるだろ!」
「やあやあ、これはまた……眼福な姿だね」
カウンターの端で酒を傾けていたシオンが、面白そうに目を細めてエルザに声をかけた。
「ここへ来るまで大変だったんじゃないかい?」
シオンの問いかけにエルザはどこか困惑したように眉を顰めて隣の席に腰を下ろした。
「シオン……だったか? うむ、実に解せぬことがあってな。普段の甲冑姿であれば街の者たちは畏怖して道をあけるのだが――今日の道中はなぜか多くの男性に声をかけられたのだ」
「ほう、どんな風にだい?」
「例えば『お姉さん、どこ行くの?』とか『一緒にお茶でもどう?』とか『そのタイトスカートすごく似合ってるね』などだな。中には手を引こうとする不届き者もいたため、手刀で排除してから路地裏のゴミ箱に放り込んでおいた。とにかく奇怪な現象だった」
「はははははっ! それ、ナンパってやつだよ」
シオンが大笑いし、大吾は「まったく、街の治安を乱すな」と呆れ顔で頭を振った。
「まあいい。陽菜の冗談はともかく、前回は理恵の茶漬けが好評だったからな。俺からも特別な一品を出してやる」
大吾がカウンター越しに差し出したのは木製の寿司台。そこにはまるで回らない寿司屋の握りのように、ひと口からふた口サイズの小ぶりなおにぎりが美しく並べられていた。
「わあ……お寿司みたいなおにぎり!」
陽菜が目を輝かせる。
「群馬の高崎だったかな? そこにある店のやり方を真似てみたんだ」
大吾は器用な指先で次の具材を握りながら説明する。川のり&すじこだ。パリッとした焼き海苔でふわっと優しく包まれた小ぶりな米。ふわりと解ける米粒の間から磯の香りと濃厚な旨味が溢れ出す。コハダ&山ごぼう。酢締めにしたコハダを酢飯ではなく白米で握る贅沢。酢の酸味と米の甘みがばちんと合わさり、山ごぼうのシャキシャキとした食感がアクセントを添える。ウニ&まぐろ漬け。白米の上にどっさりと乗せられたウニと、絶妙に漬け込まれたマグロ。つまみでありながら極上のおかずと白米を同時に食べるような贅沢の極み。
「小さく握ってあるから酒のつまみとして色んな味をちょこちょこ愉しめるのが醍醐味だ」
「ほう、楽しみだ」
エルザはタイトスカートの裾を少し気にしながら、上品にコハダのおにぎりを指で摘み口へと運ぼうとする。
「なになに、エルザさんでも短いスカートは恥ずかしいとかあるの?」
「いや、そういうわけではない。ただ防御力を捨て機動力に特化した装備は暗殺者くらいしか着ないので気になってな」
「なーんだ、詰まんないな」
「陽菜、さっさと食べさせてやれよ」
「はーい」
「それでは頂こう」
――――っ!
一口噛んだ瞬間、エルザの身体がぴくっと跳ねた。パリッとした海苔の香ばしい音。その直後、口の中で握り飯がほろほろと絶妙な塩梅で解けていく。白米の優しい甘みとコハダのきゅっと効いた酢の旨味が噛むほどに混ざり合っていくのだ。
「な、なんだこの感覚は? 米が……米が口の中で優しく踊っている」
「だろ?」
大吾はにやりと笑う。
「寿司職人の技法なんだよ。強く握り過ぎず崩れないぎりぎりの力加減で握る。米と米の間に空気の層を残しておく。だから口の中で解けるんだ」
「次はウニを頂こう」
エルザはOL姿のまま、夢中で二個目、三個目へと手を伸ばす。
「はっはっはっ、その格好で豪快におにぎりを頬張る姿、なかなか様になってるよ。ただ帰り道は気をつけたほうがいい。遅くなるとナンパの性質が悪くなるからね」
シオンも楽しそうに川のりのおにぎりを口に放り込み酒を飲む。
「うう……エルザさんごめんなさい! お代は本当にお父さんの奢りにするからね。だから遠慮なく食べてください」
陽菜が申し訳なさそうに頭を下げると、エルザは口元に米粒を一つ付けたまま凛とした笑みを浮かべた。
「気にすることはない。怪しげな男たちに絡まれたのは少々鬱陶しかったが……この美味いおにぎりを食べられたのだ。今日のところは良き縁であったと許そう」
カウンターにはOL姿のエルザと、気ままなシオン、そして温かいおにぎりを握る大吾たちの姿があった。
「小ぶりなおにぎりによる満足度指数、及びOL衣装の視覚的シナジー効果。今夜のテトラの雰囲気は過去最高値を更新ですね」
結衣が蒼い眼鏡を光らせて呟く中、エルザのおかわりを求める声と、陽菜の明るい笑い声が香ばしい海苔の香りとともに店内にどこまでも響き渡っていた。




