60 深夜の歩哨と十二色の高級お茶漬け
深夜二時。
静まり返ったテトラ・アコードの厨房で、理恵が一人、丁寧に鰹と昆布の一番出汁を引いていた。黄金色に輝く出汁からは上品で深みのある香味が立ち上っている。今夜用意されていたのは、がっつりとしたメイン料理ではなく、洗練された特製高級お茶漬けだった。
「お母さん、準備は整いました」
結衣が蒼い眼鏡の位置を直しながら厨房のカウンターに整然と並べられた十二個の小鉢を指差した。具材は塩鮭・昆布締め真鯛・炙り明太子・浅利の時雨煮・炭火で皮目をパリッと焼き上げた紅鮭・旨味を凝縮させた真鯛・自家製のピリッと辛い明太子・生姜を効かせた浅利・焼鶏のほぐし身・しぐれ牛・梅干し・山菜の佃煮・香ばしく炙った鶏肉・甘辛く煮立てた牛肉・酸味で胃をすっきりさせる大ぶりの梅干しと山の香りを運ぶ山菜。刻み海苔・あられ・三つ葉・わさびが出汁を引き立てる名脇役だ。
――カラン、カラン。
重い鉄の甲冑を鳴らして店に入ってきたのは、エルザの部下である四人の若い騎士たちだった。彼らの顔には濃い疲労の色が滲んでいる。他国との緊張状態に伴い、二十時間以上にも及ぶ不眠不休の監視業務を終え、一時帰還したばかりだった。
「夜分遅くに失礼する。大吾殿、理恵殿」
若き騎士たちが申し訳なさそうに頭を下がる。
「おう、ご苦労さん。理恵、出してやってくれ」
奥から顔を出した大吾の合図で、理恵がにっこりと微笑み、温かい湯気が立つ椀と、彩り豊かな十二種の具材盆を一人ひとりの前に並べた。
「本当にお疲れ様! 今夜は特製のお茶漬けよ。好きな具材を乗せて熱々のお出汁をかけて食べてね」
若い騎士の一人が小鉢に肉料理が無いことに一瞬だけ不思議そうな顔をした。過酷な勤務の後だ。普段なら肉をがつがつと食いたい年頃でもある。
「肉メインじゃないんですか?」
「ふふふ、駄目だよ」
理恵は優しく諭すように言った。
「あと数時間したらまた交代で前線の監視任務に戻るんでしょう? 重たい肉料理を食べちゃったら、胃に負担がかかって眠くなったり、身体が重くなっちゃうからね。お茶漬けならさらさらっと食べられて消化も良いし身体の芯から温まるはずよ」
「理恵殿……そこまで僕たちのことを考えてくれてたんですね。では、いただきます!」
騎士たちは言われた通り、炊きたてのご飯の上に炙り明太子と三つ葉を乗せ、理恵特製の一番出汁をなみなみと注いだ。出汁が御飯と明太子に注がれると、香ばしい海苔と昆布の香りが爆発的に広がる。騎士たちは一気に掻き込む。
――――っ!
一口流し込んだ瞬間、温かい出汁が疲弊した胃袋へ優しく染み渡っていく。明太子のピリッとした辛みと塩気が、鰹出汁の上品なコクと完璧に融合し、噛む必要すらないほどするすると喉を滑り落ちていく。
「な、なんだこの優しさは! 身体中の毒素が抜けていくようだ!」
「次は焼鶏とわさびで――ああっ! 炙った香ばしさが出汁に溶け出して、一杯目とは全然違う味わいになる!」
具材が十二種類もあるため、組み合わせは無限大だ。塩鮭とあられで王道を味わい、しぐれ牛と山菜で少し濃いめの旨味を楽しみ、梅干しと三つ葉で口の中をさっぱりとリセットする。胃に負担がかからないため、若者たちの食欲は衰えるどころかさらに加速した。
「おかわり――三杯目をいただけますか?」
「僕も僕も! 今度は真鯛の昆布締めで出汁茶漬けにしたいです!」
「私も三杯目を――」
「はいはい! 御飯も出汁もたくさんあるから、どんどんおかわりしてね!」
笑顔で茶碗を受け取る理恵の姿に騎士たちの殺伐とした心はすっかり解きほぐされていた。カウンターの端で結衣が蒼い眼鏡を光らせる。
「一番出汁によるグルタミン酸とイノシン酸の相乗効果。そして消化器官への低負荷設計。過酷な任務を控えた生体ユニットに対する完璧な栄養補給アプローチ」
おかわりを重ねて腹も心もすっかり満たされた騎士たちは立ち上がった。入店した時のどんよりとした疲労感は消え去り、その瞳には再び力強い光が宿っている。
「理恵殿、大吾殿! 最高の夜食をありがとうございました! おかげで身体が軽くなり、活力で満ち溢れています!」
「よし、気をつけて行ってこい。終わったらまた美味いもん食わせてやるからよ」
「はいっ!」
シャキッと背筋を伸ばして若い騎士たちは再び防衛任務に向かって走り去っていく。
テトラ・アコード。
そこは過酷な任務に挑む戦士たちの身体を想う理恵の母のような優しさと、十二種の具材が紡ぐ至高のお茶漬けで、深夜の暗闇さえも温かく照らし出すのだった。




