58 東の国からの革命と醤油豚骨家系ラーメン
――カラン、カラン。
「ごめんください! ここに聞いたこともないほど美味い料理を作れる変わった店主がいると聞いて遙々やってきたのです」
夜更けのテトラ・アコードに元気な声とともに入店してきたのは、琥珀色の瞳と同じ色のふさふさとした犬系の獣耳と尻尾を持つ若い獣人の少女だった。
背中には調理器具が詰まった大きな革のリュックを背負い、腰には使い古された大きめの包丁が下がっている。ここまで不審者として補導されなかったのが不思議なくらいの格好だ。
「お前、料理人か?」
大吾は腕を組んで神妙な面持ちとなる。
「はい、私はミナと申します! 流れの料理人をしています。実は私……異世界にはまだ存在しない、最高にがつんとくる、革命的な麺料理を創り出したいんです!」
ミナはカウンターに身を乗り出し瞳を輝かせて語った。
「旅の途中いろいろな街で試作したんですが……なにかが足りない。もっと濃厚でもっとパンチがあって食べた瞬間にうぉんって叫びたくなるような――そんなとき大吾さんの料理にはそのなにかがあると聞いて!」
「異世界にも噂好きな奴はいるんだな」
「いえいえ、あっちの世界では料理を一番の楽しみにしている方も多いのです。有名な料理人を共通認識するのは当たり前のことなんですよ」
「どの辺りを旅しているときに俺の存在を知ったんだ?」
「アステリア王国――辺りだったような?」
「……………」
頭を抱えたあと大吾はにやりと笑いミナの背中のリュックを指差した。
「がつんとくる革命的な麺料理ね。だったら話は簡単だ。お前が目指してるのは本格的な家系ラーメンさ」
大吾から日本の家系ラーメンという、豚骨醤油の濃厚スープと太麺、そして海苔とホウレン草という独特のスタイルを聞いたミナは、その瞬間にこれだと直感した。
「よーし! それなら今日からこのテトラ・アコードの店先をお借りして、屋台形式でミナ特製・家系ラーメンの修行を始めさせてもらえませんか?」
「おう、好きにしろ。ただし完成したときは一番に試食させろよ」
「はい、ありがとうございます」
こうしてテトラ・アコードの入り口の横にミナの小さな屋台が作られた。夜な夜な豚骨や鶏ガラを煮込む、濃厚な匂いが周囲に立ち込め始める。しかし――がつんとくる味を創り出すのは容易なことではなかった。
異世界の豚骨は日本の豚骨に比べて遥かに臭みが強い。ミナは大量の生姜やニンニクを投入するが、今度はスパイスの味が強くなり過ぎ、せっかくの豚骨の旨味が消えてしまう。家系の命である濃厚な醤油ダレと表面を覆う黄金色の鶏油が活きない。
ミナは異世界の様々な醤油を合わせるが、スープの濃度に対してタレが負けたり、鶏油が分離してギトギトになったりする。コシのある太麺を目指して小麦粉を練り続けた。しかし麺が硬くなり過ぎたり、スープを弾いてしまったりして、家系特有の麺とスープの一体感が生まれない。
数週間後。
夜通し麺とスープと格闘し、屋台の横で倒れ込んでいるミナを見て、大吾は静かに溜め息を吐いた。
「おいミナ、根性だけじゃ家系ラーメンは作れねえよ。ちょっと待ってな」
もちろん倒れているミナから返事はない。大吾は店の奥へ戻ると旧友の麺職人に連絡を入れた。
「おう、俺だ。大吾だ。腕の良いラーメンの専門家を一人――派遣してくんねえかな?」
翌日。
屋台を訪れたのはミナと同年代の、コックコートに身を包んだ若い青年だった。白いシャツに独特のタイ、下は緑色のエプロンをかけている。異世界の獣人を見ても驚く様子はない。
「あんたが大吾さんの言ってた家系に挑んでる獣人さんか?」
「はい、ミナと申します」
「うちの師匠が派遣を許可するんだから見込みはあるんだろうな。よろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
青年は武骨な手つきで屋台の寸胴鍋のスープを掬い口へ運んだ。
「豚骨の旨味を殺してる。カエシの醤油が泣いてるな。麺は硬いだけだ。これじゃあ、家系じゃなくて、家系もどきでしかない」
「な、なんなんですかーっ!」
ミナはふさふさの尻尾を逆立てて怒鳴る。
「こっちも迷惑な話なんだけど師匠に頼まれてる以上、お前が一人前の家系ラーメンが作れるようになるまで帰れない。名前はコウだ」
コウは冷ややかに瞳の奥を光らせる。ミナの包丁を掴み、寸胴鍋に向かった。
「豚骨の臭みの主な原因は骨内部に残った血・骨汁・ゼラチン質の酸化物・内臓系の付着物だ」
血抜きは大きな鍋に骨を入れて完全に浸る量の水につける。最低でも数回は水を替えながら血を抜いていく。水が赤く濁らなくなるまで繰り返すのが理想だ。
下茹では骨が被るくらいの水から強火にかけて沸騰させる。沸騰してアクが大量に出てきたら、しっかり沸かして火を止め、茹で汁をすべて捨て骨を流しへ移す。流水に当てながら骨の断面や関節の隙間にある黒っぽい血の固まりや関節軟骨の汚れを、たわしや竹串、指先を使って徹底的に洗い流していく。特にガラや頭骨を使う場合は髄の奥にある血栓をしっかり取り除くことが臭み消しの要となる。
下処理が済んだ骨を改めて綺麗な水から炊いていく。最初の一時間でアクを徹底除去する。再沸騰直後は細かいアクが浮いてくるので、これを丁寧に掬い取る必要があるのだ。
家系ラーメンは強火でぐらぐら炊いて乳化させるのが特徴だが、スープが白濁・乳化する前の最初の時間は、丁寧にアクを取り続けることで雑味が激減する。
臭み消し香味野菜の投入タイミングも重要だ。食材は生姜、長ネギの青い部分、ニンニク、玉ねぎ。最初から野菜を入れると長時間の加熱で野菜自体が焦げたりエグみが出る。骨をしっかり炊いて旨味を出した後に投入するのがベストだ。
家系ラーメンのスープは豚骨スープ単体で完成するのではなく、鶏油と醤油タレが合わさることで完成する。これらにも臭みを抑える重要な役割があるからだ。家系の表面に浮く黄色い脂は、豚骨のクセのある香りを包み込み、芳醇な鶏の風味でカバーしている。
鶏皮を炒めて鶏油を自作する際は、長ネギの青い部分や生姜と一緒に弱火でじっくり抽出することで、爽やかな風味のオイルに仕上がる。独特の濃い口醤油ダレには醤油の塩分とアミノ酸によって豚骨の癖を旨味へと引き立てる効果があるのだ。
失敗しないチェックリスト。
水漬けで血をしっかり抜いたか? 一度沸騰させて茹でこぼし、血の塊を洗い流したか? アクを丁寧に掬ったか? 香味野菜は炊き出し後半に入れたか? この手順を徹底することで店のようなパンチとコクはあるけれど嫌な生臭さがない本格的な家系スープを作ることができる。
コウの指導は武骨で一切の妥協がなかった。
「麺を打つ時は小麦のグルテンの結合を均一化させるんだ。力任せじゃなく論理的に仕上げる。鶏油はバターを隠し味にしてみるのもいい。濃厚な脂の甘みが豚骨の角を丸くする」
ミナは初め反発していたが、コウの指摘通りに調理を変えると、スープの臭みが消えて、カエシの旨味が立ち上がり、麺がスープと完璧に絡み始めた。
「コウさん、すごいです。私、今まで自己流で考えが凝り固まっていたのかもしれません」
「お前のがつんとくるものを創りたいっていう根性は認めなくもない。ただラーメンは職人の熱量だけで完成するものではないんだ。あくまで計算との融合なんだよ。お前の才能、引き出してやる」
「はい!」
コウは麺の湯切りのタイミングを秒単位で指導した。ミナのふさふさの尻尾が嬉しそうにパタパタと動く。
数週間後。
テトラ・アコードの店先に新しい看板が掲げられた。そこには特製家系ラーメンと書かれている。
「はい、お待たせしました! 大吾さん、陽菜さん! ミナ特製の家系醤油豚骨ラーメンです」
ミナはコウに見守られながら自信満々にどんぶりを差し出した。それは濃厚な琥珀色のスープ表面を黄金色の鶏油が覆い、厚切りのチャーシュー、味卵、ホウレン草、そして大振りの海苔が6枚ほど直立している。まさに王道の家系のビジュアルだった。
「わああああああああああっ! 待ってました! 私、ラーメンすっごく大好きなんだよね!」
陽菜は瞳を輝かせて箸を伸ばす。大吾も無骨な面持ちでどんぶりを睨む。
「んんんっ! 美味しい!」
陽菜の身体が、びくりと震えた。
「すっごく濃厚! 豚骨の旨味ががつんとくるのに、醤油のカエシのコクがキリッと引き締めてくれて、鶏油の甘みが全体をまろやかに包み込んでる! このコシのある太麺がスープと限界まで絡んで……最高に調和してるよ!」
「へえ……なるほどな」
大吾も麺を啜り、にやりと笑った。
「豚骨の臭みを完璧に殺し、旨味だけを抽出してる。麺のコシ、カエシの濃度、鶏油の量。家系の本家を彷彿とさせる味だ。ミナ、コウ。お前ら、完璧な仕事をやりやがったな」
大吾の言葉にミナは「やった!」と叫び、コウは照れくさそうに鼻を掻いた。
その夜、テトラ・アコードの店先は異世界の冒険者たちで満席になっていた。
「この濃厚なスープ、一度食べたら忘れられないな!」
「この海苔とほうれん草って野菜が意外とスープに合うんだ!」
「海苔をスープに浸して白米を巻いて食べるのも美味しいよ!」
ミナの屋台を手伝っていた陽菜が客たちに声をかける。大吾は店内のカウンターから、元気よくラーメンを振る舞うミナと、少し離れた場所から見守るコウの姿を、静かに目を細めて眺めていた。隣に座る理恵が声をかける。
「大吾さん、あの二人、いいタッグになりそうね」
「どうだろうな。しかしまあ、あいつらが創り出した家系の味は間違いなく異世界をがつんと変えていくだろうな」
テトラ・アコード。
そこは流れの獣人料理人が抱く革命への熱意を、武骨なラーメン職人の技と大吾の導きによって、至高の家系ラーメンへと変えてしまう温かい奇跡に満ちていた。




