57 陽菜のこだわりと至高のポテトサラダ
「よしっ! これで完璧!」
閉店後のテトラ・アコードの厨房で陽菜が満足げに声を上げた。目の前にあるのは一見するとなんの変哲もない、小鉢に盛られたポテトサラダだ。
しかしその一鉢には陽菜のこだわりと四和家の秘密の技術が凝縮されていた。土台となるのは異世界の氷海が育てた白雪男爵。以前、シオンが持ち込んだ希少な芋である。でんぷん密度が極めて高く加熱すると細胞が爆発するように粉を吹く。陽菜はこれを大吾仕込みの火力で一気に蒸し上げて至高のほくほく感を引き出した。もちろんマヨネーズも完全自家製だ。これは理恵直伝。世界樹の麓で育つ聖牛の濃厚なミルクから作ったバターと、結衣が酸度を精密計算した酢を合わせたものである。市販品とは比較にならない、コクと爽やかな酸味を持つ。
具材のベーコンはバルドが作った炎鉄製の燻製器でじっくりと仕上げる。さらに結衣が魔導具時間固定を応用した超高速熟成機で、ベーコンの旨味とポテトの甘みを一晩で数週間分も融和させた。
「白雪男爵の糖化度、自家製マヨネーズの乳化状態、ベーコンの香気成分。すべて陽菜の計画通り。完璧な仕上がりね」
結衣は蒼い眼鏡を光らせて小鉢のポテトサラダを検分する。
「えへへ、ありがと。ほとんど魔導具のおかげだけどね!」
そう――現在のテトラ・アコードでは、結衣が開発・改良した様々な魔導具が稼働している。食材の鮮度を半永久的に保つ空間固定冷蔵庫ゼロ・グラビティ、調理時間を極限まで短縮する炎鉄・超加熱オーブン、そして今回活躍した超高速熟成機。これらの魔導具により本来なら膨大にかかる食材の廃棄ロス費や、調理にかかる燃料費が大幅に削減されている。
店の経費が浮いているからこそ、陽菜は白雪男爵のような希少な食材や、聖牛のバターといった最高級の素材を、惜しみなく小鉢の一品に投入できるのだ。
「これ、明日のおすすめ小鉢として出そうと思ってるんだ! 早くみんなに食べてほしい!」
翌日。
夕暮れ時にやってきたエルザはカウンターに置かれた陽菜のポテトサラダを見るなり足を止めた。香ばしい燻製の香りと、自家製マヨネーズの微かな酸味が、彼女の鋭い鼻をくすぐる。
「陽菜、これは? 以前のじゃがバターとはまた違う、不思議な魅力を放っているな」
「あ、エルザさん! これ、私が考えた特製のポテトサラダなんです! よかったら試食してみてください!」
「む……ありがたく頂戴しよう」
エルザは箸で粗めに潰されたポテトとベーコンを掬い取り口に運んだ。
「が、がはっ!」
一口噛み締めた瞬間、エルザの身体に電流が走ったかのように硬直した。アメジストの瞳が見開かれる。
「なっ……なんだこの濃厚な暴力は? 口に入れた瞬間、芋が雪のようにハラハラと解けていく。それなのに舌の上にはミルクのような圧倒的なコクと優しい甘みが残る。そしてこの燻製肉は噛むほどに旨味が溢れ出してポテトの甘みを限界まで引き立てている! 美味しい、美味し過ぎるぞ!」
エルザは騎士の気品も忘れて小鉢のポテトサラダを一瞬で平らげてしまった。小鉢では足りないエルザは空になった小鉢をじっと見つめたあと陽菜の方を向いた。その瞳には騎士としての冷静さは微塵もなく、ただ純粋な美味への渇望だけが宿っていた。
「このポテトサラダ、小鉢などという小さな器で提供するのは、あまりにも損失が大きい」
エルザは一呼吸置いたあと真剣な面持ちでカウンターに拳を叩きつけた。
「この至高のポテトサラダをこのような小鉢ではなく、どんぶりいっぱいで提供することをテトラ・アコードに要求する!」
「ええっ! どんぶりいっぱいのポテサラ?」
陽菜が目を見開く。
「ポテトサラダどんぶりの摂取カロリーは、エルザさんの一日の必要カロリーの20%程度。栄養学的には過剰ですが幸福度の観点からは非常に合理的な提案ですね」
結衣は蒼い眼鏡を光らせ、意外にもエルザの提案を肯定する。
「どんぶりいっぱいのポテサラか……面白いな。エルザのために特大のポテサラ丼とやらを仕込んでやれ」
「うん、わかった! エルザさん、待っててくださいね! 最高に大盛りのポテサラ丼を持ってきますからね」
「おう、期待しているぞ!」
テトラ・アコード。
そこは異世界の魔導具がもたらす経費削減と、陽菜の純粋な素材への愛が騎士の理性を打ち砕き、小鉢をどんぶりへと変えてしまう降伏の美味に。




