53 北の遠征と歓喜の300食・特製いかめし
――カラン、カラン。
「頼む、大吾殿! 助けてくれ!」
昼下がりのテトラ・アコードに飛び込んできたのは特別防衛隊長に昇進したばかりのガンズだった。汗を拭いながら切実な顔で大吾に頭を下げる。
「どうしたガンズ、そんなに慌てて?」
「明日から三日間の日程で北の山嶺へ広域巡回遠征に出ることになったのだ。隊員は総勢百名。だが……遠征中の食糧計画が崩れてな。持ち運びが容易で、冷めても美味く、それでいて過酷な遠征が少しでも楽しくなるような料理を300食、明日の朝までに用意してもらえないだろうか?」
「300食? 異世界の人って出世すると頭が悪くなるの!」
「エルザ殿を馬鹿にするな!」
「いやいやいや、それガンズさんが一番エルザさん馬鹿にしてる発言だからね!」
「そうなのか?」
「やっぱり自覚なしかあ」
陽菜は額に手を当てる。
「持ち運びができる料理で、冷めても美味しく、隊員が笑顔になる遠征食――」
大吾は腕を組んで深く考え込んだ。
「お父さん、無理なら断ろう。明日の朝までに300食の時点で無茶ぶりなんだからさ!」
「持ち運べて、崩れず、腹に溜まる。冷めても真価を発揮する食い物――」
「お父さん、話聞いてる?」
「よし、任せろガンズ。いかめしで行こう」
「いかめし?」
「こっちの世界では有名な駅弁でな、遠距離移動にはぴったりの戦闘糧食になるはずだ」
「数はいけそうなのか?」
「なんとかしてみるさ。ただし運搬に関してはなんともならんぞ」
「安心してくれ。そっちはなんとかする」
ガンズが退店した後――
「いかめしってイカの中に御飯を詰めるあれだよね?」
陽菜が興味津々で尋ねる。
「そうだ。イカの胴体に生のもち米とうるち米を詰め、甘辛い特製出汁でじっくり炊き上げる。イカの旨味を米が吸い尽くし、米の水分でイカが柔らかく膨らむ。手で持てて冷めてもモチモチで美味い。遠征に向いているはずだ」
「非常に合理的なパッケージングですね」
結衣は蒼い眼鏡のブリッジを押し上げる。
「イカの皮膜が天然の密封容器となり、崩れにくく携帯性に優れている。300食の工程管理は私が最適化しますね」
ここからテトラ・アコード総出の大作戦が始まった。大吾は特製の大鍋を二つ並べ、醤油、みりん、酒を合わせた甘辛出汁を仕込む。陽菜は下処理された新鮮なイカの胴体に、水に浸けたもち米とうるち米を絶妙な加減で詰めていく。「欲張り過ぎて米を詰め過ぎると炊いた時に爆発しちゃうからね」と手際よく爪楊枝で留めていく。結衣はイカの個体差による米の充填率を計算し、均一な加熱時間をタイマーで細かく制御。理恵は出来上がったいかめしを冷まし、竹の葉で一包みずつ丁寧にラッピングしていく。
「ふう、詰めても詰めてもイカがある」
「陽菜、手を止めるな。出汁が沸いてきたぞ、一気に炊き上げるぞ!」
甘辛く香ばしい醤油とイカの香りが夜通し厨房を包み込んだ。大量のイカを用意できたのは異世界の魔導具のおかげだが、それを見越して大吾はいかめしを選択したのだろう。
翌朝。カウンターには竹の葉に包まれた300食のいかめしがずらりと並んでいた。
「す、すげえ……本当に作れたのか!」
「四和家を舐めるなよ」
駆けつけたガンズは積み上がった圧巻のいかめしを前に絶句する。実際、四和家の面々もこの物量を目にするのは初めてだった。
「しかしこれを百人分の荷物に分けるとなると一苦労だぞ?」
「問題ない。すでに準備は済ませてある」
結衣はガンズからあらかじめ預かっていた小さな箱型魔導具『空間転送コンテナ』の魔導回路を操作しながら進み出た。
「この魔導具の転送シークエンスは物体の密度と温度変化に依存します。いかめしは固体として安定しているため、転送による崩壊率は0.01%以下。転送プロシージャ実行します」
結衣が蒼い眼鏡を光らせて魔術刻印を打ち込むと小さなコンテナが青白い光を放ち、カウンターの300食のいかめしが一瞬にして光の粒子となって吸い込まれていった。
「遠征先の拠点キャンプ保管庫へ転送完了しました」
「一瞬で転送しただと? 俺なら二時間はかかる。こっちの世界の連中は魔導具の使い方に長けているのか?」
「違う違う、お姉ちゃんが特別なだけだよ」
「この眼鏡に異世界の魔力を込めてもらっているの。あとの調整は私の得意分野ですからね」
その日の夕方、遠征の山嶺。寒風が吹き荒れる北の山嶺のキャンプ地にて、長旅で疲弊していた防衛隊員たちに、ガンズから竹の葉の包みが手渡された。
「隊長、これは?」
「エルザ殿の御用達、テトラ・アコードが作ってくれた遠征食『いかめし』だ!」
「なんですかそれは?」
「俺も知らん。だが味は保証する」
「全然信用ならないんですけど!」
「とにかく食え!」
ガンズが包みを開くと――つやつやとした琥珀色に輝くイカが丸ごと姿を現した。隊員の一人が不安げにがぶりと噛み付く。
――――っ!
「や、柔らかい! イカなのに刃物を使わなくても簡単に噛み切れる!」
「見てくれ! 中にぎゅと詰まった御飯がイカの旨味を吸ってモッチモチだ!」
手を汚さずに片手でかぶりつける手軽さ。冷えているのに、いや、冷えているからこそモチモチ感が際立つもち米。イカの身から溢れ出る濃密な海の旨味と、甘辛い醤油出汁が絶妙に溶け合い、噛む度に疲れ切った身体に元気が満ちていく。暗く過酷な遠征の夜が、まるでお祭りのような楽しさに包まれていく。
「う、美味過ぎる! なんだこの食べ物は!」
「一人三つもあるぞ! 明日の昼の分まで楽しみになってきた!」
隊員たちの間に歓喜の笑い声が広がっていった。
数日後、遠征から無事に帰還したガンズがテトラ・アコードへやってきた。
「隊員全員、大絶賛だったぞ! 次からの遠征も『いかめし!』ってうるさいくらいだ!」
「普段の戦闘糧食に飽きてたからだろ。まあ、冷めても美味いってのもあるけどな」
大吾は照れ臭そうに鼻を擦りながらフライパンを揺する。
「料理の味だけでなく携帯性と食べる楽しさを付加したことが隊員の士気を180%向上させたみたいですね」
「えへへ、みんなで夜通し頑張ってよかったね」
テトラ・アコード。
そこは過酷な遠征の道中さえも、家族の絆と職人の技が詰まった「いかめし」一つで、賑やかで楽しい冒険に変えてしまうのだった。




