49 朝光の連携と拒めぬ糸引き納豆朝食
朝の柔らかな光が差し込むテトラ・アコード。
本日はいつも厨房で朝食を担当している理恵が仕入れで不在のため、陽菜と結衣の二人がエプロンを締めて朝のカウンターに立っていた。テトラ定番の朝食――それはどこか懐かしい日本を再現した納豆朝食・目玉焼き付きである。
誰が決めたか知らないが、粘りと旨味のある納豆は朝の主役だ。パックではなく小鉢に移して美しく薬味を添える。しっかりと空気を含ませて白く粘り気を出してから出汁醤油を垂らすのがポイントだ。
納豆朝食に目玉焼きとウインナーが付くのがテトラのこだわり。理恵直伝の黄身がとろとろの半熟目玉焼きとジューシーなウインナーが朝の胃袋を満たすのである。
口当たりを優しくする小さな冷奴とパリッとした味付け海苔。おかわり自由の炊きたて御飯と出汁の効いた熱々の味噌汁がセットになっている。時間帯的に朝食と表示しているが、夜勤明けの看護師の晩御飯だったり、朝と昼をまとめて食べるコストパフォーマンス重視の大学生に人気がある。
「お姉ちゃん、目玉焼きの焼き加減どうかな?」
陽菜はフライパンを覗き込みながら忙しなく声をかける。
「白身の外周が微かに琥珀色に焦げて、黄身の表面に薄い膜が張った状態。完璧な半熟。ウインナーの加熱温度も基準値内ね」
結衣は蒼い眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、小鉢の納豆に小さな箸を差し入れた。
「納豆の攪拌を開始します。空気の混入率を高めるため、時計回りに正確に150回転。これにより大豆のグルタミン酸が活性化し、粘り気と旨味が最大値に達するの」
姉妹が息の合った連携を見せていると、カウンターの端に座っていた常連客シオンが微笑む。
「おや、今朝は理恵さんではなく、可愛い二人の看板娘が朝食を作ってくれているんだね。それじゃあ、僕も納豆朝食をお願いしようかな」
――カラン、カラン。
「ふう、朝の冷気は身体に堪える。なにか腹に入るものを――っと朝は大吾ではないのだな」
やってきたのは昨夜の五目釜めしで胃袋を掴まれたエルフの弓術士セレニアだった。席に着いたセレニアは隣の席のシオンのトレイを見て美しく長い眉をハの字に曲げた。
「貴方が食べているその異様に糸を引いている茶色い豆はなにかしら? なんだか発酵というより完全に魔力のこじれた沼地のような臭いと粘り気が――」
「おや、セレニア。これは納豆という異世界人からすれば不思議な食べ物さ。とても滋味深くて朝の身体に活力を与えてくれる傑作だよ」
「計算上、健康寿命を平均して5.8%引き上げる栄養素が含まれているみたいですよ」
結衣が冷奴をお盆に載せながら淡々と推奨する。実際、朝食が頼める午前中は客の六割が納豆朝食を注文するのだ。朝食は和食でという理恵のこだわりもあって、トースト、ゆでたまご、珈琲というモーニングセットがないことも理由だろう。
「な、ならば私もそれを! ドワーフの釜飯に続いて異世界人の朝食に遅れをとるわけにはいかない!」
負けず嫌いなエルフの血が騒ぎ、セレニアは勢いよく納豆朝食を注文した。陽菜からトレイを受け取った彼女は、おそるおそる納豆に箸をつけた。持ち上げた瞬間、想像以上に長く、どこまでも美しく伸びる白い糸に「きゃっ!」と小さく声を上げる。
「しっかり混ぜて御飯と一緒に食べるのが基本かな。ただし一気に乗せるんじゃなくて、一口で食べられるくらいがおすすめ。熱で納豆の栄養素を減らすのはもったいないからね」
陽菜に教えられたセレニアは意を決して御飯の上にどろりと納豆を乗せて口に運んだ。
――――っ!
セレニアの身体がびくりと震える。
「えっ、なに? 香ばしいような……それにこの粘り気が口の中で御飯の一粒一粒に絡みついて……奇妙なのに……箸が止まらない」
「ふふふ、そうでしょう? そこにこの半熟の黄身を崩して混ぜるのもありだよ」
シオンが優しくアドバイスする。セレニアは箸で目玉焼きの黄身をぷつりと突つくと、濃厚な黄金の液体がとろりと溢れ出して納豆御飯と融合させた。それを再び口へ運ぶ。
「――――美味しいわ! 黄身の柔らかな甘みが納豆の独特の角を完全に包み込んで信じられないくらい変化したわ! このパリパリした海苔で巻いて食べるのも、食感のコントラストが素晴らし過ぎる!」
「お茶碗が空になってますよ?」
「えっ? あ、あら、本当ね。美味しくて一瞬で食べてしまったわ。お、おかわりを頂戴!」
陽菜が嬉しそうに笑う。
「はーい! おかわり入りまーす!」
陽菜は元気に炊飯器を開けて大盛りによそおう。セレニアは目玉焼き丼を完成させてからウインナーを齧る。シオンの真似をしているだけかもしれないが、エルフが納豆朝食を子供みたいに食べている姿は面白い。
「ご馳走様。朝からこんなに満たされるなんて、こちらの朝食文化は侮れないわね。異世界だと各々が好きな果物を食べるくらいだもの。しかしこの分量、毎朝食べるとなれば危険だな」
セレニアは最終的に三杯平らげ、腹を擦りながら満足げに微笑む。店を出ていく彼女を見送りながら陽菜と結衣は積み上がった皿を洗い始めた。
「大成功だったね、お姉ちゃん!」
「ええ、そうね。肝となる半熟目玉焼きを私の計算で導き出し、そこに陽菜の笑顔が合わされば、異世界の味覚をハッキングすることなど容易。ひょっとしたら朝食の常連になるかもしれませんね」
そこへ仕入れを終えた大吾と理恵が賑やかに店へ戻ってきた。
「ただいまーっ! 陽菜、結衣、丸投げしちゃったけど大丈夫だった?」
「おう、二人とも。やらかしてねえだろうな?」
「大丈夫だよ! お姉ちゃんと二人で納豆朝食、完売させちゃったんだから!」
「結衣、本当なのか?」
「なんで一回お姉ちゃんに確認するの!」
「いや、納豆朝食なんて普通完売しないだろ?」
「あらそう? うちの朝食は価格設定バグってるから注文多いのよ?」
「ワンコイン以下ってことか?」
「違う違う、お賽銭方式」
「よく潰れなかったな、この店!」
「むしろお父さん、なんで信じるの!」
「客層の半分が物々交換の店でなにを今更感はありますけどね」
結衣が正論で締める。にんまりと理恵は微笑む。
「まあ、そのおかげで売上は多少落ちても経費は30分の1くらいになってるからね」
「お母さん、異世界からの贈り物に頼り過ぎ!」
「ちなみに最初エルザさんが譲ろうとしてくれた魔石、信頼のおける鑑定士にお願いしたところ、オークションにかければ二十億以上は確実らしいです。お父さんが変な気概を見せなければ私たちは今頃――」
「ぎゃああああああああああ!」
理恵の顔がムンクの叫びとなる。
「そんなに大切なものをオムライス一皿に!」
「エルザさん、騎士道の鑑みたいな性格してるからなあ。感謝の気持ちを伝えたかったんじゃないかな? 最近はお茶目な一面も見せてくれるけどね」
「そもそもあのときのエルザから見返りを受け取るとかできるわけないだろ?」
「あー、わかるわかる。初来店のエルザさんは美人が台無しなくらい酷い顔してたもんね」
大吾は真剣な顔をする。
「武勇伝が豪華な割にメンタル弱いんだよな」
「あら、随分とエルザさんに詳しいのね?」
「そりゃそうだろ、あの容姿だぞ? 興味を持たないほうがおかしいだろ」
「そこは否定しとけーっ!」
三人の拳が大吾の顔面を捉えた。




