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46 魔境のカフェテリアと無慈悲な全皿完売

「結衣、ちょっと付き合ってくれ」


 開店前の厨房で大吾が珍しくメモ帳を片手に腕を組んでいた。


「どうしたの、私の計算が必要な案件?」


 結衣が蒼い眼鏡のブリッジを押し上げる。


「異世界の連中が日本の家庭料理のどこに一番惹かれるのか一度はっきりさせとこうと思ってな。肉か魚か出汁の染みた野菜か――どれが人気を集めるか楽しみだよ」

「なにをするつもりなの?」

「今日の日替わりはカウンターに小鉢をずらりと並べて、客に好きなものを取らせるカフェテリア形式で行く。どれが一番早く売れるかで今後のメニューの方向性を決める」

「まあ、メニューの方向性というより食材の在庫管理には役立ちそうですね」

「やっぱりそうなるか――忌々しい」


 がしがしと大吾は頭を掻いた。


「でも興味深いサンプリングは取れそう」


 結衣の瞳が情報収集への渇望できらりと光った。


「配置、色彩、香りの拡散率を計算して客の動線を最適化するわ。陽菜、お品書きの札を用意してくれる?」

「わー、楽しそう!」


 こうしてテトラ・アコードのカウンターには、大吾が朝から仕込んだ珠玉の日本の小鉢たちが、美しいグラデーションを描いて並べられた。


 肉豆腐。

 醤油で牛すじをとろとろに煮込み、その旨味を木綿豆腐の芯まで火力で吸わせた一品。


「濃厚な動物性タンパク質。肉食好みの騎士が初手で絶滅させる可能性が高いですね」


 鯖の味噌煮。

 鯖と生姜と赤味噌でじっくりと皮目の脂を閉じ込めた一品。


「魚特有のクセを味噌の分子が完全中和しています。シラスさんのような知識層が好むはず」


 ポテトサラダ。

 前回の白雪男爵を粗めに潰し、自家製マヨネーズとカリカリの燻製肉を和えた王道の一品。


「炭水化物と脂質の悪魔的融合。陽菜の大学の友人たちの胃袋を狙撃しそう」


 ひじきの煮物。

 海藻を大豆や人参、油揚げと一緒に優しい出汁でふっくらと炊き上げた一品。


「見た目が完全に漆黒の魔力物質。異世界の住人は警戒して売れ残ると予測します」


 ――カラン、カラン。


「やはり私には護衛任務は向いていないな。危険と隣り合わせの戦闘のほうが気が楽だ」


 一番乗りでやってきた騎士エルザは、カウンターの不思議な光景に足を止めた。いつもなら大吾に注文するはずが、眼前に並ぶ小鉢の山に、その鋭い眼光があちこちと泳ぐ。


「今日はそこから好きな皿を取っていくスタイルだ。ただし美味しく食べれる量だけトレイに乗せて――」


 大吾の忠告の声が終わる前に、エルザはトレイを手に動いた。


「この肉豆腐……醤油の焦げた香りと肉の照りが私に取れと囁いている。いや待て、その隣は白雪男爵を使ったポテトサラダだと? 燻製肉の香りが私を惑わせる。くっ、選べん、選べるわけがないだろう! 両方だ! 魚も頂く! 五皿ずつだ」


 エルザは騎士としての冷静さを完全に失い、両手にトレイを持って小鉢を強奪していく。


「おやおや、出遅れたかな?」


 続いて現れたシオンが細い目をさらに細くして微笑む。


「へえ、面白いね。特にこの真っ黒で細いひじき。見た目は少し不気味だが僕の直感がこれは絶対に美味しいと告げているよ」


 シオンは美しい指先でひじきの煮物の小鉢をトレイに乗せて席へ移る。本日はカウンターが使えないため、テーブル席での相席が基本だ。


 ――――っ!


「素晴らしいね。見た目からは想像もつかない、優しい出汁の甘みと油揚げのコク。大豆の食感も完璧だ。大吾、カウンターにある分すべてを僕のテーブルへ運んでくれ」

「買い占めるんじゃねえよ!」


 大吾の怒号が響くが時すでに遅し。お忍びでやってきたフローラ姫とカトリーナの二人組、さらにはバルドの仲間のドワーフたちが雪崩ように押し寄せ、店内は一気に小鉢の争奪戦と化した。


「このポテサラ、いくらでも食べられるわ!」

「鯖の味噌煮、白米が無限に進むぞ!」

「肉豆腐の汁を白米にかけて食わせろ!」

「不測の事態ですね」


 結衣の蒼い眼鏡が目まぐるしく動く客たちの手の速度を捉え切れずガタガタと震える。売れ残ると予測したひじきさえ、シオンの影響か、並ぶ度に誰かが持っていく。肉豆腐と鯖味噌煮はドワーフたちの物量作戦によって制圧。ポテトサラダは姫たちの胃袋へマッハ2で吸い込まれていく。


 嵐が去ったテトラ・アコードのカウンターには、木製の小鉢が綺麗に一枚の例外もなく、空っぽになって積み上げられていた。


「ふう、すごかったね! ぜーんぶ空っぽ!」


 陽菜が満足げにエプロンで汗を拭う。大吾は真っ白なメモ帳を睨みつけて盛大に溜め息を吐いた。


「ちっ、完売じゃねえか。どいつもこいつも並べた片っ端から食いやがって。これじゃあ、どいつが何派なのかさっぱりわからねえだろ」

「結論を報告しますね」


 結衣は眼鏡を持ち上げ疲れたように息を吐いた。


「異世界の住人の嗜好性を分析する試みは、あらゆる料理の前で、すべて理性を失って全種類を貪り食うという、絶対的な真理の前に完全に破綻されました。好みの判別は理論上――不可能になりましたね」


 大吾は一瞬呆れた顔をしたが、やがて使い古したコテをポンと鉄板の上に置き、不器用な職人の笑みを浮かべた。


「ふん、次から迷うのはやめだ。作りたいものを作りたいだけ全部大盛りで作ってやる。残さず食いやがれってんだ」


 テトラ・アコード。

 そこは緻密な市場調査さえも、客たちの圧倒的な美味への本能によって、ただの賑やかな大宴会へと変えてしまうのだった。

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