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42 翡翠の波紋とシオン流「王宮のサラダ」

 陽菜の友人たちが去った翌朝。

 店を訪れたのは常連のエルザではなく、王宮の紋章が刻まれた親書を携えたシラスだった。


「大吾殿、陽菜殿。昨夜のレタス料理、一体なにをしたのですか? 大学の友人の中にお忍びでこちらの世界に来ていた第一王女フローラ様が紛れ込んでいたようですね。王女が今朝、王宮で『生涯最高のレタスを食べた』と騒ぎ立てたのです」

「はあ? あの中に姫がいたのかよ!」


 大吾が包丁を握ったまま絶句する。陽菜は「えーっ、どの子だろう? みんな普通に『おいしーっ!』って食べてただけで変な発言してる子いなかったよね?」と目を丸くしている。どうやら庶民的な「レタス焼きそば」の衝撃が、異世界の王宮にまで届いてしまったらしい。


 王宮からの関心が高まる中、厨房の隅で優雅に紅茶を飲んでいたシオンが立ち上がった。


「大吾、姫を虜にするほどの鉄板料理なんて見事だったね。しかし彼女が次に欲するのは、その熱狂を鎮めるような、極上の静寂ではないかな?」


 シオンの細い目が挑戦的に光る。


「レタスを完食したお祝い、そして姫への返礼として、僕がレタスサラダを披露しよう」


 シオンが取り出したのは密かに異世界の秘境「霧の谷」で育てさせていたという氷晶レタスである。葉の表面が天然の冷気を纏い、ダイヤモンドのように輝く、文字通り規格外の食材であった。


「大吾、見ておくといい。これが僕の柔の極致だ。もし姫に気に入ってもらえたら異世界でも美味しいレタスの楽しみ方ができるからね」


 シオンの包丁が氷晶レタスの繊維を傷つけることなく空気を含むように解いていった。


「レタスは切るんじゃない。器の中に森の吐息を閉じ込めるんだ」

「意味のわからねえ表現をするな。しかし繊細な包丁捌きをさせたら流石だな」

「ありがとう、褒め言葉と取っておくよ。さてレタスの表面温度は維持できているかな。ここに少量の醤油とハチミツでコーティングしたナッツのキャラメリゼを投入する。これがサラダに力強さという骨格を与えるんだよ」


 最後にシオンは異世界の月の雫をベースにした、透明なフレンチドレッシングを霧のように吹きかける。大吾は「相変わらず芸が細かいな」と鼻を鳴らした。


「でもシオンさん、私、本当に誰が姫なのかわからないよ? せっかく料理を作ってもらっても無駄になるかも?」

「大丈夫だよ。護衛もなしにこっちの世界を探索するようなお転婆な姫なら必ずアコードに再訪するさ」


 ――カラン、カラン。


 言うが早いかカジュアルな服装の少女が店に飛び込んできた。昨夜、陽菜の友人としてレタス焼きそばを貪り食っていた――フローラ姫である。


「レタス焼きそばお願いします!」


 席に着くよりも早く注文を済ませる。瞳は食への飽くなき好奇心でキラキラと輝いており、高貴な身分でありながらも親しみやすさを感じさせていた。


「悪いな。今日はやってないんだ」

「えーっ、昨日みたいな食べ放題じゃなくてもいいんですよ?」

「そもそもメニューにないからな。姫さんだからといって特別扱いはしない」

「ぎゃあああああーっ、正体バレてるんだ! だったらもう変装する意味ないね」


 胸元のブローチに手を触れると黒色だった髪が淡く透明感のあるプラチナブロンドに変わる。瞳も吸い込まれそうなほど澄んだアメジスト色に変化した。


「レタス焼きそばはないけど、これを試してみるのはどうだい?」

「なにこれ、美味しいの?」

「どうかな。具材はレタスだけど口に合うかどうかは食べてみてもらわないとね」


 ぴょんぴょんと動く度にプラチナブロンドの髪が、霧の谷の冷気を孕んだかのように気高く揺れる。着席した王女は早速サラダに箸を伸ばした。


 ――シャリ、フワッ!


「昨日の焼きそばが燃え盛る情熱なら、このサラダは夜明けの静寂ね。冷たいのに温かい、この不思議な感覚。焼きそばの力強さとサラダの優しさが私の中で手を取り合っているわ!」


 王女が感嘆の声を上げる。


「焼きそばを食べにきてサラダで喜ぶ奴がいるとはな」

「お父さん、言い方!」

「ははは、大吾は女性の心をわかってないね」


 すぐさまシオンは語を継ぎ足した。


「このレタスは異世界で育てられたものなんだよ。だから作り方さえ覚えれば王宮でも楽しめる。レシピ、持って帰るかい?」

「本当にこれが私たちの世界にあるレタスなの? これまで食べてきたものと全然違う」

「姫にはこちらの世界の調理方法が合っているのかもね。素材は決して悪いものじゃないんだ。レタス焼きそばもいずれ美味しく食べられる日が来るかもしれないよ」

「へえ、そうなんだ」


 意外そうな表情を浮かべる姫にシオンは続ける。


「レタスを盛る際、決して押し付けず、手でふわっと積み上げるんだ。これでドレッシングが全体に等しく行き渡る。ドレッシングはかけるのではなく、スプレーで霧状に吹きかけるといい。これでレタスのシャキシャキが損なわない。可能なら凍らせた葡萄の粒をいくつか忍ばせる。これが食べ進める中での嬉しいサプライズになるからね」


 シオンが姫にレシピを手渡す。


「レタス焼きそばのレシピも書いてある!」

「大吾の調理は間近で見ていたからね。ただ異世界とは名称が違うものがあるだろうから、香辛料なんかは少しずつ持ち帰って、王宮の料理人に代替品を教えてもらうといいかもね」

「ありがとう、そうする!」


 姫は小分けされた香辛料とレシピを持って立ち上がる。シオンは穏やかに微笑む。


「お忍びで遊びに来るのはいいけど、王宮の人たちに迷惑をかけないようにね」

「わかってるわ。私も唯一の楽しみを失いたくないからね」


 姫が去り店内は平穏を取り戻した。

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