39 蒼穹の決起と戦場の豚汁
「陽菜、結衣、大吾殿。明朝、我が駐屯地へ来て頂けないだろうか?」
魔導書記官シラスがもたらしたのは、エルザからの直筆の書状であった。異世界の北部に現れた魔物の大群。聖騎士団はその全軍を挙げた大規模な討伐作戦を決定したのである。エルザはその先鋒を務める第三騎士団の陣頭指揮を執ることになった。
陽菜がオーブをかざすと書状からは冷えた鉄と湿った土の匂いが漂っていた。エルザは常に強大な魔力を操る代償として心を摩耗させているのだ。それはこれまでの状況を鑑みても間違いない。
「開戦前の陣頭指揮? エルザさん、大丈夫かな。最近まで調子を崩してたのに大変だね。お父さん、なにか差し入れしてあげようよ」
「戦支度か……面白い。陽菜、奥から万年氷と結衣が保存してた月の雫を持ってこい」
大吾が考えたのは現代の炊き出しの象徴であり、かつ異世界人の舌に馴染みやすい濃厚な『豚汁』である。大人数分を一度に調理する炊き出しでは、家庭料理とは少し異なる大量調理ならではのコツが重要になるのだ。
具材の量にもよるが、基本比率を守ると、味がぼやけてしまう。味噌や出汁の量を誤ると大変なことになるので微調整するのがおすすめだ。
豚バラ肉を寸胴で炒め、出た脂を少しキッチンペーパーで拭き取ると、雑味が減りスッキリした味になる。気をつけるのは大量の肉を炒めるとアクも大量に出るので一度お湯を通すか丹念にアクを取るのがポイントになる。
根菜は小さ過ぎると崩れて溶け出し、汁が濁る原因になってしまうので、大根や人参は大きめの乱切りにする。こんにゃくは手で千切り、必ず下茹でしておく。味が染み込みやすくなり、独特の臭みも抜けるので必須の流れだ。
「寸胴で豚肉を炒めて軽く火が通ったら、ごぼう、人参、大根を加えて炒め合わせる。煮込みは沸騰するまで強火、沸騰したら徹底的にアクを取る。ここが一番重要だ」
「慣れないうちはアクじゃなくて旨味を取っちゃうんでしょう?」
「その通りだ」
すべての具材に火が通ったら一度火を止める。味噌は一度に全量入れず半量を溶かし入れてから味を見て調整していく。炊き出しの場合、全員の好みがわからないので赤味噌と白味噌のバランスも変にこだわらない。
「仕上げに胡麻油を少しだけ回し入れると風味が際立って冷めても美味しく感じるんだ」
「風味だけはこだわるよね」
「やかましいわ!」
大量の調理だと豚の脂が重たく感じられがちのため、すりおろし生姜をたっぷり入れると最後まで飽きずに飲めるのだ。
「あとは配膳の直前に長ネギをたっぷりと入れてやれ。彩りが良くなるだけじゃなくて、提供時の温度が下がるのを防ぐ効果もあるんだ」
「はいはい、調理過程も最初から最後まで見てたからエルザさんも安心だよ」
第三騎士団の駐屯地に到着した陽菜と結衣を待っていたのは、数千人の騎士たちが整然と並ぶ蒼穹の下の静寂であった。その最前列の中央、白銀の甲冑を纏ったエルザが愛剣を地面に突き立てて立っている。
「我が同胞たちよ! 聞け!」
エルザの声はいつものテトラ・アコードでの穏やかなものではなかった。それは戦場の大気を震わせ騎士たちの魂を直接揺さぶる重厚で威厳に満ちた咆哮であった。
「我らはこの国の盾である! 魔物の脅威から民の笑顔を守るために剣を振るう! だが忘れるな! 我らは剣ではない! 心を持った一人の人間だ! 恐怖を感じ、家族を想い、美味しいものを食べて笑う! その日常こそが我らの強さの源だ! 今日、私は我が友にこの戦場へ日常の味を持ってきてもらった! これを食べて貴様らの魂を起動させろ! そしてその魂の熱量で魔物を打ち砕け!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
数千人の騎士たちが一斉に歓声を上げた。その統率力、その威厳、そのカリスマ性。陽菜と結衣は普段のエルザとは異なるその真の姿に度肝を抜かれた。
「すごい。エルザさん、魔法みたい。豚汁、もっと美味しくなっちゃったかも?」
陽菜がオーブをかざすと豚汁からはお日様の匂いと白銀の輝きが漂っていた。エルザの決意が豚汁に新たな魔力を宿らせたのだろう。
「小娘にも箔が着いてきたな」
「団長に失礼なことを言わない。せっかくの豚汁を頂きましょう」
老騎士の発言に若い騎士がフォローを入れる。
「ふむ……根菜がよく煮えておる。ゴボウの土臭さがいい。戦場では血の匂いばかり嗅ぐことになるからな。今のうちにこの土の力を腹に収めておけ。これ一杯で鎧の重さが半分になった気がするわい」
「おいおい、肉がたんまり入ってるじゃねえか! 景気が良くて最高だ。これを食って戦わねえ奴は騎士失格だぜ。帰ってきたら今度はもっとデカい豚を丸焼きにしてエールと一緒に流し込んでやる。それまでは死ねねえな!」
「効率的だ。豚の脂は腹持ちが良く、味噌の塩分は行軍で失われる気力を補う。いや、理屈抜きに美味いな。この一杯を飲み干すまでは、まだ人間でいられる。次に剣を抜けば私はただの武器に戻るがね」
「正直、死ぬのが怖くてさっきまで震えが止まりませんでした。でもこの豚汁を一口飲んだら、胃の底から熱が広がって、なんだかまだ生きてるんだなって。母が作ってくれたスープより少し塩辛いけど今はそれが力になります」
それぞれの想いを胸に騎士たちは戦地へ向かう。陽菜と結衣はエルザを見つめた。
「見送り、感謝する。この味は忘れない。皆が平穏に次の食事を囲めるよう、私が必ず敵を退けてみせる。次に会う時は勝利の祝杯だ。それまでこの空になった器を預けるぞ」




