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35 宿命の再会と鏡合わせの柔

 その男は湿った夜風と共に現れた。

 整えられた長い髪を後ろで束ね、手入れの行き届いた白いコートを纏っている。テトラ・アコードの扉を彼は叩かなかった。ただそこに立つだけで店内の空気が均一に整い、大吾の研ぎ澄まされた殺気と共鳴した。


 カラン、カランッ!


「いらっしゃいませ――」

「やあ、久しぶりだね」

「十年ぶりだな、シオン」


 大吾が包丁を置き、重い声で応じる。

 挨拶を遮られた陽菜は目を白黒させていた。

 シオン・ハサウェイ。かつて大吾と修行時代を共にし、いつしか「剛の大吾、柔のシオン」と並び称された、大吾が生涯で唯一底が見えないと認めた男である。


「相変わらず武骨な厨房だね。でも少しだけらしくない甘さが混じっている。家族という名のノイズかな?」


 シオンの細い目がカウンターで硬直する陽菜と、眼鏡の奥で計算を走らせる結衣を捉えた。


「ノイズかどうかはその舌で確かめてみろ」

「久しぶりの再会だというのに随分と好戦的だね。ところで僕の料理も食べてくれるのかい?」

「忖度なしの感想を言ってやるよ」

「それは楽しみだ」


 シオンは厨房を隈なく調べて疑問を浮かべる。


「見たこともない素材や香辛料があるね」

「常連があれこれ置いていくんだよ」

「味見をしてもいいかい?」

「勝手にしろ。あとで未知の素材に負けたとか言われたくないからな」

「ははは、そんな負け惜しみは言わないよ。ただ料理人として気になっただけさ」


 少量ずつ味見を済ませたシオンは無言で頷く。


「なるほど――奥深いものが多いね。どこから仕入れたんだい?」

「異世界だ」

「は?」

「素材だけじゃなく魔導具と呼ばれる器具もある。使い方は娘の結衣に聞いてくれ」


 シオンが視線を向けると結衣は会釈で答えた。


「どうやら冗談ではなさそうだね」

「俺も最初は驚いたよ。ただ食材としての在り方はこっちの世界となにも変わらない」

「ほう、興味深いね」

「奇妙な連中がいるのさ。初めに訪れたのは銀髪の女騎士だったかな」


 シオンは大吾の語る異世界話を否定しなかった。むしろ熱心に未知の素材を探求している。


「勝負の方法は?」

「ふむ。娘さんたちに評価してもらおうかな?」

「それだと俺が有利になっちまう」

「相変わらず馬鹿正直だね」


 陽菜と結衣がカウンターに座る客を指差した。


「ちょうどいい、味に公平な客がいる」


 大吾が顎で示したのは非番で店を訪れていた騎士エルザと魔導書記官シラスである。


「ふふふ、面白い。話は聞いていたぞ。騎士の誇りにかけて公正に審判しよう」


 エルザが愛剣を立てると厨房は一瞬にして聖域と化した。隣に座るシラスはやれやれという風に頭を横に振っている。大吾はバルドが持ち込んだ炎鉄の火力を最大に引き出した。


 ――ドォォォォォン!


 凄まじい爆発音と共に分厚い肉塊が鉄板に叩きつけられる。脂が弾けニンニクと醤油の暴力的な香りが騎士たちの闘争心を呼び覚ます。肉を焼くのではない。火の力で素材の意志を屈服させるのだ。


 シオンは一切の音を立てない。

 大吾が力でねじ伏せたのと同じ牛の赤身の部位を、計算し尽くされた低温のオイルで時間をかけて煮、極薄のコンフィに仕上げて幾層にも重ねていく。これがシオン流の繊維を解きほぐす戦術である。まるで宝石細工を作るかのような、女性と見紛うほどに繊細で優美な手つきだった。仕上げに異世界の薬草から抽出した透明なソースをかける。盛り付けの際、皿の端に一輪のハーブの花を添えて完成だ。これが客人に視覚的な安心を与える。


 エルザとシラスの前に対極の二皿が並んだ。

 二人は一先ず大吾のステーキを口にする。


「荒々しくて凄まじい。まるで戦場を駆ける疾風のようだ。身体が熱くなるな」


 次にシオンのテリーヌを口に運ぶ。


「これは……逆か……荒ぶる力を優しく解きほぐしていくような慈愛の味。指先一つ触れずに心の武装を解かれた気分だ」


 シラスが震える手で眼鏡を直す。


「大吾殿の料理が太陽ならシオン殿の料理は月。この細やかな気遣いと繊細な味付け……大吾殿、失礼ながら貴方の剛ではこの優しさに届かないのでは?」

「私の意見も一緒だ。特に今日の大吾殿の料理は荒々しさが過ぎる。旧友との再会で心が乱れているのではないか?」

「らしいよ?」


 シオンは勝ち誇ったように微笑む。その立ち居振る舞いはどこまでも美しくエレガントであった。陽菜と結衣もそれぞれの料理を食べてシオンに軍配を上げる。4対0では好みの問題と言い訳するわけにもいかないだろう。


「ふん、相変わらず女みたいな料理を作りやがるな」

 

 大吾が吐き捨てるように言うと、シオンはふっと表情を崩し、その白いコートを脱ぎ捨てた。


「おいおい大吾、まだ言ってるのか? その女みたいって偏見、いい加減に捨てたらどうだい?」


 シオンがコートの下から見せたのは大吾のそれと同じくらい、いや、それ以上に鍛え上げられた隆々たる筋肉であった。


「ええええええええっ、めっちゃマッチョ!」


 陽菜と結衣の声が重なった。エルザとシラスは「ほう」と感心している。


「シオンさん、印象と全然違う」

「骨格、筋密度、発声周波数。計算が完全に狂いました。あの繊細な指先からこれほどの質量があるなんて信じられません」


 シオンは豪快に笑いながら大吾の肩を叩いた。


「はっはっはっ、僕は男だからこそ力でねじ伏せる不毛さを知っている。だからこそ極限の柔に辿り着いたんだよ。なあ、大吾?」


 大吾は黙ってシオンが作ったテリーヌを一口食べ鼻を鳴らした。


「ちっ……ハチミツを入れ過ぎだろ……だが悪くないな」

「大吾の料理も悪くないさ。ただ女性受けはしないかもね。僕が塩元帥なら君は二郎系だ」

「ラーメンで例えるな。余計にややこしくなる」


 テトラ・アコード。

 そこは宿命のライバルが適正という境界さえも味で超越させ、最強の男たちが互いの柔と剛を認め合う戦場であった。

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