28 魔法学校の文化祭、魔導の学舎と黄金の屋台
事の始まりは感情を取り戻した魔導書記官シラスが、一通の羊皮紙を店に持ってきたことだった。
「大吾殿、理恵殿。実は我が母校である『ルナリス魔法学院』の学長が、貴殿らの料理に強い関心を持っております」
シラスは少し言い淀んだ後、真剣な眼差しを大吾へ向けた。
「昨今の学生たちは高度な生成魔法で『完璧な栄養素』を瞬時に生み出すことに慣れ過ぎています。しかしその結果、食に対する感謝や手間をかけることの価値――いわば生の充足感を失いつつある。そこで学院最大の行事『星辰祭』で貴方たちの包丁による魔法を見せてほしいのです」
「お父さん、面白そう! 魔法使いの人たちにお父さんの本気の料理を見せてあげようよ!」
陽菜の弾けるような笑顔に、大吾は研いでいた包丁の手を止め不敵に笑う。
「効率だけの飯なんてのは餌と同じだ。結衣、異世界の広場でも使える鉄板を手配しておいてくれ。乗り込むぞ」
「なんで喧嘩腰になるかなあ、まあ、やることはやっておきますけどね」
シラスの招待を受け四和家が足を踏み入れたのは、雲の上に浮かぶ魔導士たちの最高峰ルナリス魔法学院だった。文化祭「星辰祭」の最中とあって、空には七色の光を放つ魔法のランタンが漂い、回廊では学生たちが杖を振り、空中庭園に花の雨を降らせている。
「すごい。お姉ちゃん、あそこの噴水、水じゃなくて光が溢れてるよ!」
目を輝かせる陽菜に結衣は端末の魔力計をチェックしながら答える。
「環境魔力密度が通常の300%を超えています。この環境なら火力のコントロールに魔力伝導を組み込めますよ」
案内役のシラスが誇らしげに眼鏡を上げた。
「本日の貴方たちの調理場は学院中央広場の特設ブースです。普段は理論ばかりの学生たちに、実体を持つ幸福を教えてやってください」
大吾が用意したのは現代の夏祭りの象徴であり、かつ異世界人の舌に馴染みやすい焼きの極致。つまり『四和流・極みの三色屋台飯』である。
第一の皿は『月晶石の塩焼きそば』だ。
大吾は巨大な鉄板を魔法の残り火で熱する。 麺を炒める前にちょっとの出汁で蒸し焼きにするのがおすすめだ。これだけで麺のコシが劇的に変わる。
「鉄板の温度は均一じゃねえ。場所ごとに熱のグラデーションを作らないと話にならない」
結衣の計算に基づき鉄板の左側で肉の脂を落とし、右側で野菜の水分を一気に飛ばす。最後に月晶石の塩を振ると立ち上がる湯気がダイヤモンドダストのように輝いた。
第二の皿は秘伝タレのイカ焼きならぬ『銀鱗イカ焼き』だ。
「陽菜、タレのタイミングだ!」
「はいはーい!」
陽菜がハケでタレを塗る度、醤油の焦げる香ばしさが学院の埃っぽい書物の匂いを一掃し、学生たちの鼻を強烈に刺激する。醤油・みりんに加えて隠し味のおろし生姜、これが異世界の魔術師たちの鼻を狂わせた香りの爆弾である。
第三の皿は理恵が担当する「虹色わたあめ」だ。市販のわたあめ機で色付きのザラメとパチパチキャンディを混ぜている。まるで雲を紡ぐようにふわふわとした綿菓子が出来上がってくる。異世界の学生にとって見た目からは想像もつかない口の中で弾ける魔法の食感だろう。
大吾の巨大なコテが火花を散らすような速さで麺を踊らせる。焼きそばの仕上げには削り節をたっぷり放り込む。踊る鰹節の動きが魔法学生たちを魅了していた。もちろん青海苔も忘れない。独特の磯の香りが異世界の人にとっては未知の芳香になるだろう。
香りに誘われて最初に屋台を訪れたのは、学院の最高齢にして賢者と呼ばれる老魔導士だった。威厳のある風貌とは異なり、話し方は穏やかで丁寧である。
「焼きそばを所望したい。おいくらかな?」
「五百円――じゃなかった。五百ジュエルだったっけ?」
「俺もよくわからん。詳しいことは結衣に聞いてくれ」
陽菜が視線を向けると結衣は「合ってる合ってる」みたいな頷きを返してくる。代金を受け取り焼きそばを手渡すとき、老魔導士がほかの二品にも興味があることを見逃さなかった。
「全品試してみますか?」
「ほっほっほっ、そんなに食べられはせん」
老魔導士は塩焼きそばを口に運び目を閉じる。
(――これは魔法ではない。理だ)
彼は百年以上、この高い塔の上で世界の真理を数式と魔方陣の中に追い求めてきた。美味なものは魔法でいくらでも創造できる。しかしそれらはすべて想像力の枠内にある虚構だった。
今この焼きそばの麺一本一本に宿る、鉄板の熱と職人の荒々しい刺激、そして素材が焦げることによって生まれる香ばしさだ。
「私は紙の上の数式ばかりを見て、世界が放つ、この力強い呼吸を忘れていたようだな」
賢者の目から悟りを開いたような静かな涙が零れた。広場は瞬く間に学生たちで溢れ返る。
「魔法で作った合成食より、ずっと温かい!」
「このタレが脳の魔力回路を直接刺激させているみたいだ!」
陽菜が「はい、虹色わたあめだよ! 食べるといい夢が見られるよ!」と笑顔を振りまく度に、学生たちの間に和のアコードが広がっていく。
文化祭の最後、四和家のブースは星辰祭最優秀特別賞に選ばれた。シラスは賑やかな広場を見渡しながら呟く。
「私の調査は正しかった。貴方たちは魔法を使わずに世界を書き換えてしまう」
大吾は大量の注文を捌き切った鉄板を丁寧に拭いながら、陽菜と結衣の頭を一度だけ無骨に小突いた。
「陽菜、結衣、よく働いたな。理恵もありがとうな」
「もう、お父さん照れてるーっ!」
「賞を頂いた以上は来年も屋台を出すしかありませんね」
夕暮れの雲海が茜色に染まる中、学院の学生たちが杖を空に掲げ、感謝の意を込めた光のパレードを四和家のために繰り広げる。
再び現代のテトラ・アコードへ戻った四和家一行。
「やっぱり、お店の匂いが一番落ち着くね」
陽菜が伸びをすると大吾は袋を取り出した。
「今日はいい塩が手に入った。明日の賄いは賢者が驚いた焼きそばにするぞ」
「やったーっ!」
異世界での成功は四和家にとってゴールではなく、また新しい美味しいを創造するための、ほんの通過点に過ぎないのだった。




