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27 通信石の戦術指示と混乱のテリヤキ・パニック

 大学の講義中、陽菜の鞄の中で異変が起きた。異世界から帰還して数日後の話である。


「陽菜、ターゲットの接近を確認。北緯35度、距離20メートル、左方から接近する個体は教授と呼称される高脅威対象だ。直ちに教科書を展開して伏角30度で偽装工作を開始せよ」

「ガ、ガンズさん?」

「本名は危険だ。イニシャルGと呼んでくれ」

「面倒臭い――というか誤魔化す気あるの?」

「問題ない。特定に二週間はかかるからな」


 鞄の中、スマホから聞き覚えのある重厚な低音が漏れ出していた。ガンズが渡した通信石はあろうことか陽菜のスマートフォンと混線し、異世界からリアルタイムで戦術指南を始めたのである。


「陽菜、どうかしたの?」


 友人の怪訝な視線に陽菜は顔を引き攣らせる。


「あはは、これ、新しい防犯アプリなんだよ!」

「陽菜が防犯アプリ?」

「もちろん無理矢理だよ。でも精度はめっちゃ高そう。たぶん私、このあと教授に怒られる」


 講義が終わり陽菜が駅前のスーパーで買い出しをしていると、またしてもスマホが震える。


「報告せよ。現在の作戦目的はなんだ?」

「今日の晩ご飯の買い出しだよ。お父さんに鶏肉を買ってきてほしいって言われたの」


 陽菜が小声でスマホに囁くと即座にガンズの解析が飛んでくる。


「了解した。前方10メートル、三割引のシールを貼付された鶏肉を確認。いや、待て。その隣の個体の方が脂質の含有量と鮮度において優れている。右へ30度転回し、迅速に目標を確保せよ。もたもたするな、主婦層の伏兵に先を越されるぞ!」

「もう! 静かにしてよ! 恥ずかしいじゃない! 異世界で優秀な人って、こっちの世界じゃ問題児ばかりなの?」

「三割引きの鶏肉は確保された。無駄口を叩いている時間はないぞ」

「とりあえず私の話を聞いて!」


 通信石越しの共同戦線を経て店に帰ると、大吾が不機嫌そうに包丁を振るっていた。


「陽菜、その変な石、なんとかしろ。俺の調理にやいのやいのうるさくて敵わん」

「ごめんね、お父さん。でもガンズさんも一生懸命に私のことを守ろうとしてくれてるみたいでさ」


 そこへ通信石からガンズのどこか誇らしげな声が響く。


「大吾殿、陽菜の栄養状態は私が遠隔で把握している。今夜のメニュー『テリヤキチキン』のタレの粘度が、本来あるべき熱量に達していないように見受けられるが?」

「ダイエット中らしいんでな」

「減量のことか? 厳しい任務だな。俺も二週間で12キロ落とせと命じられたときは上官を恨んだぞ。水分不足で20キロダッシュができなくなるほど過酷だった」


 大吾が陽菜を見やる。


「じゃあ、今日は照り照りでいいよ?」

「面倒臭い奴に引っかかったもんだな。結衣、計算してくれ! あの堅物騎士が完璧だと脱帽するレベルまで照りと粘りを極限まで高めてやる!」

「いいけど……あとで陽菜に太ったとか言われたときは責任取ってよね。照り照りの黄金比はなかなか腕白な数値になるの」


 大吾は再び陽菜を見やる。


「いいよいいよ、一食くらい大丈夫!」

「許可も下りたことだし、五十二万キロカロリーのテリヤキチキンを作りましょう」

「フリーザさん! というかさ、そんなテリヤキチキン存在するの?」

「馬鹿ね、ただの冗談よ」


 大吾はドワーフ鋼の包丁で鶏もも肉の筋を迷いなく断ち切っていく。まずは精密な下地作りだ。表面積を増やしてタレの保持率を最大化させるため、肉の両面に0.5ミリメートルの厚さで均一に片栗粉をまぶしていく。次に大吾は熱したフライパンに皮目から肉を置いた。


 ――ジィィィィッ!


 という猛烈な音が上がる。皮の脂を徹底的に抜き、黄金色のクリスピー層を作る。出てきた脂をペーパーで一滴残らず吸い取っていく。不純物は照りを濁らせるからだ。


 仕上げに、醤油、みりん、酒、そして異世界から持ち帰った月晶石の塩を隠し味に入れた特製ダレを投入する。大吾が鍋を振る度にタレが熱で活性化し、鶏肉を琥珀色の光でコーティングしていく。ハチミツを最後に一滴加えた瞬間、フライパンの中に宝石のような輝きが生まれた。


「どうだガンズ。これが俺のテリヤキだ」


 完成したのは宝石のような輝きを放つ『超越テリヤキチキン・ガンズへの挑戦状』だ。

 陽菜は通信石をチキンの目の前に置いた。


「ほら、ガンズさん! これがうちのお父さんの本気だよ! 匂いだけでも嗅げるのかな?」

「無理に決まっているだろう」


 しかし通信石の向こう側でガンズがごくりと唾を呑む音が聞こえた。


「素晴らしいな。視覚情報の解析だけで口腔内に唾液が異常分泌されるのを感じる。この照りは我が王国軍の最高級ワックスをも凌駕する光沢だ。大吾殿、認めよう。貴殿の兵站は世界最強だ」


 大吾は鼻を鳴らし「当たり前だが食えてもいない奴に褒められても嬉しくねえよ」と呟きながらも、どこか満足げに包丁を置いた。


 結局、通信石の混線は「魔力の周波数がこちらの世界と共鳴しているだけです」と、シラスがあっさり調整して解決した。


「陽菜、もう通信石から俺の声が勝手に響くことはない。必要であれば、いつでも合図を送れ。その時はそうだな、美味しいレシピの索敵結果でも報告しよう」


 ガーンズの不器用な、しかし優しい別れの言葉。陽菜は少しだけ静かになったスマホを握り締め「うん、またね」と笑う。

 テトラ・アコードには、今日もまた、異世界からの賑やかで温かい余韻が残る、平和な夜が訪れるのだった。

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