五年前の回想 夜の中の漆黒 その5
スルリと、見た目に反し軽快なそぶりで、不吉な程に黒い闇はジロの方へと少し近づいてきた。
ジロは刀を構え、八双の構えを取る。
途端に黒い闇の動きがピタリと止まり、夜霧に紛れ、その境界すらわからなかった黒い闇は輪郭を濃くし、漆黒の球体となった。
ジロは迂闊に動けない。この人でも魔物でもなさそうな未知の黒い闇に対して、万全からほど遠い体調のジロは、油断なく身構え観察する以外の手立てを持ってはいなかった。
っと、横合いから手が伸び、ジロの手を押さえた。
ビクリと反応しかけるが、すぐにそれがジェリウスだと気づく。
「ジェイさん! 気をつけて!」
「ボケ、刀をしまえ。攻撃されて瞬殺されるぞ」
「なら!」
「いいからちょっと黙ってろ。おい! 何しに来やがった!」
球体に向かってジェリウスは声をかける。
「チッ! 返事をしねえってんなら、しょうがねえ、緊急事態だ。それに事前連絡もねえ。テメエを敵と見なす。ジロ、くれぐれも手ぇ出すなよ」
ジェリウスは長剣を抜いた。
「……これでも反応しねえってんなら、やるって事だな? こうなりゃ魔力反応を制限だのなんだの言ってられねえ。結界は張った、念話は無駄だぜ? こんだけ喋りかけてやって、知らねえ奴だったら、このまま死んでもらうし、漆黒女なら、殺される前に降参しなっ!」
ジェリウスが一歩踏み出した途端、ジェリウスにむかって球体の表面から棘のような何かがジェリウスに向かって来た。
ジェリウスが剣で球体から伸びた棘を斬り、間合いを詰める。
途端、球体の表面がさざ波立って、無数の棘がジェリウス目掛けて飛ぶ。いくつかは直線的に、いくつかは鞭のようにしなりながら。
ジェリウスはその全てを斬り払う。斬られた漆黒の棘は斬られた途端に空気に霧散していくので、ジェリウスの周りに突如黒い霧が発生したようにジロからは見えた。
間を置かず、敵の攻撃が激しくなる。だが剣戟は聞こえない。固そうな棘は剣で斬り払われると音もなく四散していくからであった。
素振り音が激しくなり、そして……ジェリウスがジリジリと後退していく。
(ジェイさんが、押されてる!?)
バキン! っと突然硬質の音が響き、ジェリウスの手にした長剣が根本だけを残して、折れた。
棘は一気呵成にジェリウスを叩こうと、さらに数を増やし、ジェリウスに襲いかかった。
ジェリウスは圧倒的不利ながらも表情を変えず、根本だけとなった剣を器用に振るって、棘を黒い霧にしていく。
ピッ! ジェリウスの頬が切れ血が飛ぶのが見えた所で、ジロは我慢の限界を迎えた。
ジロは加勢をしようと自らも小刀を構え、もはや球体の体をなさず体積を減らし、どこか人のような形を取りつつある黒い闇に向かって一歩踏み出すと――
――ジェリウスに向かっていた棘の一本が枝分かれし、ジロ目掛けて突き出される。
ジロは早く鋭くはあったが、距離があったために余裕を持って小刀を振って打ち払おうとして、小刀は空を斬りバランスを崩した。
傍目からでは分からなかったが、その棘は意志を持つかのように、ぐにゃりと曲がり、ジロの小刀を回避したのであった。
(防御!? いや!! 間にあわな――)
ジロの無防備な喉元目掛けて、あっさりと最短距離で棘が走り――
――ジロの喉にはなんの衝撃も起こらない。喉まであとわずかな距離を残し、ピタリと棘は止まっている。
ジロは致命的にまでの隙を見せた棘を切り払う。グニャリと軟体のスライムを斬るような手応えを残し、棘は音も立てずに霧散した。
「き、君は、だ、誰?」
聞き覚えのない声がし、ジロは停止した隙に棘から距離を取る。全身に水を被ったような冷や汗をかいていた。
黒い闇からの声であったが、ジロに取ってはそれどころではなく、全身に水を被ったかのような大量の冷や汗をかきながら油断無く構える。
突然カタカタッっと手にした小刀が鳴った。何事かとジロが見ればいつの間にかジロの横に立っていたジェリウスが、ジロの震える手を掴んでいた。
掴まれたことも、ジロの隣にジェリウスが来た事も気づけない程にジロは自分を見失っていた。
それは、棘があっけなくジロの命を奪おうとしていたからであった。
小刀の音は手を押さえられ、行き場を失った振動で、手甲の固い部分と小刀が当たった音であった。
ジロは突然訪れた死の感触に、ジロは我知らず、震えていた。
「もう確認が取れた。声を偽ってないとしたら、ありゃ、やっぱり知り合いだ」
「らしい? 《幽界視》してるんじゃ……」
「それでも視えねえ。俺様をもってしても、やっかいな奴なんだよ。……おう、やっぱりテメエか! 何しに来やがった! まただんまりするか? それとも攻撃を続行すっか?」
黒い闇に向かってジェリウスが声を掛ける。
黒い闇はジェリウスの問いかけにはピクリとも反応しない。
「予想通りのだんまりだな。……この無関心と返事のし無さ具合、それにあの猛烈な攻勢。……間違いねえ、俺様の知り合いだ。あいつ……、空から降りてくるんじゃなく、落ちて来やがった。……イカれてやがる」
ジェリウスはなぜか口惜しそうに、怒りを押し殺すような低い声でそう言った。
あまりの声音にジロは隣に立つジェリウスの顔を見る。
歯を食いしばるようにギリギリと、そしてまるで仇を見るかのように、ジェリウスは、ジロが一向に焦点が定まらないような感覚を受ける黒い人型の闇を睨みつけている。




