白い廊下
薄暗い不愛想な長い白い廊下を馬渡は一人で歩く。左右の壁には一定間隔で扉がある。時々消毒薬の匂いがする。
ここは都内の総合病院の6F。彼は手に大きな紙袋を持っている。ある扉の前に立つとそっとドアを開ける。病室にはベッドが一つあり、10代半ばの女の子が窓側を向いて寝ていた。彼が入ってきた音で振り向く。
「お兄ちゃん」
そう言いながら、彼女はニコッとして上半身を起こす。
「具合はどう?」
「今日はちょっと良い」
「良かった。お前の大好きなリンゴ、買ってきたぞ」
彼はそう言うと紙袋からリンゴを取り出し、壁据え付けの引き出しの中から小さな包丁を取り出すと皮を剥き、小分けにして皿に置く。そして引き出しからフォークを出すと、リンゴの1つに刺して手渡す。
彼女がそれを食べると、馬渡はベッド横の椅子に座り、最近奈良に行ったことやYouTubeで企業案件を獲得したことを流ちょうに話す。
「これで結構稼げるぞ。そうしたら先進医療を受けられる病院に転院しような。実は他にも一つ大きなことを考えているんだ。まだはっきりは分からないけれど、いずれ時期が来たら由紀にも話すよ。そうしたら何にも心配ない」
「お兄ちゃん、無理してない?」
「いや、全然。順風満帆だよ。それに」
「お兄ちゃん」
彼女は彼が話し続けるのを遮って、彼の手を握る。
「やっぱり無理してるよ。私のせいでお兄ちゃんの生活に迷惑かけたくない」
「全然、迷惑なんかじゃないよ。僕はいつも通りだよ」
「いや、絶対無理してる。顔つきが違うもん」
「由紀は神経質なんだなー」
と言ったものの、彼は黙り込む。自分でも無理しているのは分かっていて、それを妹に見透かされたから。
「死んだ母さんが言っただろ。兄妹で助け合えって。親戚のいない俺たちにとって由紀は唯一の身内でたった一人の妹なんだ。妹のために兄が努力するのなんて普通だし、当たり前だろ?」
「でも私は、私はお兄ちゃんの生活を犠牲にしてまで生きながらえたいとは思わない」
「何言うんだよ?絶対治るよ。お医者さんもそう言っているし」
彼女は彼の手を握ったままうつむく。それは兄があからさまなウソを言っているのが分かり、そんなウソを言う兄を直視できなかったから。
しばらくお互い無言のままじっとその姿勢だったけれど、やがて彼は妹の背中にそっと手を回しトントンと軽くたたきながら抱きしめると、耳元で小声で言う。
「お兄ちゃんが何とかするから。由紀は何も心配するな」
彼は椅子から立ち上がると、
「じゃ、そろそろ行くよ。あまり長居すると由紀も疲れるだろ。何かあったら連絡しろ。飛んでくるから」
「うん」
病室を出て廊下を進む。少し歩いたところで妹の担当の医師に出くわす。
「馬渡由紀さんのご家族の方ですか?少しお話が」
彼は立ち止まる。
「由紀さんの病状ですが、こちらとしては先進医療を提供できる病院への転院をお勧めします。大変申し上げにくいのですが、当病院ではこれ以上の処置はちょっと難しいのが現状でして」
「先生、由紀の病状は実際どうなんでしょう?」
「正直申し上げると、当病院に引き続き入院されるのであれば、ホスピス、つまり終末期医療病棟へ移動していただくのが良いかと」
「・・・」
「白血病というのは血液のガンなんですが、由紀さんのガンはかなり特殊なものでして、今の標準医療では手の打ちようが無い状態でして。さらにガン細胞が体のあちこちに転移している状態で。このままですと、持って半年といったところかと。当病院は白血病の先進医療体制がございませんので、ぜひ転院をご検討ください」
そう言うと、医師は廊下を歩いて行った。
馬渡は茫然と立ちすくんでいたが、やがて壁に手を付くと、廊下の壁沿いにおいてある長椅子によなよなと座り込み、頭を抱え込む。
全く微動だにしなかったがぽたりと床に雫が一滴落ちる。それは彼の頬を伝わって落ちた涙だった。




