第十五話 静かな決着
王都に戻ったアウグストは、まず、ギルベルトを執務室に呼んだ。
「陛下、お呼びと伺いましたが」
いつものように、穏やかな笑みを浮かべて、ギルベルトが入ってくる。アウグストは、書類から顔を上げ、静かにその顔を見据えた。
「叔父上に、確認したいことがある」
「何なりと」
「先の婚約破棄の折、私の耳に届いていた噂――ヴァルデュール嬢が冷酷であるという話。あれの出所を、調べさせた」
ギルベルトの表情は、変わらなかった。だが、その笑みの端に、ほんの僅かな硬さが差した。
「ほう。それで?」
「叔父上の周辺から出たもの、ということが分かっている」
その一言を口にした瞬間、脳裏に、辺境で見た彼女の姿がよぎった。役割の仮面の下で、長い間、独りで耐えていた彼女の姿が。
アウグストは、机の下で、指先に、僅かに力を込めた。誰にも見えない場所で、それだけを、自分に許した。
それ以上、証拠を並べ立てることはしなかった。糾弾するつもりも、公にするつもりも、なかった。ただ、事実だけを、静かに告げた。
ギルベルトは、しばらく黙っていた。それから、小さく笑った。
「……陛下は、随分と、変わられたようだ」
「そうかもしれない」
「以前の陛下であれば、こうして直接、私に問うことなど、なさらなかったでしょう。噂を信じるか、あるいは、見て見ぬふりをするか。そのどちらかだった」
「それは、否定しない」
アウグストは、静かに言った。
「だが、今は違う。……叔父上の思惑がどうであれ、その噂を信じ、彼女を手放すと決めたのは、私自身だ。その責任を、誰かに転嫁するつもりはない」
ギルベルトは、僅かに目を細めた。
「では、私を、どうなさるおつもりか」
「戴冠式まで、あと僅かだ。今、宮廷に余計な波乱を起こすつもりはない」
アウグストは、淡々と続けた。
「ただし――シリルを、王位継承の近くに置くことは、今後、一切ない。それだけは、はっきりと申し伝えておく」
その一言に、ギルベルトの笑みが、初めて、僅かに崩れた。
「……それだけで、よろしいのですか」
「それだけだ」
アウグストは、静かに答えた。
「叔父上を糾弾したところで、私の失った時間は戻らない。それよりも、これから先、同じことが二度と起きないようにする方が、よほど意味がある」
ギルベルトが去ったあと、レナードが、静かに口を開いた。
「陛下。……公にはなさらないので」
「ああ」
「よろしいのですか。王弟殿下の企みを、明るみに出せば、殿下の名誉も、幾らか回復されるかと」
アウグストは、窓の外に目をやった。
「私の名誉のために、彼女をまた、噂の渦中に引きずり出すつもりはない。……それに」
アウグストは、僅かに目を伏せた。
「噂を信じたのは、他でもない、私自身だ。それを、今更、誰かのせいにするつもりはない」
レナードは、しばらく、主君の横顔を見つめていた。それから、静かに一礼した。
「……承知いたしました」
その日の午後、アウグストは、密かに信頼できる文官を数人選び、ギルベルト周辺の動きを継続して監視するよう命じた。表立った処罰はしない。だが、二度と同じことを繰り返させるつもりもなかった。
静かに、しかし確実に。
それが、今の自分にできる、最も誠実なやり方だと、アウグストは思っていた。
執務室の窓から、夕暮れの王都を見下ろしながら、アウグストは、これまでとは違う感覚で、その景色を眺めていた。
王として、正しい判断をすることと、一人の人間として、大切な誰かを守ることは、これまで、自分の中で、別々のものだと思っていた。
だが今は、その二つが、少しずつ、同じ場所に向かい始めている気がした。




