第4話 しゃべくり漫才
1927(昭和2)年1月中旬。
浅草寺近くでのステージの後、拓哉は、連を初めてサシ飲みに誘った。
「連は最近、どういうモチベーションで人前で活動してる?」
「そうだね……単純に、皆に求められてるっていう状況が楽しくてかな」
「いいね」
「あとさ……」
「うん」
「曲が楽しいとか、面白いとか、美しいとか、凄いとか。そういうことで人が熱狂してくれるのって、良くない?」
「というと?」
「この時代に来たからには、そういうことじゃなくて、戦争に熱狂していくような皆を見るのは嫌なんだよね」
「…………お前、偉いよ。本当に凄い奴だ」
月明かりの中で、高杉拓哉は思う。自分はどんな奴だっけ?
たくさんの人の本を読んできた。子どもたちを教えたり、一緒に遊んだりもしてきた。人前で芸もしてきた。恋もしてきた。
結構、人に触れ合った人生だったんじゃないか。本当なら、自分も連みたいに、人に還元できることがたくさんあるんじゃないか。
色んなことを、諦めなくてもいいんじゃないか。
その夜から、拓哉は紙に向かい始めた。
劇場の隅。ヘレン宅の居間。喫茶店。
ノートに、思いつくまま台本を書き連ねていく。
『教師と生徒』、『変な客が来るカフェー』――まずはオーソドックスなコントを、この時代に合わせて届けてみよう。
数日後、拓哉は原稿を抱え、劇場主の元へ行った。
「コメディの台本を書いたんです」
「ほう、見せてみな」
劇場主は煙草を咥えながら原稿を読み始める。
数分後。劇場主は険しい顔をほとんど崩さずに言った。
「ウーム……」
「……いかがでしたか」拓哉は恐る恐る訊く。
「ちょっとな、コメディとしては……どこで笑えばいいのか、分からないくだりが多すぎる。例えばこの……」
拓哉は言葉を失った。
(こんなに伝わらないものか)
現代のオーソドックスなコントは、一般的な人と人の関係性、一般的な会話、一般的なシチュエーション、といった「観客の共通理解」にかなり依存していて、「そこからいかに外れるか」で笑いを生むことが多い。
その「共通理解」自体が、令和と昭和初頭では違いすぎたのだ。
音楽とは違う。同じ時代だとしても、音楽よりもお笑いの方が、国や文化圏に合わせたローカライズが必要だ。
ましてや別の時代にお笑いを届けるには、かなり高度な翻訳が必要なのだ。
この時代の人達にとっての話の面白さでは、この時代のプロにはそうそう勝てない。浅草には、ほぼ毎日舞台を踏んでいる落語家、漫談家、コメディ作家たちも既に沢山いる。
だとしたら……。
新しい「型」、新しい「間」や「テンポ」といった、話以外の部分の革新性で勝負するしかない。
拓哉の頭に浮かんだのは、この時代の東京にまだ無い種類の演芸――しゃべくり漫才だった。
話の大筋はこの時代の漫談家に任せて、自分はツッコミに専念してみるのはどうだろうか。
それから拓哉は、相方を探して、毎日、劇場に通い続けた。
面白い芸人は多かった。この人もいい。あの人もいい。
ある日、鯉亭新太郎という芸人を観た。喋りは一流漫談家に比べるとあまり達者ではない。脱線が多いし、見栄っ張り、話を盛る、嘘が下手。しかも言い間違いだらけ。
新太郎の話を聞きながら、拓哉は心の中で何度もツッコんだ。そして、思った。
(あ、これだ)
終演後、拓哉は楽屋へ向かった。
「新太郎さん、今日の噺、めちゃおもろかったです!」
「おうありがとう」
「一つ提案がありまして。俺と、2人で掛け合いの芸をやってみませんか?」
「……は?」
新太郎は間の抜けた顔をした。
「新太郎さんの話の変な部分に、俺が口を挟む」
「なんで?」
「掛け合いで、笑いどころを増やすんです」
「いや、話芸ってのは、のめり込んでもらうもんだろ?途中で遮る馬鹿があるかい」
「遮ることもできるし、逆に復唱して勢い付けることもできる。叱ったり、何かに喩えたりもできる。2人で喋る方が、1人で喋るよりもっと人間が立つこともある」
「意味分からねえ……」
拓哉と新太郎のコンビが、初めて小さな寄席の幕間に立ったのは1月末のことだ。
音楽活動が忙しく、デビューのステージを観に来られなかった連が訊く。
「漫才デビュー、どうだった?」
拓哉は、にやりと笑った。
「なかなかの反応だったぜ?連、俺も時代変えるわ。お前に負けないくらいな」




