第2話 『リンダリンダ』
おばさんの名は、酒倉ヘレンといった。父はアメリカ人、母が日本人。亡き夫は、とある浅草の劇場の前支配人だったという。
ヘレンの別荘は、新大久保の広い一軒家だった。部屋の中は寒かったが、雰囲気は暖かい。壁にはサイレント映画のポスターや、様々なダンサーらしき人達と写った写真が何枚も貼られている。
「あんまりにも野性的だね!あんなジャズは聞いたことがない」ヘレンは言う。
「僕が得意なのは、ジャズよりも、ロックなんです」連は説明した。
「ロック?浅草六区と関係あるのかい、それは」
「関係ないです――たぶん。ロックンロールの略なので」
「聞いたこともなかった。今のアメリカじゃ流行ってるのかい?」
一瞬、間が空いて、
「いいえ。彼が作ったジャンルです」みどりが勝手に設定した。
「まあ、最初の一節で分かったわ、浅草でやってたなんて嘘だろうってね。だったら私が知らんわけがない。新しいよ、あんた」
ヘレンは徳利を傾けながら、連の顔をじっと見た。
「少なくとも、今の浅草にはいない種類の才能だ」
窓の外では、雪の積もった路地を人力車がゆっくり通っていく。
「浅草では、面白いだけじゃ駄目だよ。客は毎日毎日、新しいもの見てる。ジャズも演劇も漫談も奇術も。半端な芸は三日で飽きられる」
ヘレンは煙草に火をつけた。
「逆に、本物なら一晩で街が変わる」
街が変わる。
その言葉に、連の胸が妙に熱くなった。
ライブ経験は数あれど、令和では一度も感じたことがない感覚だ。
連が好きなロックは、00年代以前のストレートなロックで、令和の「売れる枠組み」の中ではバズりにくかったというのもあるが――街そのものを変えられるなんて思ったこともない。
「デビューは明後日だよ」
「えっ!?」
4人の声が揃った。
「早いに越したことはないだろう?亡くなった旦那の知り合いに、芝居小屋をやってるのがいる。小さな芝居小屋だけど、まずはそこの幕間の5分。5分で客の心をつかみな」
連は考えた。
5分で、何をやる。
頭の中に幾つもの曲がよぎった。自作曲。ビートルズ。サザン。尾崎。ユニコーン。ブルーハーツ。
その中に、どうしても頭の場所を占めて譲らない曲があった。
『リンダリンダ』。
連は高校生の頃、擦り切れるほどブルーハーツを聴いた。上手いとか、美しいとかじゃない。叫ぶだけで、生きていていい気がする楽曲たちを。
もしあの歌を、まだロックの存在しない時代で鳴らしたら、何が始まるんだろう。
「やろうかな……」
「『上を向いて歩こう』?」舞が聞く。
「いや……『リンダリンダ』」
「おお?昭和元年にパンクぶち込むんか?」と拓哉。
「その曲、ドラムやベースも必要じゃない?」と冷静なみどり。
「だから3人にも手伝ってほしい」
「え?」
「手拍子とか、足踏みとか。コール&レスポンスで『リンダリンダ!』って叫ぶだけでもいい」
「それだけ?」
「それがいいんだよ」
連は熱っぽく言った。
「ロックって、上手い人だけの音楽じゃないから」
ヘレンは煙草を咥えながら、静かにテンションが上がってきている4人を眺めていた。
「……あんた達、何者なんだかねえ」
昭和元年の浅草。
そこは当時の日本における娯楽の中心地で、まるで街全体が一つの巨大な劇場だった。
数々の露店やカフェー。射的、紙芝居、映画、演劇、オペラ、レヴュー、ジャズ、演歌、浪曲、落語、奇術、大道芸、動物園。当時のおよそあらゆる娯楽や見世物が集まっていた。
呼び込みの怒鳴り声。酔っ払いの笑い声。三味線や楽隊の音。漂ってくるソースや香水や煙草や石炭の匂い。
人、人、人。
「もうロック前夜じゃん……」
連は思わず呟いた。
令和の東京も人は多かった。だが、何かが違う。
「誰もスマホ見てないのが、なんかいい。皆、街そのものを見てる」
「確かに。まだテレビもYouTubeも無いし、人が街に集まってるのか」と拓哉。
学生。物売り。女給。モダンガール。成金。軍人。職人。娼婦。ポン引き。浮浪人。そして、何より多くの子どもたち。皆、自分の足で歩き、自分の五感で望むものを探している。
浅草の活気に、みどりも興奮していた。
「すご!映画館の前に楽隊置いて、別にチンドン屋歩かせて、ビラも撒いてる。それぞれが徒歩圏で広告して、競合してる…メディア全部が路上にある」
「面白。記者っぽい感想だな」と拓哉が笑う。
舞はその横で、「なにこれ、うっま!」と串に刺さった焼き団子を頬張りながら、目を輝かせていた。
「醤油が濃い!炭の香りがめっちゃする!」
その時。
「おーい!こっちだ!」
ヘレンが劇場裏口から手を振った。
派手な看板の付いた、木造二階建ての芝居小屋。
「五分だよ。レヴューの幕間な。とにかく楽しんできたらいい」
「おいおいヘレン、また胡散臭ぇの拾ったなあ」劇場主らしき男が出てきて笑う。
「アメリカ帰りの芸人だよ。やる事ぁギターと歌だけなんだが、まあ見てな」
芝居小屋の中に入ってみると、モダンな雰囲気の家族連れや学生、不良っぽい少年少女まで、100人ほどの幅広い客層がいた。
舞台袖では、化粧の濃いレヴュー女優たちが煙草を吸っている。
「お客さん近っ!ステージに立つとか人生初なんですけど」と舞。
「私も初めて!舞、緊張しなさすぎじゃない?私喉渇いてヤバいよ」とみどり。
「俺達一回人生は終わったようなもんだ。失うもんも無い。ぶちかましたろーぜ」元芸人の拓哉が2人と肩を組み、テンションを上げて励ます。
連も、怖さより、興奮の方が遥かに上回っていた。
「行こう」
連はギターを抱えた。
ジャーン、とDのコードを繰り返しながら、4人で舞台中央に進み出る。
客席はまだざわついていた。喋り声やヤジ。4人のいでたちに注目している人も多いが、所詮幕間の芸人ということなのか、あまり期待されている感じはない。
連は大きく息を吸い、歌い出しはドスをきかせながら、全身全霊で聞かせ始めた。
♪ドブネ~ズミ みたいに
美しくなり~たい
写真~には 映らない
美しさ~ があるから
客全員の眼差しが連に注がれる中、拓哉、みどり、舞のバスドラム代わりの足踏みが始まる。
ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダン
♪リンダリンダ~!(リンダリンダ~!)
リンダリンダリンダ~ア~!
こんな激しい歌、聞いたことがない。
最前列の不良少年たちは目を丸くしていた。
「うるせえ!」「下手だ!」と、怒鳴る年配客たちもいる。
だが、拓哉が客に一緒にコール&レスポンスをするように煽ると、乗ってくる客が増える。どんどん空気が4人のものになる。
「変だけど、なんかすげえ!」
子どもたちが真似して飛び跳ね、手拍子する。
女優たちや劇場主も舞台袖から覗き込んでいる。
ステージ用のマイクすらもまだ無い世界で、連は魂をむき出しにして叫び続けた。感じたことのないほどの熱狂を、全身で感じながら。
5分の演奏が終わると、客席は総立ちになり、拍手と笑い、怒号と絶賛の叫びが全部同時に起きた。
「良かったぞ~!!」
「もう一回やれ!」
「うるさすぎだ!!」
「リンダって誰だ!?」
舞台袖へ戻ると、煙草を咥えたまま笑ったヘレンが、汗だくの4人を出迎えた。
「グレイト。街が変わる音がしたわ」
劇場主との約束で、4人は連日ステージに立つため、その日からヘレンの浅草近くの本宅に泊まり込むことになった。
興奮と疲労の帰り道。たくさんの人とまばらなネオンサインの隙間を、白い雪が静かに落ちていく。
路地から、子どもたちの声が聞こえる。
「リンダリンダー!」
昭和元年12月27日。そこには未来の歌が、混ざり始めていた。




