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悪役令嬢、森で拾った狼が満月の夜にイケメンになる  作者: 夜凪 蒼
第二章 満月の結婚式編

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第37話「誓いの言葉が直球すぎる」

宣言どおり、授業は翌日の昼に始まった。


 教室は小屋の前の原っぱ。教材は、昨夜のうちに私が書き上げた紙が1枚。人間の式で読み上げる誓いの言葉——「健やかなるときも、病めるときも」から始まる、あの定番の文句である。ミーナに聞いたこの国の式の型へ、前世の記憶を少しだけ混ぜて整えておいた。


 生徒はひとり。春の草の上、人の姿のルークが切り株に腰掛けて、私の手元をじっと見ている。結んでいない銀の髪が、昼の風にゆるく揺れていた。


「いい? 誓いの言葉は式のいちばん大事な場面で読むの。型があるから、まずそれを覚えます。はい復唱——『健やかなるときも、病めるときも』」


「お前の隣がいい」


「……ん?」


「以上だ」


 銀灰色の目が、紙ではなく私をまっすぐ射抜いている。春の風が急にぬるい。違う。そうじゃない。そうじゃないのに、先に頬へ火がついたのは私のほうだった。


「ちっ、違うでしょ! 復唱! 型を覚えるの!」


「型は要らない。事実を言った」


「事実……」


 頭を抱える。そうだった。狼族に社交辞令と定型文は存在しない。あるのは事実だけ。なぜ紙が要るんだ、と真顔で聞かれたあの日から、薄々わかってはいたのだ。


「あのね、これは練習なの。本気の言葉は本番に取っておいて!」


「練習でも、嘘は言えない」


「嘘じゃなくて型! みんなの前で読むんだから、噛まないように体に入れておくものなの」


「思っていることしか、口は動かない」


 つまりこの人の口から出るものは、練習だろうと全部本物ということになる。心臓の準備運動くらいさせてほしい。


 2回目。私は紙を渡し、棒読みでいいからと条件を緩めた。ルークは紙面に目を落とし、低く読み始める。


「『健やかなるときも、病めるときも』……」


 進んだ。やればできるじゃない、と身を乗り出した矢先、声が止まった。眉がわずかに寄る。


「病めるときは、治るまで俺が狩って運ぶ。健やかなときと、何も変わらない」


「解釈しないで、読んで!」


「どの日も隣にいる。それで全部だろう」


 全部だった。型より短くて、型より強い。反論の代わりに私の喉から出たのは、言葉になりそこねた変な音だけである。


 3回目。私は奥の手に出た。


「わかった。じゃあ目をつぶって聞く。目さえ合わなければ、私は無事なはずだから」


 まぶたを下ろす。草の匂い。風の音。紙のこすれる気配がして——次の声は、思っていたよりずっと近くで鳴った。


「ローゼマリー」


 一段、低い。耳のすぐそばで、骨にまで響く深さの声。


「目を閉じていても、俺はお前の隣にいる」


 目を開けたら負けだと思った。開けてしまった。鼻先が触れそうな距離に銀灰色が待ち構えていて、私の完敗である。開始からこれで3戦3敗。誓いの言葉に、誓われる側が先に倒されてどうするの。


 ぱきり、と茂みで小枝の折れる音がしたのは、そのときだ。


 振り向くと、原っぱの縁に子狼が3頭、行儀よく並んで座っていた。先頭は灰銀のピート。人化の練習帰りに通りかかって、そのまま観客になったらしい。つぶらな瞳がきらきらと、それはもう熱心にこちらを見ている。尻尾が3本、同じ拍子で草を掃いていた。


「……いつから見てたの」


 返事の代わりに3頭が顎を上げ、ほわん、と細い遠吠えを揃えた。祝福のつもりらしい。音程はばらばらで、1頭は途中で裏返った。


 羞恥に悶える私をよそに、観客はすぐ飽きる。1頭が風に揺れる紙へ飛びつき——あっと思ったときには、誓いの言葉の原本が小さな牙にくわえられ、原っぱを疾走していた。


「ちょっ、それ台本! 待ちなさい!」


 追う私、逃げる子狼、面白がって参戦するあと2頭。ルークが短く息を吐いて立ち上がり、低くひと声唸ると、犯人はころんと転がって腹を見せた。回収された台本には、隅に小さな歯型と、点々とよだれの染み。


「……いいわ。どうせ本番は暗唱だし」


 干し肉で3頭を買収して、原っぱの隅へ転がしておく。子狼たちはひとしきり取っ組み合ったあと、日なたでひと山の毛玉になった。お日さまに焼けた毛の匂いが、ここまでふわふわ漂ってくる。


 さて、と切り株へ座り直したルークが、私を見た。


「お前のは、まだ聞いていない」


 ……そうだった。誓いはふたりで言うものである。私は咳払いをひとつ、歯型つきの紙を広げ——読めるのに、声が出ない。型のとおりに読めば済む話だ。なのに、あの直球を3連発で浴びたあとでは、定型文がやけに薄っぺらく感じられてしまう。


 私も、私の言葉で言うべきなんじゃないの。でも私の言葉って、つまり、その。あなたを拾った夜から世界が温かい、とか。しっぽも人の手も、どっちも好き、とか。


 だめだ。口に出せる気がしない。顔だけが先に茹で上がっていく。


「あ、あの、ええと……私は……」


「いい」


 ルークは静かに首を振った。


「式まで待つ。——本気の言葉は、本番に取っておくんだろう」


 私の台詞が、そっくりそのまま返ってきた。しかも当然の顔で。教えた型はひとつも覚えないくせに、そういうところだけ学習が早い。


「楽しみが増えた」


 憎らしいほど穏やかにそう言って、ルークは昼の光に目を細めた。攻守が、いつの間にか入れ替わっている。誓いの言葉ひとつ、満月の夜まで私が借りを抱える形になってしまった。


 夕方。覚え書きを開いて、「ちかいのことば」の項目にも丸をつける。台本に歯型はついたけれど、いちばん大事な一行なら、とっくに胸のほうへ刻まれている。


 牙と月長石の首飾り、仮縫い待ちの白い衣装、二回の式の段取り。並んだ項目に丸、丸、丸。長かった支度の頁は、今日でおしまい。


 窓の外では、毛玉のほどけた子狼たちが森へ帰っていくところだった。見送るルークの足元で、ピートの尻尾がぶんぶんと別れを惜しんでいる。


 あとは満月を待つだけの、この春でいちばん穏やかな夕暮れ。


 胸の奥がくすぐったいまま、私はそっとページを閉じた。

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