30 『スタンド・バイ・ミラ』
共鳴鐘が鳴り響いた日の事は、今でも鮮明に思い出せます。
ミラさんの救出のためにホールに集められた私たちは、そのまま都市防衛のための任に奔走することになりました。
共鳴鐘は、その鳴り方によって、ダンジョンでの異常の度合いを知らせてくれるものですが、あの日、私たちが聞いたものは、尋常ならざる事態を容易に想像させるものでした。
勿論、鐘が鳴った時の場合の対処についても、あらかじめ決められてはいます。
ですが、リガルド様やネリーネ様に声をかけられるまで、恥ずかしい話ですが私は放心してしまい、自分が何をなすべきか全くわからなくなってしまっていました。
ただお二人の指示に従うだけで、これから自分たちに何が起こるのかなど、考えるいとまもありませんでした。
まずは全ハンターへ収集をかけ、緊急部隊の編制。
ですがここでまず問題が発生します。ベテランハンターの多くが、エドワード卿の姦計によって行方不明になっており、残ったハンターの他は就任して間もない方ばかりだったのです。
等級を考慮したこちらの編制も一切聞かず、皆が自分勝手に行動しようとしたため、仕方なくちょっと大きい声を出してしまいました。その後は皆さん協力的になっていただけたので、大変助かりました。
ハンターが城壁外へ自由に出入りできる緊急パスを手渡す際、受付嬢の誰もが、皆さんの安否を本気で気遣っていると、私には見えました。ハンターが命がけだというのは、知っていたはずなのに、私たちは自身の身が危険に晒されて、ようやくそれに気づけたのだと思います。私も、パスを渡す一人一人を、絶対に忘れまいと思いながら、彼らを見送りました。
それが済めば、ホールの片づけです。
ギルドを救護所として開放するため、デスクを並べ替えた簡易的なベッドの作成に取り掛かりました。とはいっても、デスクにはあらかじめ術式が施されていたため、魔力を込めるだけであっという間にベッドの並びとなりますので、私たちはシーツや医療器具の準備に奔走しました。
「あとは俺たちでやるから、君たちは今すぐ避難しなさい」
リガルド様からそう言われた時、頭に血が上ったのを覚えています。
私たちは、つい今朝方、エドワード卿の手からギルドを守ったばかりなのです。なのに、そのギルドを見捨てて今更、退避しろと言うのはあまりにご無体ではないですか。私は断固として反対しました。特に苛烈だったのはベアトリスで、
「どうしてもとおっしゃるならば、無理やり引きずり出してくださいまし!その際は、わたくし舌をかみ切り、ここで絶えます」
そう言うものですから、リガルド様も最後には折れました。
「——もう何も言うまい。なら、せめて遺言を書きなさい」
リガルド様は険しいお顔でそうおっしゃり、領主様の元へ向かわれました。
デスクはベッドとして使われてしまっているため、私たちは休憩室に集まり、肩を寄せ合って遺書をしたためました。
不思議なものです。ギルドがお休みのたびに、家族とは顔を合わしているのに、こうして遺書を書くとなると言いたいことが山のように浮かんできて、まるで筆が進まないのです。
まず浮かんだのは、父ではなく継母の事でした。決して仲が悪いというわけではありません。ただ、何を話せばいいのかわからず、彼女に会うのが億劫で避けていた節があります。今となっては遅いのかもしれませんが、もっと素直に話していれば良かったと、そう書いた時、なぜだか涙が溢れました。
よく見ると私だけではありません。皆が泣いていました。リガルド様にはああ言ってしまったけれど、自分はとても浅はかな選択をしたのではないかという思いに、押しつぶされそうでした。
ですが、その時にカイルさんや、ミラさんの事が頭に浮かびました。
あの方たちは、ハンターの方々は、いつもこんな恐怖と戦っていたのではないか。ただ生きるためとはいえ、どれほど心細い思いをしていたか。
「——誰も残ってないギルドで、あなただけがいつも出迎えてくれたんだ」
それは、私からすれば、ひどく当たり前すぎる事で、今でもいったいいつの事を仰っているのか思い出せません。
「——嬉しかったんだ、本当に。 いまさらだけど、ありがとう」
あの言葉に、どれほどの想いが込められていたのか。今更ながら、気づかされました。
ギルドだけが、ハンターたちにとって帰るべき場所だったのです。ギルドが迎えてくれるとわかっているから、ハンターは恐れに負けず立ち向かう事が出来たのでしょう。
「——行きましょう、皆さん。ここはハンターの皆さんが帰るべき場所です。私たちがここを守らなければ、あの方々が満足に戦えません」
皆の目に光が戻ってきたのを感じました。
「たまにはいい事仰いますね」
ベアトリスはそう言っていましたが、彼女の顔は、こう言っては何ですがとても人前に出せるものではなく、思わず笑ってしまいました。まあ、そういう私も絶対に鏡は見られませんでしたが。
……それからどれほどの時間が過ぎたでしょうか。
私たちはただ、いつ運び込まれてくるかもわからない「凄惨な現実」に怯えながら、真っ白なシーツの端を握りしめて待っていました。
けれど結局、ベッドが使われることも、遺書が家族の元へ行く事もありませんでした。
敵の気配が消えた――その一言で、私たちの覚悟は宙吊りのまま置き去りにされてしまい、喜べばいいのか、残念に思えばいいのか、なかなか気持ちの置き所がわかりませんでした。
しかし、ネリーネ様の悲鳴にも似た声で我に返りました。
「プリムローズ、ここは一旦、貴方に任せます!」
そう言うと、ネリーネ様は金の錫杖を手にし、光と共に消えてしまいました。
私には訳がわかりませんでしたが、いつまでも呆けているわけにはいきません。ネリーネ様がいなくとも、事態が完全に終息するまでは気を抜くまいと気合を入れなおしました。
ですが――その後の事は、よく思い出せません。
しばらくしてから、ネリーネ様が戻ってきたように思います。
そしてその肩に、ミラさんが担がれていました。彼女はピクリとも動かず、その真白な姿を見て、私は最初、誰なのかわかりませんでした。
ただそう…真白になって微笑んでいるミラさんは、とても綺麗だった事だけは鮮明に覚えています。
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ラグニールを襲った未曽有の大災害は、寸での所で阻止されたのだと、リガルド様——ギルド長から聞きました。そしてミラさんが、その成功に大いに貢献したことも。
それから一か月が経ちます。
ギルドはまた以前のような…いえ、あの頃以上の活気をもって運営を再開しました。
残念ですが、エドワード卿が設定された報酬などは見直されたため、そのことに納得できない新規のハンターが数多く抜けました。
ですが――
「だから!そんな効率の悪ぃこと出来るかよ!」
「んだと、ガキ!もっぺん言ってみやがれ!」
中には「泥臭い窓口」こそが自分たちの居場所だと気づき、腰を据えてハンター業に励む若者も現れました。
「お二人とも!ハンターであるなら、口ではなく実績で証明されてはいかがですか!それとも私がお相手しましょうか?」
それまで受付デスクから聞いたことのない、怒声が響くのも日常になりつつあります。皆、あの日の一件が大分自信につながったのでしょう。
雨降って地固まるとは申しますが、大変喜ばしい事です。
ただ、喜ばしい事だけではありません。
エドワード卿は死罪になり、それに関わった多くの方々もそれぞれ罰を受けたと聞きます。そしてその中には、ギルド受付嬢のご親族もいらっしゃったらしく、ベアトリスたちもその事に奔走しっぱなしでした。
「——すぐに帰ってきますわ。わたくしがいないからといって、ギルドが腑抜けていたら承知しませんよ!」
相変わらずの憎まれ口ですが、その言葉が信用に値するものになったのも、この一件があったからこそです。
「プリムローズ、そろそろ交代の時間ですよ」
セシリアに促され、私は医務室へ向かった。
青白く明滅するベッドの上で、ミラさんはあの日から眠り続けています。
真白だった肌も、髪もすっかり元に戻ったけれど、ミラさんが目覚める気配はありません。
ギルド長曰く、彼女が寝ているベッドも遺物の一つらしく、食事をとらずともこうして生き続ける事が出来ているのもそのおかげなんだとか。その代わり、私たちギルドの職員が装置の運転を止めないために、こうして交代で魔力を注ぎ続けなければなりません。
ベッドに魔力を送りながら、ミラさんの手を握る。握るたびに、その大きさと固さに驚かされます。とても同じ女性とは思えないのに、ひどく安心する。
背後で扉の開く気配がした。
「や、お疲れ様」
「カイルさん!」
カイルさんも酷いケガだったけれど、いまはこうして歩けるまでに回復しましや。ちなみに、ハンターとしての活動はまだ出来てはいません。今回の件で被害を受けた人たちの補償は、没収されたエドワード卿や商人たちの資産から賄われているそうです。
「ガッゾさんのところへ行かなくていいんですか?」
「行ってきたよ、勿論。「毎日毎日、顔出すな気色悪い!」って追い返されたけど」
ガッゾさんの物まねに、二人で笑いました。
彼は、ヴォルケに殺されずに済んだ。
その理由は定かではありません。ガッゾさんに聞いても、なぜか不機嫌に返されるので、真相については誰も知らないのです。遺跡が再び解放されるまで、ガッゾさんはダンジョンに身を潜めていたと言うから、ミラさんを含めハンターの生命力には驚かされます。
「俺じゃなければ、あと一日だってもたなかったろうぜ」
お見舞いに行くたびにその話題になり、そのたびにおかみさんに頭をはたかれています。何はともあれ、カイルさんたちの喜びようを見れば、無事でよかったと心の底から思います。
話題が途切れ、二人でミラさんの寝顔を見守りました。
「——大丈夫だよ」
私の顔を覗き込んで、カイルさんがそう呟いた。
「陽炎のミラが、このまま寝たままで終わるもんか。すぐに目覚めて、またどやしつけるに決まってるさ」
なんて言い草だろうと思ったけど、言われてみればその通りかもしれない。眠り姫にしては、彼女は少々物騒過ぎますし。
私がそう零すと、カイルさんは「ひでぇ」と言い、二人でまた笑いました。
カイルさんの手が、私の手に重ねられる。そのぬくもりに包まれながら、ここでミラさんが起きたら大変だなぁと、思ってしまいました。




